善良な人々
着信があった。
「もしもし」
「もしもし。私だ。とうとう完成したぞ」
相手はエヌ博士だった。ケイ氏はある食品会社の社長で、以前からエヌ博士に新薬の開発を依頼していたのだ。
「とうとう完成したのか。あの薬が」
「あぁ。人々の悪い心を消しさり、善良な人々にする薬が完成したのだ。さっそく貴社の食品に混ぜてもらうために、車で送ったよ」
ケイ氏は喜んだ。我が社の食品を食べるとあなたの子供は優しい子供に育ちます。このフレーズを使えばどれだけの利益を上げられるか。実際に効果があるのだから文句も言われまい。ケイ氏の頭の中で札束が飛び回った。
「それで、約束の金だが」
「あぁ、払うよ。この薬を使えば我が社は莫大な利益を得られる。それに比べたら安い金さ」
「私は金さえもらえればそれで良いのだ。次の研究ができるだけの金さえもらえればな」
しばらくするとケイ氏の元に薬が届いた。
ケイ氏はそれを薄めて自社の食品に混ぜた。
その食品はある家庭のサラリーマンが食べた。
サラリーマンは食品に表示された文句を見てこう言った。
「この食品を食べるとあなたの子供は優しい子供に育ちます。なんて素晴らしい。こんな食品を開発する会社にはもっと繁盛してもらって、多くの人にこの食品を届けてもらわねばならぬ」
サラリーマンは貯金を全額その食品会社に寄付した。
その金でさらに薬の混ぜられた食品は製造された。
また、ある人のところに薬の混ぜられた食品が届いた。
その人はヤクザの組長であった。
ヤクザの組長は食品を口にするなり、こう言った。
「俺は一体何をしていたんだ。違法薬物の販売、詐欺、あまつさえ殺人すら行ってしまった。誰か俺を裁いてくれ。そうだ、警察に行って全て自白しよう。この金はどこか適当なところに寄付してしまえ」
その金は孤児院に寄付された。
孤児院の院長は寄付された金で、薬の入った食品を買って子供達に食べさせた。院長も一緒に食品を食べた。
「私は今まで身寄りのない子供達だけを保護し、育ててきたがそれは間違いだ。親がいて孤児でなくても、親によって苦しめられている子供がいるなら、平等に保護し愛するべきだ」
また子供達。
「僕らは院長に頼ってばかりで、なんの社会の役にも立っていないじゃないか。ボランティアに参加し、海外の貧しい子供を救うべきだ」
その子供達はボランティアとして、貧しい国に薬の混ざった食品を持って行った。現地では紛争が起こっており殺伐とした空気だったのだが、食品を食べた者から武器を捨てて、敵兵とハグをするようになった。
それを見た記者がニュースで報道。その食品がぜひ欲しいと会社に殺到。ケイ氏は無償で食品を提供する。彼も薬の混ざった食品を食べたのだ。
無償で提供された食品は、瞬く間に全世界の家庭へ届けられる。そしてほぼ全ての人が食品を食べた。世界中のほぼ全ての人が善良な心を持ったのだ。
善良な人々は憤怒を忘れた。
世界中から戦争、紛争、争い事がなくなった。
血を流す者も、涙を流す者もいなくなった。
善良な人々は嫉妬を忘れた。
自分より優れた人間に対して、なんの妬みも持たず接することができるようになり、人々の輪は広まった。
善良な人々は強欲を忘れた。
宇宙開発、科学技術の研究、そういった新しいことに対する熱意は今に満足しない強欲とみなされ全て中止された。当然食品を食べたエヌ博士も、新しい研究を中止した。
善良な人々は怠惰を忘れた。
皆が食べ物を作り、工場で働き、世界中に物が溢れた。
例え物が余っても、善良は人々は働くことをやめなかった。
善良な人々は色欲を忘れた。
子供は生まれなくなった。
そのうち、服も必要なくなった。誰も恥ずかしがることはないのだから。
善良な人々は暴食を忘れた。
食べ過ぎを抑え、肥満はなくなった。
適度に食べ、適度に働くので人々は健康になった。
善良な人々は傲慢を忘れた。
いつでも謙虚な心を持つようになった人々は、まさに美徳に溢れていた。
そのうち善良な人々は歌いながら手を繋いだ。
もう戦争も、病気も、飢餓も、なにもないのだ。
皆が笑顔で幸せで、これこそ地球のあるべき姿。
最後に人々は皆で笑った。
声を合わせて笑った。
その善良な笑い声は、宇宙の端まで届きそうなほどに、大きかった。
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