第7話 帰結、そして循環

「いただきます」




  誰からということなく口にし、手を合わせ、食事を始めた。


  当たり前のように始まるいつもの言葉と作法。




『いただきます』




  料理を作ってくれた人への感謝。


  食材を提供してくれた人への感謝。


  食材となった者への感謝。


  そして、いつしか言わなくなった言葉。


  ここ最近は食事の際、気付けば口にする言葉だった。




  ごく当たり前の作法、至極当たり前の行為。


  当たり前の生活。


  人として産まれ、人として育ち、人に人生を壊され、獣として生き、鬼として育ち、そして出会ったのは………




 


  夜更けの事だった。


  東馬が読み物をしていると、部屋の外からギシ、ギシと重くゆっくりと板の軋む音が聞こえ、止まった。


  少し間を置き、微かに深呼吸の音。




「どうした?龍厳」


「少し宜しいでしょうか?」


「あぁ」




  静かに襖が開く。




  龍厳は部屋に入る事なく、その場で深々と頭を垂れた。




「不出来な弟子で申し訳ございません」




「数々の御恩、何一つ気付かぬばかりか、御恩返しする事すらなく…」




  土下座の姿勢のまま、龍厳は拳を強く握りしめていた。


 言葉にすればするほど、己の浅はかさが恥ずかしく、情けなく、悔しかった。




「はて、何の事か」




  東馬は書物に目を落としたまま答えた。




  白々しい口調、とぼけた台詞。そして優しい微笑み。


  下を向いたままの龍厳にも、東馬の笑顔は容易く頭に描くことができた。


  時には父のような自信に満ちた、時には母のような優しい、時には友のようないたずらっぽい、その笑顔一つ一つが、全て自分の方を向いていた。




  長かったのか短かったのか、沈黙の後、龍厳は口を開いた。






「栄蔵殿に、『帰ろう』と言われました」




「うん」




「春殿に、『おかえりなさい』と言われました」




「…そうか」




 書物を閉じる音が微かに響く。






「…帰る家など、とうに無くしたものと…」




「新たに作ってはならぬ、などという法もあるまい」




  東馬は体ごと龍厳に向き直った。




「…弟子にしてくれなどと、…己から申し上げたにも関わらず…」




「はて、何の事か?」




「私は弟子をもった覚えはないよ。友の新しい門出だ。喜ばしい事じゃないか。いや実に結構。」




  優しい、とても優しい口調だった。




  大男は大きな体を小さく丸めたまま、顔を上げなかった。


  上げられなかった。




  龍厳は深く下げた頭を更に深く下げた。


  その下に落ちた、小さな水滴を隠すかのように。






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  翌朝、栄蔵がなかなか起きてこない東馬の事を龍厳に尋ねるも、龍厳はばつが悪そうに明後日の方を向いては頭をかくばかりなので部屋に起こしに向かうと、部屋には一通の置き手紙があった。


 


『永らく世話になりました。友を頼みます。神代東馬』














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 それから数十年、龍厳は今際の際に子や孫にこう言い残した。




「彼の者は師である。よくならい、よく学べ。」




「彼の者は友である。共に語り、共に笑え。」




「彼の者は神仏である。畏れ敬い、頼るべからず。」




「彼の者の名を語るべからず。彼の者を貶めるべからず。何人かに彼の者の事を尋ねられた際にはこう答えよ。彼の者は我らが"主"であると。」




「我ら一族絶す事なく、"主"の御前にて恥ずる事なきよう、日々研鑽を積むべし。」






  後に東馬の手足として働いた龍厳の長男、女中として同居した長女を筆頭に、二階堂一族は数多くの優秀な人材を輩出し、また、東馬の助けとなる者も現れる事になる。












  龍厳の死後およそ500年が過ぎ、今際の際の言葉をその子孫から聞いた東馬は笑っていた。




「あの唐変木めwww」








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