今日から楽しむ高校ぼっち
須能 雪羽
第一幕:憧れないぼっち生活
第1話:憧れのタク兄
タク
そのころのオレは、四歳から幼稚園に通い始めたばかり。神社へは、同じ幼稚園に行く近所の子に連れられたのだったと思う。
ばかでかいブロッコリーを一つ、住宅地の真ん中へ無理やりに置いたみたいな森。目の前を走る道路から、急な坂を上ったところに神社はあった。
「タク兄ちゃん、ベーブレ貸して!」
ちらほら松の枝が落ちる参道の石畳を、友だちは走っていった。どうしたかと思えば、拝殿へ上がる階段の大きなバッグを勝手にまさぐる。
神社でなにをするとは聞いていなかった。でもまあ、ベーブレは知っていた。専用の器具を使ってコマを回し、戦わせる遊びだ。
バッグが誰の物かも察しがついた。オレと同じくらいの子が他に三、四人集まる中、一人だけ背の高い人が居た。
「ええ? お前、自分のあったよな。それでやったほうが、うまくなれるぞ」
オレの母さんと同じくらいの身長で、他の子の背中越しに透明の洗面器みたいな
中学生、いや高校生にも見えた。ジェニーズのアイドルみたいな顔が振り向き、迷惑そうに見えた。
オレの足は、ピタッと止まる。
「おれじゃないよ、ユキオにだよ」
友だちは一つのコマを取り出し、その人に渡した。それからバッグを漁っていた手が、オレに向けられる。
あいつが泥棒ですって言われた気がして、逃げ出したくなった。
実際、あと一秒もタイミングがずれればそうしてた。でもその前に、タク兄が声をかけてくれた。
「おっ、初めてだよな? 暇なんだよ、遊んでけよ」
かがめていた腰を伸ばすと、ますます背が高く見えた。随分と痩せているせいもあるだろう。
フッと表情がほどけ、笑ってもくれた。たしかゴールデンウィークの涼しい境内に、ナイキの黒いTシャツとジャージ姿がカッコ良かった。
オレの戦隊ものの半袖、半ズボンとは大違いだ。
墨汁をかぶったみたいに真っ黒でつやのある髪は、ささやかな風にもふわと浮いた。揃った前髪の下から、爛々とした眼がオレを見つめる。
優しそうとはそれほど思わなかった。でもなんだか、一緒に居れば楽しそうと感じた。
いやたぶんもっとシンプルに、「この人、好きだなあ」と直感してた。
「オレ、やったことない」
あと五歩くらいまで近寄ったオレを、迎えに来てくれた。タク兄の足にはほんの二歩でも、引いてもらった手が嬉しかった。
「だよな、みんなそうだって。面白いか、自分でやってみなきゃ分かんねえけど」
楽しいに決まってるからやろう、とは言われなかった。もしかすると全く面白くないかもしれない。それでもやるか、自分で決めろと。
差し出された真珠色のコマが、とてつもなく重大な決断に思えた。
受け取るには、たっぷりと時間が必要だった。感覚的には十分以上、タク兄の手を睨んでたように思う。
やりたいかやりたくないか、で言えば答えは決まってた。問題は、最高にカッコいいタク兄の期待を裏切らないかってこと。
もしもベーブレを楽しめなかったら。オレ自身は楽しくても、ドヘタクソだったら。
この人をがっかりさせたくないと思った。
しかし結局、幼いオレが考えをまとめるなんて無理だ。遊びたい気持ちに負け、コマを受け取った。
「三、二、一」
使い方の説明もそこそこに、まずはやってみろと。コマを回す射出機をタク兄が手渡してくれた。
対戦相手は、ここへ誘ってくれた友だち。射出機にコマをセットし、
「――
ギリギリッと、歯車と噛み合う音が雄々しい。でもきれいに同時とはいかず、オレのコマはツーテンポ遅れて着地する。
中央に向け緩く傾斜のついた円形の床を、二つのコマが
勝負は一瞬だった。触れたと思った次の瞬間、赤色が吹き飛ぶ。ルールを全く知らないオレにも、勝敗は明らかだ。
「
オレの頭上を、長い腕が伸びる。まだ回り続けてた白いコマをつかみ、高々と天に突き上げた。
「
ベーブレには一つずつに、男の子の好きそうな商品名が付く。パーツを組み替えるのに従って、それも変化していくらしいけど。
オレが組んだわけでもない。回したのはオレだけど、特に技術があるわけじゃない。
だけどタク兄が勝ち名乗りを上げてくれ、他の子たちが「おおーっ」とどよめいてくれたのが嬉しかった。
なんだかすごく、誇らしかった。顔が熱くなって、かいてもない額の汗を何度も拭った。
「名前、なんだっけ?」
白き槍の女神を差し出すタク兄が聞いた。たった今、自分で呼んでたじゃないかと思った。
でも違う。問われたのはオレの名前と気付く。「ん?」と首を傾げられ、慌てて答える。
「みっ、み
「ミミシマ?」
「見嶋!」
ああ、とタク兄は笑った。手で口を押さえ、噛み殺すように。けどすぐ、オレの手にコマを押し付けた。
「じゃあユッキーだな。このベーブレ、貸しといてやる。パーツを足せば強くなるし、すぐ自分のパーツだけで組めるようになる」
タク兄は、要らなくなるまで持っていろと言った。そんなこといいのか? と迷うオレは、コマを見つめたまま固まった。
でもタク兄は返事を待つことなく、バッグからノートを取り出す。石畳へ広げ、サインペンでキュキュッと。
書き上げられたのは、トーナメント表。端にオレの名前もある。あろうことか、対戦者のところにはタクと書かれてた。
すぐにベーブレトーナメントが始まり、優勝したのはタク兄だった。オレだけでなく、他の誰にも手加減していなかった。
***
それから週末になると必ず神社へ行った。必ずタク兄が居るわけでもなかったが、ベーブレで遊ぶ仲間は居た。
とは言え半分以上の確率で会えていたように思う。やっぱり居ると居ないとでは、過ごす時間の密度が違った。
ベーブレ以外の新しい遊びを教えてくれるのも、いつもタク兄だ。
タク兄は小学六年生と聞いた。同い年の友だちはみんなベーブレをやめて、遊び相手が居なくなったらしい。
それでたまたま神社に居たオレの友だちに、ベーブレを布教し始めたのが半年前。オレが幼稚園に通い始めたのは最近で、知り合う機会を逸していた。
ただし。得られなかった時間を惜しむほど、オレは賢くなかった。それよりタク兄のバッグに夢中だった。
もちろん中身は、ベーブレのパーツだらけ。性能を考えずにとにかくコマの形にしていけば、五十個くらい組めただろう。
いつだったか「お小遣い、たくさんもらえるんだね」と聞いた。しかしタク兄は「いや別に」と、珍しくはっきりしない返事しかしなかった。
なぜその質問に答えなかったか。どんな顔をしていたか。何年も経ってから不思議に思ったが、思い出せない。聞くこともできない。
タク兄との時間は、二年近くも続いた。だけど最後は突然に、あっけなかった。
オレの両親が家を買い、引っ越すことになった。車で二時間以上もかかる町の名前も聞いた。
でもオレは「引っ越す」という言葉を理解していなくて、その町へ行くのを旅行と思った。
タク兄の分もお土産を買ってもらって、驚かせよう。近所では売ってないベーブレのパーツとかあればいいな。
なんて楽しみに迎えた引っ越しの日まで、誰にも伝えなかった。住んでいた町へ戻ることがないと気付いたのは、三日ほども経ってから。
「家族みんなで、ずっとこの家に住むのよ?」
いつ帰るのか聞くと、母さんは怪訝に答えた。「ずっと?」と問えば、にこやかに頷いた。
オレにとっては地の果てのような町。そこへ住むとは、もうタク兄と永遠に会えない。
ようやく現実に追いついたオレは、しばらく呆然とした。返せなくなった、真珠色のコマを握りしめて。
あと一ヶ月ちょっとで小学校に入る、まだ寒い季節のことだった。
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