今日から楽しむ高校ぼっち

須能 雪羽

第一幕:憧れないぼっち生活

第1話:憧れのタク兄

 タクにいに出会ったのは、家から五分もかからない神社だった。神主さんとかも居ない無人で、それでいてだだっ広いのが居心地良かったと記憶している。


 そのころのオレは、四歳から幼稚園に通い始めたばかり。神社へは、同じ幼稚園に行く近所の子に連れられたのだったと思う。

 ばかでかいブロッコリーを一つ、住宅地の真ん中へ無理やりに置いたみたいな森。目の前を走る道路から、急な坂を上ったところに神社はあった。


「タク兄ちゃん、ベーブレ貸して!」


 ちらほら松の枝が落ちる参道の石畳を、友だちは走っていった。どうしたかと思えば、拝殿へ上がる階段の大きなバッグを勝手にまさぐる。

 神社でなにをするとは聞いていなかった。でもまあ、ベーブレは知っていた。専用の器具を使ってコマを回し、戦わせる遊びだ。


 バッグが誰の物かも察しがついた。オレと同じくらいの子が他に三、四人集まる中、一人だけ背の高い人が居た。


「ええ? お前、自分のあったよな。それでやったほうが、うまくなれるぞ」


 オレの母さんと同じくらいの身長で、他の子の背中越しに透明の洗面器みたいな試合場フィールドを見下ろしてた。

 中学生、いや高校生にも見えた。ジェニーズのアイドルみたいな顔が振り向き、迷惑そうに見えた。

 オレの足は、ピタッと止まる。


「おれじゃないよ、ユキオにだよ」


 友だちは一つのコマを取り出し、その人に渡した。それからバッグを漁っていた手が、オレに向けられる。

 あいつが泥棒ですって言われた気がして、逃げ出したくなった。


 実際、あと一秒もタイミングがずれればそうしてた。でもその前に、タク兄が声をかけてくれた。


「おっ、初めてだよな? 暇なんだよ、遊んでけよ」


 かがめていた腰を伸ばすと、ますます背が高く見えた。随分と痩せているせいもあるだろう。

 フッと表情がほどけ、笑ってもくれた。たしかゴールデンウィークの涼しい境内に、ナイキの黒いTシャツとジャージ姿がカッコ良かった。

 オレの戦隊ものの半袖、半ズボンとは大違いだ。


 墨汁をかぶったみたいに真っ黒でつやのある髪は、ささやかな風にもふわと浮いた。揃った前髪の下から、爛々とした眼がオレを見つめる。

 優しそうとはそれほど思わなかった。でもなんだか、一緒に居れば楽しそうと感じた。

 いやたぶんもっとシンプルに、「この人、好きだなあ」と直感してた。


「オレ、やったことない」


 あと五歩くらいまで近寄ったオレを、迎えに来てくれた。タク兄の足にはほんの二歩でも、引いてもらった手が嬉しかった。


「だよな、みんなそうだって。面白いか、自分でやってみなきゃ分かんねえけど」


 楽しいに決まってるからやろう、とは言われなかった。もしかすると全く面白くないかもしれない。それでもやるか、自分で決めろと。

 差し出された真珠色のコマが、とてつもなく重大な決断に思えた。


 受け取るには、たっぷりと時間が必要だった。感覚的には十分以上、タク兄の手を睨んでたように思う。

 やりたいかやりたくないか、で言えば答えは決まってた。問題は、最高にカッコいいタク兄の期待を裏切らないかってこと。


 もしもベーブレを楽しめなかったら。オレ自身は楽しくても、ドヘタクソだったら。

 この人をがっかりさせたくないと思った。

 しかし結局、幼いオレが考えをまとめるなんて無理だ。遊びたい気持ちに負け、コマを受け取った。


「三、二、一」


 使い方の説明もそこそこに、まずはやってみろと。コマを回す射出機をタク兄が手渡してくれた。

 対戦相手は、ここへ誘ってくれた友だち。射出機にコマをセットし、試合場フィールドに向け、ノコギリみたいにギザギザの棒を引っ張った。


「――戦闘開始アタック!」


 ギリギリッと、歯車と噛み合う音が雄々しい。でもきれいに同時とはいかず、オレのコマはツーテンポ遅れて着地する。

 中央に向け緩く傾斜のついた円形の床を、二つのコマがはしる。白と赤の旋風は示し合わせたように一周し、やがて耳障りな衝突音を響かせた。


 勝負は一瞬だった。触れたと思った次の瞬間、赤色が吹き飛ぶ。ルールを全く知らないオレにも、勝敗は明らかだ。


場外アウト!」


 オレの頭上を、長い腕が伸びる。まだ回り続けてた白いコマをつかみ、高々と天に突き上げた。


白き槍の女神アルテミスランサーの勝ち!」


 ベーブレには一つずつに、男の子の好きそうな商品名が付く。パーツを組み替えるのに従って、それも変化していくらしいけど。

 オレが組んだわけでもない。回したのはオレだけど、特に技術があるわけじゃない。


 だけどタク兄が勝ち名乗りを上げてくれ、他の子たちが「おおーっ」とどよめいてくれたのが嬉しかった。

 なんだかすごく、誇らしかった。顔が熱くなって、かいてもない額の汗を何度も拭った。


「名前、なんだっけ?」


 白き槍の女神を差し出すタク兄が聞いた。たった今、自分で呼んでたじゃないかと思った。

 でも違う。問われたのはオレの名前と気付く。「ん?」と首を傾げられ、慌てて答える。


「みっ、み見嶋みしま行雄ゆきお!」

「ミミシマ?」

「見嶋!」


 ああ、とタク兄は笑った。手で口を押さえ、噛み殺すように。けどすぐ、オレの手にコマを押し付けた。


「じゃあユッキーだな。このベーブレ、貸しといてやる。パーツを足せば強くなるし、すぐ自分のパーツだけで組めるようになる」


 タク兄は、要らなくなるまで持っていろと言った。そんなこといいのか? と迷うオレは、コマを見つめたまま固まった。

 でもタク兄は返事を待つことなく、バッグからノートを取り出す。石畳へ広げ、サインペンでキュキュッと。


 書き上げられたのは、トーナメント表。端にオレの名前もある。あろうことか、対戦者のところにはタクと書かれてた。

 すぐにベーブレトーナメントが始まり、優勝したのはタク兄だった。オレだけでなく、他の誰にも手加減していなかった。


   ***


 それから週末になると必ず神社へ行った。必ずタク兄が居るわけでもなかったが、ベーブレで遊ぶ仲間は居た。

 とは言え半分以上の確率で会えていたように思う。やっぱり居ると居ないとでは、過ごす時間の密度が違った。

 ベーブレ以外の新しい遊びを教えてくれるのも、いつもタク兄だ。


 タク兄は小学六年生と聞いた。同い年の友だちはみんなベーブレをやめて、遊び相手が居なくなったらしい。

 それでたまたま神社に居たオレの友だちに、ベーブレを布教し始めたのが半年前。オレが幼稚園に通い始めたのは最近で、知り合う機会を逸していた。


 ただし。得られなかった時間を惜しむほど、オレは賢くなかった。それよりタク兄のバッグに夢中だった。

 もちろん中身は、ベーブレのパーツだらけ。性能を考えずにとにかくコマの形にしていけば、五十個くらい組めただろう。


 いつだったか「お小遣い、たくさんもらえるんだね」と聞いた。しかしタク兄は「いや別に」と、珍しくはっきりしない返事しかしなかった。

 なぜその質問に答えなかったか。どんな顔をしていたか。何年も経ってから不思議に思ったが、思い出せない。聞くこともできない。


 タク兄との時間は、二年近くも続いた。だけど最後は突然に、あっけなかった。

 オレの両親が家を買い、引っ越すことになった。車で二時間以上もかかる町の名前も聞いた。

 でもオレは「引っ越す」という言葉を理解していなくて、その町へ行くのを旅行と思った。


 タク兄の分もお土産を買ってもらって、驚かせよう。近所では売ってないベーブレのパーツとかあればいいな。

 なんて楽しみに迎えた引っ越しの日まで、誰にも伝えなかった。住んでいた町へ戻ることがないと気付いたのは、三日ほども経ってから。


「家族みんなで、ずっとこの家に住むのよ?」


 いつ帰るのか聞くと、母さんは怪訝に答えた。「ずっと?」と問えば、にこやかに頷いた。

 オレにとっては地の果てのような町。そこへ住むとは、もうタク兄と永遠に会えない。


 ようやく現実に追いついたオレは、しばらく呆然とした。返せなくなった、真珠色のコマを握りしめて。

 あと一ヶ月ちょっとで小学校に入る、まだ寒い季節のことだった。

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