滑舌の悪い男

 着信があった。


 暗い部屋に着信音が響く。部屋には男が1人いたが、男は受話器を取らなかった。男はテレビを見ていた。


 その男には悩みがあった。それは滑舌が悪いことだ。他人から見ればそんなことよりニキビだらけの肌とか無駄に付いた脂肪とかの方が気になるであろうが、本人はとにかく滑舌が悪いことを気にしていた。


 昔から滑舌が悪かったのでバカにされ、恋人の1人もできたことはなかった。当然、滑舌が悪いので人と話すのは苦手だ。電話に出なかったのもこれが理由だ。


 それに男には、こんな朝っぱらから電話をかけてくるような相手がいなかった。きっと間違い電話かなにかだろうと思って無視をした。


 しばらくすると着信音は切れた。

 やれやれ、やっと諦めたか。結構長かったなと男は思った。もしかしたら大切な用事だったのかもしれないと後悔をし始めたが、折り返すのは面倒なので男は動かなかった。


 この滑舌の悪い男の家には立派な金庫がある。合金製で、ドリルでも穴が開けられないくらいの立派な金庫だ。男が住んでいるところは郊外で、近所に銀行がないのでそこにお金を入れていた。


 男がテレビを見続けていると、家の扉から鍵の開けられた音が聞こえた。おかしい。男は合鍵を誰かに渡したことなどなかった。


 不思議がっているうちに、扉が開かれ、覆面男が現れた。


「あ、まさか人がいたとは。電話に出なかったからてっきりいないものかと思ったぞ」


「なんだお前は。もしかして強盗か」


 男には友達がいなかったので、自宅に金庫があることは誰にも教えていない。それなのに強盗が入ってくるとは。男は自分の不運を呪った。


「そうだ。だが引き下がるわけにはいかない。ちょうどそこに金庫があるな。中身を頂くとしよう。抵抗したら分かっているな?」


「抵抗したらどうなると言うのだね? 私は自分の人生に絶望している。別に殺されたって構わないさ」


「やれやれ、厄介なやつもいたもんだ。死んでも構わないなら金庫のダイヤル番号を教えてくれよ」


「嫌だね」


 男は強盗に抵抗する意思を見せた。


「じゃあそこで見ているといい。すぐに金庫をぶち壊してやるぜ」


「ドリルなんかじゃあ壊れないぞ、その金庫は」


「だがこれならどうかね? 爆弾だ」


 男は思わず後ずさりした。


「威力はちょうど金庫周辺を吹っ飛ばすくらいに調整してある。もちろん音が出るから警察にバレるかもしれないが、ドリルなんか使ってると時間がかかるんでね」


「ちょっと待ってくれ。私の家具はどうなる」


「残念だが、壊れるね」


「それは困る。形見の品だってあるし、そもそも壊れた家具を買い換えるお金だってそんなに無いんだ。金庫のダイヤル番号を教えるから爆弾だけはやめてくれ」


「いいだろう。早く番号を言え。警察に勘づかれるかもしれない。だが嘘をついたら分かるからな。俺は読心術を習得しているから、表情で分かるのだ」


「1789871だ」


 ダイヤル番号に特に意味はない。こういうのは意味がない方がいいのだと男は知っていた。


「嘘はついていないようだな。よし、ではさっそく中身を・・・む、開かないぞ」


「そんなはずはない。ダイヤル番号は勝手に変えることはできないから、私が買ったときに設定したままになっているはずだ」


「しかし開かないではないか」


「1789871とちゃんと入力したのか?」


「ああ入力したぞ。なのに開かない。しかもお前は嘘をついていない。まさか読心術を防ぐ術を知っているのか?」


「私にそんな器用なことはできない」


 覆面男は、男が嘘を言っているようにも見えなかったので余計に混乱してしまった。訳が分からなくなりイライラした覆面男は爆弾を金庫に取り付けた。


「ま、待ってくれ。私が開けよう」


 男は金庫を開けて見せた。


「最初からそうすればいいのだ。中身はあんまりないが、頂いていくぜ」


 覆面男は金庫の中にあった札束を掴み、玄関から出ていこうとした。しかし外からパトカーの音が聞こえてきた。


「しまった。時間がかかりすぎてしまった。こうなったのはお前のせいだ。どうにかして俺を逃がせ。協力しないとただじゃおかないぞ」


「わ、わかった。そこの窓から出て右側に行き、2つ目の角を曲がった道を行くと誰にも見られず駅前まで行くことができる」


「そうか。じゃあ逃げさせてもらうぜ。あばよ」


 覆面男は、男が嘘をついていないと読心術で判断したので、その言葉を信じた。しかし覆面男は警察に捕まってしまった。


「あっ、駅前に出ると言っていたはずなのに交番の前に出てしまった。やはりあの男は大嘘つきだ」


「お前だな。ここ周辺で騒ぎを起こしている強盗は。逮捕する」


 かくして滑舌の悪い男は警察から事情聴取を受けることになった。しかし男は滑舌が悪い。はっきり喋ろうとしてもしどろもどろになってしまった。


「つまりあなたの家に強盗が侵入して、あなたに金庫を開けさせてお金を盗んだんですね?」


「はい。まさにおっしゃる通り」


「しかしあなたは嘘をついて強盗を何度か刺激しましたね? あれはなぜです?」


「とんでもない。私は嘘なんてついていないですよ」


「しかし強盗からの話だと、嘘のダイヤル番号を教えたり嘘の道順を教えたりしたそうじゃないですか」


「私はちゃんと1789871と教えましたし、道順も正確に教えました」


「おかしいですね。強盗は7189877と聞いたと言っていました。ははぁ、どうやら分かってきましたよ。あなたは滑舌が悪いですよね。どうやら今回のことはそれが原因のようです。イチとシチの発音が似ているので、かなり聞き取りづらいですよ」


「となると道順は?」


「おおかた右とか2つとか角とか、そういう言葉が別の言葉に置き換わって伝わっていたんでしょう。あなたは滑舌が悪いことを感謝しなくてはなりませんね」


「滑舌が悪く人にバカにされる人生を送るくらいなら、爆弾に爆破されてしまう方が良かったとすら思いますよ、私は」

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