第9話 閑話~地を這う~

 里を離れて二週が過ぎた昼頃、龍厳は目的の土地へと着いていた。


 かつての産まれ故郷でありながら、怒り、恨み、哀しみ、負の感情しか向けられぬ、虫酸の走る、しかし必ずや訪れる事を唯一切望した土地。




 だが、ここに来て龍厳は少し戸惑っていた。


 思っていたのは、荒れた土地、廃れた集落とそこに住むみすぼらしい身なりの痩せこけた村人。


が、現実はまったくその逆だった。


手入れの行き届いた広い田畑、どんな風雪にも耐えられそうな立派な家屋、小太りな者すらいる健康的な人々。




「もし。すまぬが道を尋ねたい」




 畑から収穫の帰りであろう、馬をひいた男に声をかけた。




「この辺りは矢能瀬で違いないだろうか?数十人がくらす村があったはずだか…」




 男は一瞬眉を潜ませ答えた。


「お武家さん、あの村の馴染みかい?残念だが、あそこはとうに無くなっちまったよ。あそこに大きな杉の木があるだろう?その根本に当時そこに住んでた人数分の地蔵様が祀られてる。お参りしてくと良いさ。」




「どういう事だ?話を聞かせてもらえないか?」




「あぁ、構わねえよ。矢能瀬の人達は気の毒な事だったが、お陰さまで今はまっとうな暮らしが出来るようになった。この土地のもんなら誰でも知ってるし、喜んで話してくれるさぁ。」




「歩きながらで勘弁しとくれよ。」そういうと男は馬を引きながら歩き始めた。


「あぁ、頼む。」男が先程指差した杉の大木を遠くに眺めていた龍厳は、男の横に並んだ。






 悲惨な話だった。


 昔からこの辺りは豊かな土地だった。


 それもこれも、当時の領主、つまりは龍厳の父までの代が、開墾、治水、土の改良と軽い年貢を是としており、住み易いがゆえに子も多く産まれ、新たに住み着く者も増えた為であった。


 が、ある時突然領主が処断され、その妻子も姿を消した。


 矢能瀬村の人達は新たな領主に従わず、見せしめに皆殺しにされた。それも格別惨たらしい方法で。


 まずは男衆を縛り、その親達に石で殴り殺すように指示。当然従う者などいない。すると領主は親達を殺し、次に妻子に同じ命令をする。抵抗した妻子はやはり殺された。




「ひでぇ光景だったよ。おらぁ、この時はちいせぇガキだったが、無理やり連れて来られてこの目で見させられたんだ。今でも頭に焼き付いて離れやしねぇ。縛られた男達の中には『俺を殺せ』と泣き叫ぶ者もいた。ガチガチ震えて小便漏らしてるのや、領主に『殺してやる!殺してやる!』と怒鳴り続けるもんとかな。妻や子供も、オヤジを助けようと縛を解こうとして殺されたり、『ゴメン!ゴメン!』と言いながら石で何度も亭主の頭を殴り付けたり、領主にすがって『代わりに自分を殺してくれ』と頼みこんでたりな。で、どうしたと思うね?領主のヤツ、笑ってやがったよ。ニヤニヤと嫌な笑いかたしてやがってな、んで言ったんだ。『女子供を殺せ』って。衛兵達が槍や刀で皆殺しにしたよ…」




男は歩みを止めると、龍厳に向き直って続けた。




「縛られた男衆をやったのは誰だと思う?おれらの親達さ。領主のヤツ、近くのガキども捕まえて、『子らを助けたくば、ヌシらが殺せ』とかぬかしやがった。うちの親父も殺しに加わったよ。俺が捕まってたからな…あんなのは人のやるこっちゃねぇ。あんなのが人であってたまるかよ…」




その後の生活は大変だった。


 今まで溜め込んだ食糧のほとんどを持っていかれ、また年貢の量も数倍に増えた。


 「食うものがない」と言えば「口減らしだ」と言って老人、病人を殺され、食糧や金品を隠していると疑われれば家を焼かれた。


 そんな生活も五年で終わりを迎えた。




 領主の仕える大名が代わったのだ。


 新たに大名となったのは先代の実子で、元服からまだ数年の年若き大名だった。


 先代は急な病で死去したとされるが、その後を見るに、若き大名の手による暗殺であることは明らかだった。


 


「その後は何をどうしたらあんなにも手際良くできるもんなのか…おぉ着いた。ここが俺んちだ。今は口うるせぇ女房もいねぇし、続きは一杯やりながらといこうや。」




 男は仏壇の前に酒の入ったお猪口を置くと、龍厳にも酒を進めた。




「新しい大名と先代の取り巻き、この国は真っ二つに割れてな、俺の親父は大名の側で戦って大怪我をおったんだ。それが元で死んだよ。だが、清々しい顔してやがった。矢能瀬の一件の後からちょくちょくやってくる薬師がいたんだが、そいつが麻酔くれてたからな。腕の良い奴だったんだが、親父が死んで以来来なくなっちまった。風の噂じゃぁ、その薬師が各地の村を渡って一斉蜂起の話をつけて回ってたってんだが、まぁあり得ねぇ話じゃねぇ。…っと、話が逸れたな。」




男は酒を一気に流し込むと話を続けた。


「ちなみに、親父が清々しい顔して死んだのは何も麻酔のお陰ってだけじゃねえ。矢能瀬の男を手にかける時約束したんだとさ。必ず仇はとるってな。」




 先代の死去後、新大名はすぐに行動に出た。


 先代の取り巻きの粛清である。


 大名と言えどもそれは容易な事ではなかったはずだった。


 まずは、いくら大名とはいえ、即決、即行動とは行かない。賛同する者を集め、装備を整えなければならない。


更には取り巻きの数。先代の取り巻きは多数に及んでいたからだ。先代のやり方に異を唱える者の多くは力を削がれ、抗う力をほとんど持ち合わせてはいなかった。


隣国との問題もあった。北は海、南は山脈に隔てられたこの国の東西には、片や友好国、片や敵対国が存在していたのだが、新たな大名に対しこの二国がどう動くかという予測がつかなかった。


 問題はまだある。仮に粛清が成功したとして、各地の領主を一度に多数失うわけである。その後の土地や民の管理、守護をどうすべきか。誰に任すにせよ、各地で暫くは混乱を招くことになり、隣国の動向が読めない内は動きようがない。はずだった。




 が、それらの問題はまるで無かったかのように終わった。


 驚く程あっさりと。杞憂であったかのように。






 それは夜明けと共に始まった。


 新大名となってからも続いていた地獄の様な日々の終焉を知らせる狼煙が上がったのは、大名家の本城から。


その狼煙を確認したかのように、各地で一気に狼煙が上がる。と、同時に一斉蜂起。


『新しい年若き大名なぞただのお飾り』そう高を括っていた取り巻き達は、何の備えも出来ていないままその時を迎える事になってしまった。






「たったの二日だよ。蜂起から残党狩りまでたったの二日。信じられるかい?」




もう何杯目だろうか?男はだいぶ酔いが回ってきているようで、やや呂律が回らなくなってきていた。




「いやぁ~あん時ぁもうねぇ、がー!って感じだったね!親父が突然鍬やら鎌やら持って走り出したかと思ったら、親父だけじゃねえ、よそんちのとっつぁんなんかも走り出してよ、何事かと思って俺も着いていったら、林から足軽やら騎馬隊やらまで出て来てたまげたの何の。で、全員が向かう方向からしてよ、おらぁ気づいたわけよ。気づいた途端、俺も熱くなっちまったなぁ…」






「…矢能瀬にはよぉ…たまにだったけど…一緒に遊んだ年のちけぇやつらもいてよぉ…一緒に悪さしてげんこつくらったり、山で迷って泣きながらさ迷ったりしてさぁ…」




 男はぐずぐずと鼻をすすり、涙を拭いながら酒をあおった。




 一斉蜂起から三日目。


 大名家の本城前に各地の領主の首が晒されていた。が、誰が誰なのか、よくよく見なければ判別つかない状態だった。どれもこれも、斬首される前に相当な暴行を受けていたと見え、顔中痣や瘤で見るも無惨な様子であったから。


 当然、憐れみの言葉を口にするものはいなかったが…。








「その後はなぁ…ふわぁ…他ん所はどうなったかは知らねぇ。ここは新しい大名直属よぉ。殿は良い人でなぁ………たまに様子を見にきちぁ、畑仕事の手伝いまでしようとして、お付きの人によく叱られてらぁ…むしろ邪魔になるからおやめなさいってよぉ…」




 うへへ…うへ…エヘヘヘ……と、変な笑いかたをすると、男は横になった。




「何でもなぁ、ここは返すべき人がいるから、それまでは自分が預かるんだとさぁ…………幼少の頃、その人に不快な思いをさせてしまった、せめてもの詫びなんだとさ…………」




 男は今にも寝そうだ。






 「今、この国は良い国か?」




 龍厳が尋ねる。




 「…んぁ?何言ってんだい。今の俺を見てみなよ。極楽さね……………」




 男はいびきをかきながら眠ってしまった。


 龍厳はお猪口を持つと、仏壇の前に座り飲み干した。




 「うまい酒を馳走になった。…これにて…」






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 大きな杉の下には数十体の地蔵が並んでいた。


 その地蔵を一つ一つ、丁寧に磨く大男の姿があった。


 


 日が沈んでも、ずっと。






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「ん?あれは龍厳様ではないのか?」


「おお、本当だ!春さんを呼んで来なさい!」


「春姉ちゃーん、旦那様のお帰りだよー!」


「こら、幹太!気の早い事お言いでないよ!」




 すっかり打ち解けた、新たな故郷の面々が龍厳を迎えた。




 報せを聞いて急いで駆けつけた春は、頭の手拭いを取り少しハニカミながら頭を下げた。




 「お帰りなさいませ」




 「あぁ、ただいま」




龍厳の顔には、微かに笑みがあった。


ぶっきらぼうで、無骨で、優しい笑みが。




「もう、お済みになられたのですか?」




「あぁ、終わっていたよ。とうの昔に、俺などがやるよりも遥かにうまくな。まったく…」




「それはよう御座いました」




「良かったのかどうか…これまでを思うと腑に落ちん」




 龍厳は悪戯っぽく笑って見せたが、胸中複雑である事は確かだった。




「少なくとも、私にとってはよう御座いました。龍厳様のご無事が何よりで……!」




ハッとする春。




 「お風呂の支度をしてまいります!」




 ニヤけ眼の周囲の視線に気付き、手拭いで顔を隠しながら逃げ出した。


 …途中転んだ。








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 龍厳は風呂に入りながら昔を思い出していた。


 父に連れられ、何度か登城した事がある。その際、大名の世継ぎとなる一人息子の遊び相手をした。


 まだ幼く、しかも随分と昔の事なので、お世継ぎの事はあまり覚えてはいない。せいぜい自分より二つ三つ歳が上という程度しか記憶にない。


 城からの帰り道、父は何も語らなかったが、その顔がいつも憂鬱そうであることは見て取れた。


 お世継ぎにせがまれ何度か共に登城したが、父の憂鬱そうな顔を見るのが嫌で、遊びにも集中出来なかった。当然、登城も嫌で仕方なかった。


 子供ながらに憂鬱なのを隠していたつもりではあるが、お世継ぎには気付かれていたのかもしれない。


 だから、呼ばれなくなったのかもしれない。




『気にかけていてくださったのだろうな。今もまだ、気にかけていてくださるか…』




『東馬様然り、お世継ぎ然り。栄蔵殿に春殿。村の皆も』




『終わったのか…終わっていたか…俺は何をしていたのだろうな…師匠に会わなければ今もまだ…』




『……………』








「春殿、そこにいるか?」




「はい。熱すぎますか?」




「俺はどうやら一人では何も成せぬ愚か者のようだ。」




「そうなのですか?ここでは大変な御活躍ですけども…?」




「ここだからだ。ずっといても良いか?」




「…今更何を仰います?私はいていただくつもりでおりますよ。」




「そうか。ならば共にいよう。」




「……今日は随分と口数が多いのですね。」




「俺とて初めて嫁をもらうとあれば気も張る。」




「東馬様が聞けば、さぞやお喜びなさるでしょうね。」




「あぁ、『茶化すネタができた』とさぞや喜ばれるだろうよ。」








 過去を払拭できたわけではない。


 全て終わっていた事に、胸中にむず痒さを感じないでもない。


 己が今まで散々殺めてきた人に対する罪悪感もある。


 全てに対し納得できようはずもなく、かと言って今更どうする事もできず。


 何をどうすれば良いかなど、後になってみなければわかりようもなく…




 ならばせめて、後悔なきよう。


 最善ではなくとも、より良い選択を。


 己に成せぬならば、せめて成そうとする者の手助けを。




 世の為に。人の為に。


 其れが己が為。








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