魔族進行3
『シャル・フェザー・フィリア』
彼女とは以前から接点があった。だが、私が剣聖と呼ばれるようになってからは顔を合わせる機会がめっきりと減って、今は近所に住んでいるので、たまたますれ違い挨拶をする程度。別に喧嘩をしているわけではない。ただ、私に合わせる顔がないだけだ。
ユーステスを抱いて家を目指す。もう街は暗くなり、街頭によって明かりがともされている。夜風が冷たくなってきたが商業地区の喧噪は夜になればなるほど増していく。そんな、商業地区の外れに家を借りていて、隣には宿屋を営むシャル・フェザー・フィリアが住んでいる。
家に着いた私だが、一つ重要なことを忘れていた。ユーステスの生活品などを一切準備できていない。早速だが彼女を頼るしかなさそうだ。そう判断して、少しの不安を抱えながら隣の宿屋に向かうのだった。
宿屋の扉を開けると小さくカランカランと扉に付いた鈴が揺れた。
新しい客の合図にカウンターの奥から一人の女性が現れる。銀色の髪と透き通るような蒼色の瞳。整った顔立ちも相まって、出会ったその瞬間に視線を吸い込まれてしまうほど美しい女性。
「いらっしゃいませ! ……あら、グランツさんですか! それに赤ちゃん!? お久しぶりです。あと、おめでとうございます!」
突然の訪問に驚くのも無理もない。色恋話が一切出てこない私に対して、何かを勘違いしているようだった。
「ああ、久しぶりシャル。それと私は別に結婚はしていないからな。この子は先の任務の村で親を亡くした子だ。今日から私の家族として育てることにしたんだが……」
「子供を迎えるための準備が出来ていないんですね。それなら任せてください! うちの子も同じくらいの年なんです。今は奥の方で眠っているので、良ければ一度、そちらに寝かしてあげてください」
なんて理解の早い人なんだろう。昔はいつもうじうじしていて、頼りないところも多かったのに今となっては、私なんかより全然頼りになる女性だ。やはり母は強い。
宿屋を営むシャルが住んでいるのは、カウンターの向こうの一室。言われるがままにユーステスを連れて行く。
ちょっと大きめなベビーベッドに一人の子が眠っている。空いているスペースにユーステスを寝かしつけて私も一息つく。
職業柄体力に関しては誰よりも自信がある。三日間寝ないで活動することも可能だが、人を抱いて半日を過ごすのは精神的にきついものがあった。一度伸びをして体をほぐしているとシャルがお茶を出してくれていた。
「良かったら少しゆっくりしていってください。話したいこともありますので……」
「ああ、ありがとう。ごちそうになるよ」
椅子に座るように進められたので、言葉に甘えて一息つかせて貰った。任務を終えてから初めてゆっくりとした時間が流れている。温かいお茶が体に染み渡っていくのを感じる。シャルは熱い飲み物が苦手なようで冷めるのを待っている。ゆらゆらと湯気のあがるティーカップを見つめたまま彼女は話を始めた。
「グランツさんが久しぶりに来てくれて嬉しかったですよ。あの人がいなくなってから、一度もお店に来てくれないんですもん……。何か気に触ることでもしてしまったのかと思いました。別にあの人がいなくなったのは、あなたが悪いなんて思っていませんよ」
その言葉には力がこもっていた。彼女の夫『レイ・フェザー・フィリア』は
私の戦友。彼は1年前から行方を絶っている。その日のことは鮮明に覚えている。
==========
私と同じように人並み外れた力をレイも持っていた。誰にも負けない魔法の知識と実力。
彼が今もこの国にいたのならば『賢者』と呼ばれる存在になっていたはずだ。
だが、私は彼を止めることが出来なかった。
2人で勝利をつかんだ戦場。その余韻に浸る兵士達を尻目に私とレイは向かい合って、自分の武器を手に取っていた。
「退いてくれグランツ。別におまえと戦いたいわけではない。そこを通してほしい。私は行かなければいけない」
「この先は魔界だ。それしか広がっていないよ。だから、王国に帰ろうぜ。シャルも待っているんだろう? 急いで帰ってあげないと可哀想だ」
もうすぐ子供が生まれそうだからさっさと終わらせようと昨日までの彼は言っていた。
普段は見せない笑顔でのろけ話をしてくる彼の話をただ聞かされた。
それなのに、目標を倒した途端にレイは魔界に一人で突入しようとしていた。
「ああ、シャルは心配だ。でも、俺にはもっと力が必要だ。今の力じゃダメなんだ。だから退けっ……」
突如目の前に現れる3つの魔法。彼のあふれ出るマナが凝縮されて現れたのは2匹の竜だ。
1匹は空高く飛翔した。身体能力だけで勝負するならば私がレイに負けることはない。だが、魔法を使用した真剣勝負をしたことは一度もない。
これまで向けられたことのない魔法の圧。気合いを入れ直すために剣を握り直す。レイの魔法竜は空を自由に泳いでいる。
2匹目は一直線に私の元に向かってくる。持てるすべての力を込めて剣を竜に向けて振り下ろす。
衝突の衝撃が周りに伝わり辺りにあるものを吹き飛ばしていく。人並み外れた魔法だが、この威力一つであれば問題ない。徐々に魔法竜は薄れていく。凝縮されていたマナが霧散しているのだろう。
少し余裕が出来てきたときに見えたレイの表情は不敵な笑みを浮かべていた。
優しさをなくした彼の笑みを見たときに私は悟った。
もうあれはレイ・フェザー・フィリアではないのだと。
「ハハッ! グランツよぉ! 良いのかあの竜は、王国へ向かっている。今から行けば間に合うんじゃないか?」
最初に空高く舞った竜は、王国の方角に向かって行っている。レイはそれを指さして、私に揺さぶりを掛けた。
「レイ! 今すぐにあれを止めろ。何を考えている!」
意図的に魔力が弱くなったのをすぐに感じ取り、目の前の魔法竜を消し飛ばす。
「俺は魔界に用事があるんでな。あれを止めるのはおまえの仕事だ。できるだろう? おまえには力があるだろう?」
今から急げば間に合う。絶望的な距離ではあるが、私ならあの竜より先に王国に到着できる。
ただその場合、レイを追うことは不可能。数十万の命と戦友の説得。
思考の天秤に二つを掛ける。心は焦るばかりで心拍数は跳ね上がり。緊張の汗が流れ落ちた。
私が選んだ道は『人を救うこと』だった。
レイに一度舌打ちをして走り出す。
彼の横を風のように通り抜けたとき、いつもの彼の声が少し遅れて届いた。
「守れよ。剣聖さん」
自分には『剣聖』などという称号は重すぎる。そんなものほしいとも思ったことはない。
ただひたすらに助けたい人のために力を使う。今日ほど自分の無力さを悔やんだ日はない。
もっと早く力ずくで連れ帰る決断をしたら、こんな結果にはならなかった。
苛立ちを抱えながらも駆ける。速く、さらに速く。風を追い越し、光のごとく駆け抜ける。
体への負荷などすべて無視して王国へ向かう。
馬車を使うと2日はかかる距離を数時間で駆け抜けた。
そして、目の前に見えてきたのは、悠々と空を泳ぐ魔法竜。
遠近感から少し小さく見えるため、この距離から見るとそこまでの脅威ではないかもしれない。
だが、先ほどのと同程度だと仮定しても被害は尋常ではないことは明白。
できるだけ王国に近づけずに消滅させるのが望ましい。
最後のスパートを掛け一気に竜を追い越す。そして、思いっきり大地を蹴っての跳躍。
剣を構えて竜の真下辺りを光のように突撃する。
体が悲鳴を上げて、今すぐにでも意識が遠退いていきそうだ。力を振り絞り。咆哮とともに剣を振り抜く。
「ハァアアアァ」
勢いをすべて乗せた剣は竜を貫いた。
消えゆく魔力は霧散して綺麗な結晶となり辺りに降り注ぐ。すべての終わりと同時に空中で体は動かなくなり、限界をとうに超え意識は失われた。
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「グランツさん? 大丈夫ですか? 顔色が良くないようですけど」
「ああ、すまない。昔のことを思い出していた。シャルには変に心配を掛けてしまったようだな。本当に申し訳ない。レイを止めることが出来たのは私だけだった。でも私は選べなかった。そんな私は君とどのように接したら良いか分からなくなってしまったんだ」
頭を下げ謝罪を告げる。今でも思い出すと悔しさで涙が出そうになる。
シャルはもっと悲しいはずだ。それでも一人で子供を育てて、しっかりと生活している。本当に強い人だ。
「謝るのはこれで最後にしてくださいね」
「ああ、これからもよろしくな。紹介がまだだったよな。あの子はユーステスという子で任務の先で拾った子だ。子育てとは無縁だったからな。色々と分からないことばかりなんだ。迷惑を掛けると思うがよろしく頼む。シャルも困ったことがあれば頼ってくれ。力仕事は誰よりも得意だ」
「ユーステス君ね。いつでも頼ってください。リーリアの友達が増えて私も嬉しいですから。任務の際も遠慮なく預けてくださいね!」
「そのときもよろしく頼むよ」
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