始まりはハードモード
あれからどのくらいの時間が過ぎたのか、1時間、1カ月、1年だろうか。揺れている感覚が体に伝わってくる。一定のリズムは赤ちゃんをあやすときの優しさ。
「赤ちゃんってこんな感じだったのか」と思わされることばかりだ。まさか、記憶をすべて維持して生まれ変わるとは思わなかった。
俺は、エルランド・ユーステスとして生まれ変わったようで現在は生後1年ぐらいである。つい先日両親が誕生日会を開いていたから間違いない。
父はエルランド・グレン。田舎の村で農家をしているらしい、いつも泥だらけになって帰ってくる。その手で俺に触ろうとして、母のエルランド・ミリアに怒られるのが日常だ。
俺はまだまだ体が発達している最中なので、自分で出来ることはほとんどない。まだ、しゃべることが出来ない。最近は両親が何を言っているのかを理解することが出来るようになった。
少しずつ言葉を覚えながら文字を解読しようとしている。両親が寝る前に読んでくれる絵本を見ながら、この世界の文字を覚えようと頑張っているのだが、赤ちゃんは体力が少ない。絵本を読んで貰ってもすぐ睡魔に襲われるのだから。赤ちゃんというのは思っていたよりも忙しいんだ。
さぁ。今日も昨日の絵本の続きを読んで貰おう。
「ユーステス。昨日の続きを読むね」
優しい母の声が絵本の物語を読み上げる。白雪姫に似ているストーリーだった。内容はすごく気になるんだけど……。
それよりも睡魔が迫ってくるまぶたが重い。もうダメだ……。
「毒の入ったリンゴを魔女は……」
「……。すやぁ~~~……」
「ユーステスったらもう寝てしまったのね。良い夢を見てね。おやすみなさい」
そんな風に幸せな時間は流れていくのだった。
この世界には魔族が存在しているらしい、そいつらは突然に現れてすべてを奪ってゆく。そう、こんな風に。
今日も今日とて、いつもと同じく健康的に生活をしている。朝起きて遊び、その後は昼寝をしていた。一日に12時間~14時間は眠っているので、昼寝は日課だ。だが、今日はその日課を邪魔する出来事が起きた。
村全体に鳴り響く鐘の音だ。今まで一度も聞いたことの無い音に不安感は増していく。鐘が鳴り始めてすぐに父は慌てた様子で帰ってきた。
「ミリア! 魔族が近づいている。もうすぐそこに来ているそうだ! 俺たちじゃきっと倒しきれない……」
悔しそうな父の表情を見るによほど深刻な様子。でも、俺にはどうすることも出来ない。邪魔をしないように静かにしていることが精一杯。慌てる父に対して、一瞬驚きの色を表したが、母は非常に冷静だった。
「あなた……。諦めないで、まだ策はあるでしょう。現状は最悪だけど、可能性が、小さな希望が、だから、諦めないで、グレン!」
母の一言に何かを思い出したかのように父は落ち着きを取り戻した。
「ミリア……。ごめん。とりあえず、未来のための行動をしよう。俺が時間を稼いでくるよ。正直、持っても1日だ。魔物の量は約……匹。ミリアはこの家に……を付けてほしい。そして、俺のところに来てくれないか?」
先ほどとは打って変わって冷静に物事を分析して行動しようとする父。所々まだ理解できない言葉が出てきている。一体どれぐらいの魔物が来ているのだろう。10までしか理解できていないから分からなかった。
一日も抑えきれるなんてすごい人だ。いつも畑にいるから体力には自信があるのかもしれない。それでも不安は絶えることがない。泣いてしまいそうだ。我慢、我慢だ。
「ユーステス。お父さんちょっと仕事に行ってくるよ」
俺のことを抱き上げる父。いつもより少しだけ腕に力がこもっている気がする。不安からかそれとも恐怖を感じているのか? 父の気持ちは今の俺には分からなかった。
「あい~(いってらっしゃい! 頑張ってね! )」
言葉を話すことが難しい俺に出来る最大限の行動だ。そして、数秒後には俺を再びベッドに下ろした。
「強くなれよ……。ユーステス」
笑顔でそう告げた父。確信した。父は戻ってこないのだと。途端に涙があふれる。泣いてはいけないのに、俺にかまっている場合ではないんだ。涙をこらえようとしても、一度決壊してしまったら止まってくれることはなかった。
「おぎゃ~~~~~!」
部屋にこだました俺の泣き声に父は戻ってきてしまった。
「おぎゃ~~~~~!(ごめんなさい。お父さん!)
伝えたい気持ちは表せず、ただただ泣くことしかできない。
「泣くなユーステス。いや、泣いても良いんだけどな。おまえは泣くのが仕事だからな! もしも、おまえがさみしくて泣いているんだったら、これをやるよ。お父さんとお母さんが2番目に大切なものだからな。一番はおまえだぞ!」
そう言ってベビーベッドの上に何かを置いていった。これはなんだろう? 布に包まれているので見ることは出来ないが触ってみると非常に堅いもののようだ。父と母の温もりも感じることが出来る。安心感に触れた途端に襲いかかるのは睡魔だ。
「すやぁ~~~」
「安心して寝てしまったようね。さぁ、私たちに出来ることをしましょう。あなた」
「ああ。そうだな。ここは任せたミリア。未来は君に掛かっているようなものだよ」
「あらあら~。私がミスしたことがあるかしら」
「そうだな、じゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい。グレン!」
泣き疲れて寝てしまった。これまでは泣かないように頑張ってきたけど、無理だった。貴重な時間を使わせてしまった。
あれから、母は家の外に行ってくると言って出て行った。時々戻ってきて俺の様子を見ては外に行くというのを繰り返している。その作業は、外が闇に沈んでも続いている。
父はやはり帰ってきていない。不安や悲しみは尽きないが、俺の活動限界時間を迎えた。
朝日が昇り次の日は訪れた。一日は時間を稼ぐと言っていた父は戻って来ていない。夜通し魔族と戦っている父。夜通し何かの細工を続けている母。何か策がある様子だったが、果たしてどんな策なんだろう。俺はどうなってしまうんだろうか? 不安でハゲてしまうかもしれない。
「おはよう。ユーステス。今日も良い天気だよ~」
窓の外は快晴。雲一つない空が広がっている。母はいつもと同じ日常のように見せているが目の下のクマは隠せていない。
「ユーステス。ちょっとお母さん用事があるから、少しお留守番していてくれる?」
俺の頭をなでてそう言って母は優しく笑っていた。
机の上に何か手紙のようなものを置いて、母は家の扉を開けた。その瞬間に人々の悲鳴と聞いたことの無い動物の鳴き声が聞こえた。これまでは一切そんな音は聞こえてこなかったのに突然の音に俺は驚いて泣いてしまった。
「ごめんね。ユーステス……」
最後にそんな声が聞こえ、扉が閉じた瞬間には再び静寂が訪れた。音が静まったことで涙は収まったが、最後の母の言葉の意味に気がついたときに再び涙が溢れてきた。
不安で仕方ない俺は父から貰ったものにしがみつき泣いた。誰も慰めてはくれないし、助けてくれる人もいない。でも、父と母が大切にしていたものを持っていると少し安心することが出来た。安心すると訪れるのはそう睡魔だ。それにはあらがえずに落ちていった。
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