第二章

第二章

富士宮市の、山里深い山間部に土谷瑞希のサロンはあった。道路脇にポツンと立っている小さな家であるが、しっかりと、メイクアップセラピーサロンと、看板が玄関についている。

その日、土谷瑞希のサロンに、二人の女性がやってきた。二人は間違いなく親子と思われるが、ふたりともなんだか、疲れ切ったような顔をしている。

「どうぞお入りください。」

瑞希は、二人をとりあえず応接間に案内した。そして、二人を椅子に座らせ、暑い季節だからと、冷たい紅茶を差し出した。

「今日は、暑いですね。僕は、このサロンを主宰しています、土谷瑞希です。よろしくおねがいします。」

とりあえずそれを言っておく。

「ありがとうございます。私は金原硝子といいます。こちらは、母の、」

と、若い女性は言った。

「金原ゆかと申します。」

中年女性がそういう。

「わかりました。じゃあ金原さん、いつ頃から、何について悩んでいたのですか?他人の視線が気になるとかそういうことですか?それとも、僕みたいに悪性黒色腫の除去手術をして、その痕をメイクアップで消したいということでしょうか?」

と、瑞希はできるだけ、わかりやすい例を示した。メイクセラピーにやってくるのは、大きな手術のあととか、怪我のあとをメイクアップで消したいという人が5割、残りは精神科疾患などあって、自分の顔が嫌になったとか、顔を見られている気がするので別の顔にしたいという人たちである。最近は、後者の例が多くなってきている。稀な例だが、別の人格を持っていて、全然本人のこのみとは、違うメイクを施してくれと言ってきた例もある。

「具体的にどんな感じの顔になりたいのか、仰有ってくださいますか?」

瑞希は、彼女に聞いた。

「これまで、家の中だけの生活でしたので、少しメイクをして、外に出てもらいたいと思いまして。」

と、彼女の代わりに母親がいった。

「なるほど。いつ頃から、閉じこもるようになってしまわれたのでしょう?」

瑞希が聞くと、

「ええ、ある時急にという表現がぴったりだと思いますが、本当に、学校で夏休みの始まる直前から、学校に行かなくなり始めました。学校と言っても、大学なんで、女子学生のメイクは自由なんですけど。夏休みの補習とか、そういうものもあるんですけど、それにも行かなくなりました。もう一体なにが何だか私も、わかりません。」

と、母親は答えた。

「学校にいけなくなった理由みたいなことはありますか?」

瑞希は、硝子さんに聞いてみる。でも学校にいけなく成った理由なんて、そんなに簡単に話せるはずもないかと思う。

「ええ。ちょっと、いけないことというか、悪いことがありまして。」

と、硝子さんは言った。

「そうですか。今日は、そういう事を話すことも難しいでしょうから、とりあえず、顔に頬紅を刺して、明るい顔つきにしてみましょうか。気持ちも明るくなるために。」

とりあえず、瑞希はそういって、施術するためにファンデーションをとった。そしてはけをとって、硝子さんの顔に縫ってあげた。彼女の顔についていたそばかす等を、ファンデーションは、見事に消してくれる。かと言って、ペンキを塗るような気持ちで縫ってはいけない。相手は、生ものの女性であるから。彼女ができるだけ明るくなってくれるように、思いを込めてメイクアップした。

「さあどうぞ。終わりましたよ。これで、周りの人からの印象も少し違うんじゃないですか?」

瑞希は、そういって、彼女に鏡を見せた。

「わあ、自分じゃないみたい。」

と、硝子さんは、にこやかにいうのである。それを見て、やっぱり流石ですねと、お母さんはため息をついた。

「それでは、今日の施術ですが、5000円でけっこうです。」

お母さんは、瑞希にそれを渡す。

「じゃあ、次回から、学校にいけなくなった理由とか、そういうことを、お話ししていただけますね週に一回来てください。一緒に、まえむきになる理由を考えましょう。」

と、瑞希は、にこやかにいって、敞子さんの顔を見た。

「はい。よろしくお願いします。」

お母さんも、硝子さんも、嬉しそうな顔をしている。やっぱり美しくなったというのは、いずれにしても、嬉しいことではあるんだと思われるのであった。二人が、次回の日程を決めて、にこやかに輪らって帰っていくのを眺めながら、瑞希は嬉しいなと思うのであった。

それから一週間後の事であった。

予約して頂いた通り、硝子さんが、サロンにやってきた。今度はお母さんの手伝いはなく、一人で電車とバスを乗り継いでやってきたという。この辺りは、電車も一時間に一本しかないが、それをめがけていろいろ準備をしてくるのが楽しいので、何にも苦ではなかったと言った。

「じゃあ、今日は、メイクをしながら、過去の事をいろいろ話してみましょうか?」

と、瑞希は、彼女を椅子に座らせながら、そういう事を言った。

「はい、先生に話すことも、ちゃんと纏めてきました。なんか、先生と放せる時間も限られているし、全部放したら、幾ら時間が合っても足りないので。」

彼女は、タブレットを出して、ノートアプリを開いた。

「はじめは、大学に入って良かったなと思っていたんですが、そのうちに、大学の中が、息苦しくなって来たんです。それまでの私は、高校までは地元にいましたので、大学が初めて都会に出たような物で。其れで、対応できなかったのかもしれません。それとも大学の人たちが、みんな元気だったので、それについて行けなかったのかな。まあ確かにそうですよね。私は、富士宮で育って、富士宮というのは山ばっかりでしたから、そんな中で育った人が、急に静岡市の大学に出て、対応できるはずもないと思ったんですが。」

彼女のタブレットには、年表のような物が映っている。大学入学と書かれているところに、体調が不調になり始め、自律神経失調症と診断されたとある。

「そうなんですね。多かれ少なかれ、周りの環境の急激な変化についていけなかったということは、誰でもありますよ。」

瑞希は、静かにそれを聞いた。

「ええ。病院の先生とか、そういうひとは、そういうことを言ってくれました。でも、学校は、い一度休むと、もう取り返しがつかないですよね。もうどんどん勉強が遅れちゃって。夏休みに補習をやってあげるからと言われたんですけど、其れにも出る気がなくなっちゃって。」

と、硝子さんは、そういったのであった。

「そうですか。学校では、友達もいなかったんですか?」

瑞希が聞くと、

「ええ。学校にはいませんでしたが、学校以外の場所で友達はいました。私、自習室のつもりで、ある施設に通っていました。そこで、ある女性の方と知り合ったんです。」

と、硝子さんは答えた。

「ある女性とはどんな人物なんですか?」

「ええ、確か宮原さんという女性で、彼女も、自律神経が少し弱かったというところがありました。確か、精神科に通っていたんじゃなかったかな。何処の病院であるかはよく知らなかったんですが、時々、飲んでいる薬を少しわけたりしてくれました。でも、その薬は、危ない薬なので、やめるようにと言われて親に取り上げられたんです。」

「なるほどなるほど。ロヒプノールとか、ベゲタミンとか、いろいろ普及している薬でも、危険な薬というのは、いろいろありますからね。」

瑞希は、そう相槌を打ったが、確かに日本は薬王国と言ってもいい。欧米では危険だと言われてとっくに処分されているような薬が平気で使われている。

「そういう名前の薬ではありませんでした。そんな長ったらしい名前ではありません。もっとわかりやすい名前なので、なんとなく今でも覚えています。確か、リタリンという。水で飲むのではなくて、トンカチで砕いたものを、鼻に当てて吸っていました。」

「そうですか、実に危険な使い方ですね。リタリンは、合法化された覚醒剤と言われるほど、作用が強くて危険な薬です。其れを、宮原さんというひとは、使っていたのなら、すぐにやめてもらわないとまずいですね。」

そう一般的な感想を述べたつもりであるが、硝子さんの意見はまた違うようであった。

「そうなんですけど、彼女は、リタリンがあれば、勉強がはかどると言ってました。それに、私よりもずっと頭のいい高校に通っていたし、きっと私よりも、すごい物を持っている人だって、あこがれていたんです。」

「そうですか。でも、薬のおかげですごい高校にいけたというのは、果たして偉いのかどうか、疑問が残ります。薬は決して格好いいというものではないですし。」

「そうなんですけどね。学校になじめない辛さや悲しさをわかってくれたのは、宮原さんだけだったんですよね。それに、そこから逃れるためには、薬を使うしか今は何もないというのも事実ではないですか。」

確かに彼女のいう通りでもあった。学校が辛いとか苦しいとかいっても、聞いてもらえる人は、非情に少ないだろう。それは、学校に通っている生徒ばかりではなく、ほかの家族も余裕が亡くなっているということが言える。

「そうですか。それはすみません、薬物でつながった仲間ではなく、別の手段で仲間ができてくれるといいんですけど。そういう仲間ができてくれたらよかったのに。宮原さんと知り合った施設では、ほかにあなたを支えてくれるような人物がいなかったんですか?」

瑞希が聞くと、

「はい、みんな大人になってしまっている人が多くて、私のことは理解してくれない人が多かったんですが、一人だけいました。」

と、硝子さんは答える。

「だれですか?」

「はい。ものすごく綺麗な人で、多分在原業平もああいう顔だったんじゃないかと思われる位の綺麗な人だったんです。その人は、私に焼き芋くれたりして、親切にしてくれました。でも、私が施設を利用し始めてしばらくしてから、その人は急に倒れてしまって、結局御礼さえもいうことはできませんでした。ほかの人たちは、ああなるのは、いつもの事だから気にしないで良いって言いましたけど、私は、その人になんか申しわけなくて、結局責任をとって施設をやめてしまいました。」

「そうですか。もう少し、図太い神経であれば、そのままその施設を使い続けることもできたのではないかと思いますけれどね。あなたは、ずいぶん繊細な気質ですね。周りに気を使いすぎるというか、考えすぎるというか、そんな気がします。」

瑞希がそういうと、硝子は黙ってうなづいた。

「そうなんです。ですが、私も、感じすぎてしまうことは認めますが、気にしないという言葉の意味がどうしてもわからなくて、それではいけないことはわかっているんですが、どうしてもできないんです。」

「そうですね。では、僕がメイクアップしますから、メイクアップで、違う顔の人間になりましょう。そうすれば、気にしないということもできるかもしれません。」

瑞希は、にこやかに笑って彼女に言った。

「気にしないということは、色んな人がいて社会だと思うことだと思うんです。人は色んな考え方をしていて、色んな行動をとるけれど、それを良いとすることです。そう言うことじゃないでしょうか。確かに、周りの人は変えることはできませんから、今から別の人間として、新しい自分になりましょう。」

「ありがとうございます。嬉しいです。先生、よろしくお願いします。」

硝子さんは、とても嬉しそうだった。こういう繊細気質を持っている人は、外見を劇的に変えることで、かなり買われる可能性があるからである。

「それでは、ファンデーションから塗って行きましょうか。これは、何処の店でも手に入る、きゃんメイクのファンデーションです。」

メイクセラピーには、高価なメイク道具は用いないのが鉄則でもあった。いずれは、メイクを覚えてもらって、彼女自身が新しい自分になって貰うようにしなければならない。

「分かりました。ありがとうございます。」

そういって、彼女も意欲的になってくれたら、嬉しい物である。

一方、富士警察署では、華岡たちの前で、宮原亜子が、取調を受けていた。

「宮原さん、どうしてあなたが、お父さんの宮原典夫さんを手にかけたりしたんでしょうかね。お父さんは、そんなにあなたにとって憎たらしいというか、そういう存在だったんでしょうか?」

と、刑事たちは、彼女に聞いている。確かに、宮原亜子が自首してきたのであるが、動機になる部分がどうもおかしいのだ。なぜ、実の父親を手にかけて、殺害したのか、そこが、警察も気になるところだが、そのあたりを宮原亜子がはっきり言わないので、よくわからないのである。

「理由なんて、いいじゃありませんか。私は、父が憎かったんです。父は、なんでも他人のために色んなことしてきた立派な人ではあるんですが、私の事は何も教えてくれませんでした。なんで私のことを見ないで、他人のことを見ているんだろうって、仕事柄そうだったかもしれないけど、やっぱり憎かった。」

と、宮原亜子は、そういうことを言った。

「そうですが、だけど、あなたの供述だけでは、逮捕するというわけにはいかないんですよ。先ず、あなたが事件を起したと幾ら行っても、物的証拠がなければ。一体凶器はどこにあるんですか。それをちゃんと言ってくれないと。」

と、華岡が彼女にちょっと強く言うと、

「いいじゃありませんか!凶器なんて!其れよりも、私が捕まれば、犯人も捕まって事件は一件落着なのではないんですか!」

と、宮原亜子は、逆上したようにそういうことをいう。

「そんなことありません!警察は、面倒くさいから捜査をすぐに打ち切るような組織ではありませんよ!本当に凶器は何処にあるか言ってくれないと、あなたを犯人として、捕まえることはできません!」

華岡も負けじとそういうと、彼女はしまいには涙をこぼして泣き出してしまうので、

「警視、大きな声出しちゃだめですよ。若い女性なんですから、ちょっと加減しないと。」

と、部下の刑事にそう言われて、華岡はそうだなとため息をつく。

「凶器なんて、どうでもいいじゃないですか。そんなことより、父を殺した私を早く裁いてくれればいいのに。」

宮原亜子は泣くばかりだった。

「宮原さん、あなたの家を調べさせてもらいましたが、お父さんは会社員として高名な人だった。お母さんは、介護施設で評判は上上。そうなると、あなたがお父さんを刺す理由もわからないですよね。」

華岡はもう一度いうが、

「父は、そういうひとだったけど、私の事は放置しっぱなしということでは、動機にならないんですか?」

と、彼女は言った。

「だから、それを裏付ける物がないですよね。近所の人にも聞きましたが、お父さんお母さんと仲良く旅行に行く姿も目撃されています。其れも嘘だったというのですか?近所の人たちは、とても楽しそうだったと言ってましたよ!」

そういうところは、隠しようがないと思う。楽しい気持ちというのは、なかなか隠しきれないものだから。

「あーあ、俺もよくわからないんだよなあ。この事件。」

華岡は、蘭に向ってそういうことを言った。

「まず初めに、彼女、出頭してきた、宮原亜子さんなんだが、不明な点は、実の父親を殺害したのかという動機がないこと、そして、凶器の話をすると、どうでもいいじゃないかと泣き叫ぶことだ。あーあ、俺はどうしたらいいのかなあ。もう彼女と話をするのは、こっちが辛くなってきたよ。」

「ほんとだ。僕も、彼女が殺人を犯すというのは、ちょっと信じられないな。確かに彼女はうちへ刺青を入れに来てくれたけど、そんなちゃらけた女性でもないし、家族とうまくいっていない感じでもなかった。其れも猿芝居というのは、ちょっと変だと思うよ。」

蘭は自分が思っていることを言った。

「蘭もそう思うのか。俺もそう思っているよ。まずそもそも、きっかけがないんだよ。彼女が犯罪を犯す理由がだ。だから、彼女、誰かの身代わりになっているか、それとも、単に自分という存在をけしてしまいたいか、だけだと思うんだよね。ただ、世のなかが嫌になって。」

華岡は、大きなため息をつく。

「そうか。そのために、誰かを道連れにするというケースは多いが、そう言うことじゃなくて、誰かのために、身代わりになって、警察に出頭した。そう言うことじゃないか。」

「そうだねえ。でも、誰の代わりに、そういうことをしたんだろうな。それとも誰かが依頼したのか?」

と、華岡は腕組みをした。

「もう華岡さ、それを調べるのが刑事の仕事でしょうが。僕にここで愚痴愚痴言ってもしょうがない。早く職場にもどって、もう少し彼女のいうことを、調べてみたらどうなの?」

蘭がそういうと、

「そうなんだけどねえ。たまには愚痴も言わせてくれよ。俺の愚痴を聞いてくれるのなんて、蘭位なもんだろう?」

と、華岡は言うので、蘭はあきれてしまった。こういうところが、華岡は刑事らしくないと、言われる次第なのだ。

「ところで蘭、杉ちゃんどうしている?お前最近、杉ちゃんと一緒に出かけることが少なくなったな。」

と、華岡は蘭に聞いた。

「ああ、水穂の容体が良くないので、看病にいっているよ。全く、料理ができたり裁縫がうまい奴は良いね。ああして、手伝ってやれるんだから。」

蘭が答えると、

「まあ、そういう基本的なことが、病人を救うことになるかもしれないよ。杉ちゃんというひとは、その天才だ。だから、任せてしまえばいいんだよ。蘭は蘭で、お前にできることをしっかりやりや。」

と、華岡はいった。

「そうだけどねえ華岡。そういう言い方をされると、なんか部外者みたいな言い方をされているようで、嫌だなと思うのは、僕だけかな。」

と、蘭がいうと、

「そうか!そういう気持ちもあるよな。その気持ちというのは、意外に人間にとって毒になる事もある。それでは、彼女にそのあたりを聞いてみよう!」

と華岡は、何かひらめいたらしく、

「また来るわ!」

と蘭に言って、部屋から出て行ってしまったのであった。


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