367日
着信があった。
相手はジイ氏の友人だったのだが、ジイ氏は首をかしげた。その友人は今、年越しのパーティーをしているはずだ。
4年に1度の閏年だからとジイ氏の友人は家でパーティーを主催した。ジイ氏もパーティーに誘われたのだが、ジイ氏は毎年こたつに入ってそばを啜りながら、テレビのカウントダウンで年を越すと決めていたので断ったのだ。
それなのに電話を掛けてくるとは。しかも時刻を見るともうすぐ年越し。なにか大変なことでもあったのかもしれない。
ジイ氏は急いで電話に出た。
「もしもし。なにかあったのか?」
「やぁ、元気そうだな。実は電話をかけたのは他でもない、明日の年越しパーティーに招待しようと思ってね」
ジイ氏は耳を疑った。
今、彼はなんと言ったのだろうか?
ジイ氏の聞き間違いでなければ彼は年越しパーティーと言った。明日の年越しパーティーと。
「おいおい、酒にでも酔ってるのか? それともドッキリの類いか? 大晦日は今日じゃないか」
「寝ぼけたことを言うなよ。今年は閏年だぜ。1年が367日ある年だ。だから大晦日は明日だよ」
ジイ氏は耳を疑った。
今、彼はなんと言ったのだろうか?
G氏の聞き間違いでなければ彼は閏年は367日と言った。367日と。
G氏は今まで生きてきた19年間、1度たりとも閏年が366日であることを疑わなかったし、それが正しいことも知っていた。
彼の声色からは酔った雰囲気も冗談を言っているような雰囲気も感じなかった。そのためジイ氏は困惑した。
「か、考えておくよ」
ジイ氏は電話を切り何分か呆然としていた。しかし突然立ち上がるとテレビの電源をつけた。おかしい、どのチャンネルでもカウントダウンをやっていない。テレビまでがドッキリに加担しているとは思えない。ジイ氏は頭を掻いた。
そういえばそばを頼んだときの店員さんも少し様子がおかしかったような?
ジイ氏はだんだん間違っているのは自分のほうじゃないかと思い始めてきた。しかし違う。1年が367日なんてあり得ないはずだ。
ジイ氏はカレンダーを見た。カレンダーの日付を数えれば閏年が366日であることが分かるはずだ。
しかしカレンダーもジイ氏に367日を突きつけた。すなわちいくら数えても367日分の日付が存在するのだ。32日なんて不自然な日付があればすぐに気づくはずだが、ジイ氏は気づかなかった。
ジイ氏は次の行動に出た。
パジャマを着替えることなく車の鍵を握って外に出て、車に乗り込み発進させて近くの寺に向かった。
今日が大晦日なら除夜の鐘をついているはずだからである。
しかし寺では除夜の鐘はついていなかった。
帰り道、ジイ氏が信号に引っ掛かっていると空に満月が見えた。とても丸い満月だ。まるでそう、ちょうど今、目の前の横断歩道を通った老婆の頭のように丸い。
ジイ氏は目を疑った。先ほど耳を疑ったばかりだが、今度は目を疑わずにはいられなかった。夜の町を行く人々の顔が異様に丸いように見えたのだ。いや、人の顔だけでなく目に見える物全てが丸いように見えた。
ジイ氏は恐怖のあまり赤信号を無視して急いで家に帰った。
それからそばには手もつけず、布団にくるまって数時間震えていたが、そのうち眠りに就いた。
目を覚ますと最初にテレビをつけた。テレビでは大晦日特集をやっていた。ジイ氏は思った。もしかしたら夢を見ていたのかもしれないと。あれは悪夢だったのだと。
そう思うとジイ氏は途端に元気になった。仕事もないし今日はのんびり過ごそうと思い、ふとテーブルを見るとそばが置かれていた。そばはまるで長時間ほったらかしにされていたかのように、乾いていた。
そしてジイ氏はテレビに目を移すと戦慄した。
出演している俳優の顔が、頭が、目が耳が手が、全てが満月のように丸いのだ。
急いでテレビを切ったジイ氏は友人に電話を掛けた。
「もしもし。パーティーのことは考えてくれたか?」
「おい、1年は何日ある?」
恐怖で冷静さを欠いていたためか、幼稚な問いしか出てこなかったが、ジイ氏の友人に問いの意味は伝わったようだった。
「今年は閏年だから367日だろ? どうした、体調でも悪いのか?」
ジイ氏は乱暴に電話を切った。
ああなんてこと。ジイ氏は異世界に迷いこんだような気分になった。1年が367日ということはジイ氏の常識では受け入れがたい。だがもしかしたらジイ氏が自分でも気がつかないほど世間に疎かっただけなのかもしれない。
しかし人々や物が異常に丸いのはどう考えても説明がつかない。
ジイ氏はこのことに恐怖していた。
ジイ氏はカーテンを閉め、外部を完全にシャットアウトした。カーテンも丸く、恐怖したジイ氏は次の行動を考えた。まず冷蔵庫を開けて中を確認した。食料品が少しあるだけだった。次にジイ氏はおそるおそる鏡を見た。ジイ氏の顔は丸くなっておらず、安堵した。
それからジイ氏は怯えた顔でベッドに潜り込んだ。起きたばかりで全く寝付けなかったが、外に出る気もテレビを見る気も起きなかった。
かなり時間が過ぎて、ジイ氏がウトウトしたし始めた頃、携帯電話が鳴った。ジイ氏は飛び起きたが、おそるおそる電話に出た。
「もしもし」
「もしもし。電話をするか迷ったんだが、皆にお前のことを話すと心配だとか声が聞きたいだとか言うんだ。どうか顔だけでも見せてくれないか?」
ジイ氏は呆けた返事をして電話を切った。そして少し考えた。もしかしたら友人たちは丸くなっていないかもしれない、となんの確証もないがそう思った。
ジイ氏は車に乗り込み友人の家に向かった。
外まで聞こえてくる音楽に身を委ねながらチャイムを鳴らすと、待ち構えていたかのようにドアが開けられた。
友人の顔は丸かった。友人の目は丸かった。口は、鼻は、手足は丸かった。全てがコンパスで描かれたように丸い友人の姿を見て、ジイ氏は絶叫した。
すぐに自分の車に駆け寄り鍵を取り出す。
しかし鍵も丸い。ジイ氏はそれを放り捨てて走った。
肺が痛くなるのも構わず走って走って走り続けた。
街頭に照らされた夜道はちっとも恐ろしくなく、ジイ氏には道行く人々の丸い顔の方がよっぽど怖かった。
ついにジイ氏は疲れから、道端の小さな石につまずいてしまった。彼は自分を転倒させた丸い石を見て、再び絶叫した。そして履いていた丸い靴を脱ぎ捨て、また駆けた。
幸いだったのは自分の足は丸くなかったということだった。全てが丸い世界で自分だけが丸くないことが心の支えとなり、ジイ氏の足は動いた。
しかし除夜の鐘が聞こえ始めた頃、ついにジイ氏は道路に倒れてしまった。全力ダッシュでもう2000mは走っていたので、体力の限界だったのだ。肺がひっくり返り、心臓が破裂したような感覚に身をよじった。
その時、ジイ氏の手を握る存在があった。女性だ。柔らかで包み込むような優しい手で、倒れたジイ氏を助けようとしてくれていた。
しかしジイ氏はその女性の顔を見てしまった。
丸い。顔のパーツ全てがコンパスで描いたように丸い。体のパーツ全てがコンパスで描いたように丸い。
ジイ氏を安心させようと思ってか、その女性が無理に笑顔を作ったため、白くて丸い歯を見てしまい、とうとうジイ氏は恐怖のあまり気絶した。
どれくらいが経っただろうか?
ジイ氏は朝日とともに目覚めた。寒さで震えながら、新年のご近所さんに新年の挨拶をする老人の姿が見えた。老人の顔は、丸くなかった。
それから24年が経ったがジイ氏はいまだにあの日の出来事が忘れられない。存在しないはずの367日目に、ジイ氏は確かに別世界に紛れ込んだのだ。全てが丸い別世界に。
後で聞いた話だが、友人は367日目のことは全く覚えておらずジイ氏がパーティーへの誘いを断った後のことはなにも知らないという。
あの日の出来事から閏年が来る度、ジイ氏の脳裏に丸い世界が浮かんでくる。あの出来事のせいでジイ氏は好きだった先輩への恋を諦めた。その先輩は丸顔だったのだ。ジイ氏はもう丸顔を見るのも嫌になってしまい、閏年には必ず1人で過ごすようになってしまった。
散歩がてら年越しそばを買って家に帰る途中、1人の女性とすれ違った。その女性はコンパスで描いたような、満月のような丸顔で、ジイ氏は思わず振り返ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます