第6話 「おかえりなさい」

「好きな食べ物?」




「はい。何かございましたらお教えくださいまし。出来るだけご用意いたしますので」




 東馬達が沢那の家に住み始めて二月が経った頃だった。


 農作業の合間に、春は東馬に「食べたい物はないか」と尋ねたのだ。若干の下心を隠して。




 「ん~、私は旨い物なら何でも…何なら龍厳に聞くと良いだろう。きっと素っ気ない返事をするだろうが、食べたい物の一つや二つ、何かしらあるだろう」




 「龍厳様ですか…私の話を聞いてくださるでしょうか?龍厳様、いつも私が話かけますと黙りで…嫌われてやいないかと…ご迷惑なのかもしれませんし…」


 


 とは言いつつも、春もまんざらではないのは透けて見えた。口元が少しにやけていたから。


 どうやら、春は隠し事が出来ないたちのようだ。


 俯きながらニヤニヤモジモジする春を見ながら、東馬は更に後押しした。




「あぁ、そういえば、龍厳が言っていたよ」




「?」




『ここに来てから飯が旨く感じます。その…春殿の作る飯は…その…旨い』




 東馬はしかめっ面でわざと低い声をだし、これまた俯きながら言った。当然、龍厳の真似である。


 本来笑う所なのかも知れないが…




「まぁ!龍厳様がそのような事を!?…」




 頬を土で汚れた両手で押さえながら、更に勢いよくモジモジし始めた。




「そろそろ父君達も山から帰って来る頃合いかな?」




「まぁ、いけない!すぐに夕食の仕込みをしなくては!」




「片付けは私がしておくよ。春殿は支度を頼む。龍厳が期待してる」




「もう、神代様!からかわないでくださいまし!」




 春はペコリとお辞儀をすると、胸に(土で汚れた)手を当て、勢いよく走り出した。


 東馬は、まるで少女のような純粋さを微笑ましく感じながら、決して少女ではない春の年齢を思い出しては、一人笑ってしまった。






 栄蔵『儂を48でジジイ呼ばわりするが、お前なんぞ若く見えても24ではないか。この行かず後家めが』




 春『良いのです!女は若い事よりも若くある事が大切なのです!それに棟梁の娘として、誰彼構わず嫁にやるなどできん、と娘の貰い手を決めなかったのは父上ではありませんか!』




 仲の良い父と娘。


 生粋の忍ではないとはいえ、なんとも砕けた間柄が、ここが忍の里だった事を忘れさせる。


 心なしか、龍厳の表情も柔らかく見えた。






 春が龍厳に恋心を隠し持っているのは、誰の目にも明らかだった。


 隠しているつもりの春と、朴念仁の龍厳を除けば、だが。


そして今、その春は武術の手解きを龍厳から教わっている。


 これは、父、栄蔵からの依頼であった。


 


「一つの流派に一生を捧げるのも悪いとは思わんが、やはり我らは腐っても忍。勝てずとも負けるわけにはいかん。武を競うよりも生きて戻る事が肝要。ならば自流他流に拘らず、相手の手口を知る事をまず優先すべきだ」




 との事で、村の男衆に稽古を付けるようになったのだが、そこに何故か当然のように春がいたのは、ちょっとした驚きだった。


『忍の棟梁の娘として、自分の身程度は守れなくては』との思いで、多少の技は父から教わっていたのだが、これがまた思いの外筋が良く、なめてかかろうものなら、それなりに鍛練した男でもあっさりと返り討ちにあってしまう程だ。




当初は東馬と龍厳の二人が指導するはずだったのだが、東馬のレベルには程遠い者ばかりだった為、やむを得ず龍厳が一人で指導する事になった。


 が、これは龍厳としても得るものが大きかった。




 まず、しっかりと鍛練をつんだ集団との、一対多数の試合。


これまでは一対一の武芸者同士、もしくは、一対多数のならず者。ならず者の中にも多少腕のたつ者はいたが、しょせんは弱いもの相手の素人。龍厳の相手ではなかった。


が、忍の里ともなれば話は違ってくる。


 飛び抜けて腕の立つ者こそいなかったが、皆が皆そこそこの腕前で、更にそれらが上手く連携してくる。


龍厳程の達者でも、同時に五人も相手にすれば、十度の内三本は取られてしまう程だった。


 ちなみに、東馬は24人全員を同時にあっさりと打ち取り、男衆の心を完膚無きまでにへし折った。お陰でその後の龍厳の指導への食らい付き方も尋常ではなくなったのだが。




 また、龍厳の指導もうまかった。


 幼い頃から強くなれるよう、自分より体格や力に勝る相手にはどうすれば良いか工夫を凝らす事を怠らなかった為、今の大きく強い力だけに頼る事なく、それらをどう生かすかに重点を置いた結果だった。


 体格や得意な戦術の異なる一人一人に的確なアドバイスを与え、男衆もその指導を忠実にまもり、且つ熱心に取り組んだ為、全員メキメキと腕を上げていった。


 それは、優れた指導者である龍厳への信頼となり、その龍厳が師と仰ぎ、自分たちが束になっても敵わない東馬への崇拝になった。




 そして最後に得たのが、春から龍厳への恋心である。


 一見すると無愛想で怖そうな大男。実際無愛想で怖い大男なのだが、それだけではなく、実は優しく繊細な一面もあり、そのギャップに惹かれるようになっていた。


 ちなみに、その頼り甲斐のある大きな身体、威厳のある厳つい顔、師匠への忠誠心、指導者としての実力、それらは春の理想の男性像そのままだった。そして、その父にとっても。






 栄蔵と龍厳が山から降り、村の入り口付近まで着いたころ、その日一日朝から何か考え事をしていたであろう、口数の少なかった栄蔵がとうとう切り出した。




「なぁ、龍厳殿。ここに腰を落ち着ける気はないか?」




「?」




 いずれここも去る。次は何処へ行くのか。そう思っていた矢先の事だった。




「お主らはこのまま旅を続ける気かね?………ん、色々考えたが、やはりまどろっこしいのはいかんな。春を娶り、この村の棟梁になってはくれんか?」




「!?」




「いや、なに。婿になれとは言わんよ。沢那の姓は継がずとも良い。この村の棟梁を継ぎ、春を妻に迎えてもらえるのなら、それ以上望む事はない。」




「…いや、その、何故某が?我が師ならばともかく…」




「本当にそう思うかね?確かに東馬殿は優れたお人よ。おそらく、何をやらせても誰よりも上手くこなせるであろうな。だがな、龍厳殿、ここで指導者として信頼を築いたのは他でもない、お主だ。東馬殿もできたやもしれん。が、しなかった。お主はやった。今ではこの村ではお主こそが"師"なのだよ。東馬殿は尊敬に値する武人よ。あの強さだ、崇拝する者さえいよう。だがな龍厳殿、崇拝は神仏にするもの。我らに必要なのは人だ。優れた統治者だ。お主こそが適任なのだよ。それにな、春もお主に惚れとる。儂も人の親だ。娘の幸せの一つや二つ、叶えられるものなら叶えてやりたい」




「……某は師匠のもとで強くなると誓った身。それにお供を許された御恩も返せては……」




「すぐに返事を貰おうとは思っておらんよ。いつまででも待つさね。…後程、東馬殿にも話をさせてもらうが、かまわんかね?」




「…………」




 龍厳は答えなかった。


 答えられなかった。


 迷いがあったからだ。


 力への渇望はなくなったわけではない。


 しかし、これまでの東馬との長旅で、普通の人間らしい生活を知ってしまった。


 人から尊敬され、求められる事を知ってしまった。


 これまでは、東馬の従者として。


 しかし、今は龍厳個人を。




 かつて愛されていた。


 愛してくれる人を奪われた。


 人の命を奪い続けた。




 その自分が、また振り出しに戻るのか?


 戻れるのか?


 戻れる?戻りたいのか?


 だが、東馬様はどうする?


 まだ何も恩を返せてはいない。






 !




 あぁ、俺は愚かだ!


 何故?何故今まで気付かなかった!?


 今まで町や村に滞在していた日々、あれは全て俺の為だったんじゃないか!


 鬼が出る迄は短期間、それ以降は長期間。


 まさか、この機会を作る為?


 この村での事もそうだ。


 御自身が指導しなかったのも、あえて親密にならない為?


 俺を引き立てる為?


 わからない!


 何なんだ!?


 俺の為なのか?


 ただの気まぐれなのか?


 気まぐれ?


 何年一緒にいた?


 わからない!


 どれだけ長い間供をしたのか?


 それだけ長い間気まぐれは続くのか?






 俺は何もわからない…


 俺は、今まで…何を………








 まるで鈍器で頭を強く殴られたかのような、そんな衝撃に襲われ、龍厳には珍しく驚いたような、泣き出しそうな、そんな顔のまま立ち尽くした。




「俺は…ずっと…救われていたのか?」




 消え入りそうな声だった。




 何かを察したのか、栄蔵は何も言わず、龍厳から目を反らした。




 栄蔵の屋敷から、湯気が登っているのが見えた。










 しばらくして、栄蔵が口を開いた。




「帰ろうか、龍厳殿」






「えぇ、帰りましょう」










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