違和感を感じる

 着信があった。


 男はその着信で起床して起きた。

 今日はなんだか頭痛が痛いなと、男は思った。


「はい、もしもし」


 男は受話器を取って電話に出た。


「おい、俺だよ。なぁ、今日なんかおかしくないか?」


 相手は男の親友だった。


「おかしいって、どういう風に?」


「なんかこう、世界が間違っているような気がするんだ。とにかくなにかおかしいんだ。分からないか?」


 男にはその違和感が分からなかったが、そういえばさっきなんだか変な感じがしたのを思い出した。


「町中あっちこっちで大騒ぎだ。今日の仕事は休んだ方がいいぞ。なにせみんな正体不明の違和感に襲われているからな・・・」


 男は電話を切ると、寝床に寝そべった。

 しかし先ほど感じた違和感が気になり、眠るどころではなかった。男は立ち上がり、冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注いだ。それを机に置き、お茶を冷蔵庫にしまうと、机上の上からコップを掴んで飲んだ。


「ううむ。確かにさっき言われたように違和感がある。いったいなんなのだろうか、この違和感は」


 喉を潤した男は、次に体温計を引っ張り出した。

 それを脇に挟んで熱を測った。

 しかし平熱。発熱が出ているわけではなかった。


 男は首を傾げた。体の不調ではないのかもしれぬ。となるとこの違和感はなんなのか。男はその答えを求めて服を着替え、外に外出した。


 空は今にも落雷が落ちそうなくらい暗い雲で覆われていた。雨が降るかもしれないので、男は玄関にあった傘を1本持った。


 それから男は車に乗車した。特にどこかに行こうと決めているわけではない。町中の様子を見て回ろうと思ったのだ。


 まず男は沿岸沿いの道路を走ることにした。男の家の近くには海があり、よく潮風が吹いてくるので男の車はところどころ色が変色していた。


 車を走らせていると、この違和感を感じる現象が起こっているのは自分だけでないことが分かった。町の人はみんな家から出て、話し込んだり辺りをキョロキョロしたり頭を抱えていたりする。この時期は寒いので、みんな防寒対策をして外に出ているのだが、それでも吐く息は白い。


 男はその光景を見てまた違和感を感じた。

 しかしそれでも男は車を止めなかった。前へ前進しなくてはならない。違和感の正体を突き止めなくてはならない。


 男が右に右折すると、なんと、老いた男が道路に寝そべっていた。

 クラクションを鳴らすが反応がない。

 男は思いがけないハプニングに自分の運命を呪った。


「おおい。そんなところでなにをしているんだ?」


 男が車から降車して聞くと、寝そべった男は返事を返した。


「お前も感じるだろう、この違和感を。世界はもう終わるのさ。終末の時が来たんだ。だったらもう、なにをしようと勝手だろう」


「あんまり悲観するなよ。今の現状が引き続き継続するとは限らないだろう。今そんなことをしていると、後で後悔することになるとはっきり断言するね」


 男がそう言うと、寝そべった男はニヤリと笑いながら言った。


「あんた、自分が今その違和感に侵食されてるのが分からないかい? 俺もそうなんだ。この辺りじゃ一番最初に、この症状を発症したんだ。もう自分の思考にすら違和感を感じるようになったよ」


 男は自分がさっき言った言葉を思い出し、そして恐怖した。おかしい。おかしすぎる言葉だ。おかしすぎる文章だ。自分の口から出たものとは思えなかった。


「あんたもこの違和感による被害を被ったのさ。もしかしたらもう、正常な思考をすることはできないかもな。明日になったら発狂しちまうかもしれねぇ。今のうちにやりたいことをやっときな。犯罪を犯したって、今は誰も咎めやしねぇさ」


 男は叫んだ。怖かった。自分の思考が信じられなかった。自分が自分でなくなっていくような感覚に恐怖した。叫びながら車に乗車し、全速力で後ろに後退した。そして方向を変えると、自分の家に向かって走り出した。


 頭がはち切れそうだった。家に籠っているのが最も最善だと思った。法定速度なんか無視してとにかく急いで帰った。しかしそんな彼の車に並走して走る車があった。男はその車のことなんか、視界の端にも入れていなかったのだが、なんと、その車は突然体当たりしてきた。


 男の車はガードレールにぶつかり、数メートル転がった。


「おい! いったいなにをするんだ!」


 車から這い出た男はこう叫んだ。


 体当たりしてきた車からは若い男が出てきた。その若い男の車の助手席には、ナイフが腹に刺さっている女の死体があった。


「明日収入が入るんだ! 今からあらかじめ予約しといた旅館に行くのさ! 彼女と一緒にね!」


 可哀想に。すでに狂っていた。男は哀れむと同時に恐怖した。もしかしたらすぐに自分もああなるのではないかと思ったからだ。若い男は自分の腕の肉を噛みちぎりながら、女の死体の口にねじ込んでいた。その隙をついて、男は逃げ出した。骨が骨折していので、上手く走れなかったし痛かったが、なんとか家までたどり着いた。


 ああ我が家。愛しい我が家。人はどれだけ狂っても、物は狂わない。男は家に入ると安心感を感じた。この家には生物がいない。だからこれ以上違和感による狂気を浴びることはない。そう思ったのもつかの間、男の家には、男が最も信用ならない生物がいることを思い出した。


 そう、自分だ。


 確かに外部の情報はシャットダウンした。

 しかしいまだに違和感は消えない。

 どうやったらこの違和感は消えるのか、どうやったら狂わないで済むのか、それを考えることは必ず必要だと思った。


 男は考えた。違和感の正体とそれを消す方法を。もはや食事すら摂らずに考えた。外に出ることは危険、きっとテレビもインターネットも危険。今頼れるのは自分の頭だけ。しかしその自分すらも、違和感に侵食され、信用ならなかった。


 ついに男は気絶した。


 解決法が見つからず、刻一刻で状況が悪化するこの環境に、精神が耐えられなかったのだ。


 男は夢を見た。恐ろしい悪夢だ。しかし目覚めたときには、どんな夢を見ていたかなんて覚えていなかった。夢というのはそういうものだ。


「うう。頭が痛い。喉も渇いた。お腹も減っている。いったい今は何時だ?」


 男は目覚めると、携帯電話を探した。あった。時刻を見る。5時と書いてあった。17時ではなく5時と書いてあるので、今は朝5時だ。とすると自分はいったい何時間眠っていたのだろうか? 計算をしようと思ったそのとき、男は感じた。


 昨日あった違和感が、無くなっている。

 綺麗さっぱり無くなっているのだ。


 思考は晴天のよう、気分は快晴のよう、体調だって悪くはない。頭痛だってもう収まった。昨日のことが嘘だったかのようだ。いや、もしかしたら昨日の出来事はすべて夢だったのかもしれぬ。男はそれを確かめるために家から出た。


 ない。車がない。男が苦心して貯めたお金で買った車がない。とするとあの悪夢のような出来事はすべて現実だったのだ。男の背筋に、なにか冷たいものが走った。


 家に戻ると、ちょうど着信があった。


「もしもし」


「なぁ、俺だよ。昨日あった違和感が消えたと思わないか?」


「思うよ。昨日はさんざんな目にあった。もうすぐで発狂してしまうところだったよ。でも今は忌まわしい違和感が消えて、とても清々しい気分さ」


「そうか。昨日の謎の違和感は世界中で発生していたらしい。それが日付が変わって今日になったとたん、消失したらしいんだ。あの違和感による被害は凄まじく、まだ混乱は収まっていないようだぞ。当分仕事は休んだ方がいいぞ」


 男は電話を切ると違和感のない世界に身を浸らせた。

 今日という日だけは、この整った世界がとても素晴らしく思えた。

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