第十五章「自己否定」

合宿1日目のトリを飾る研修は、一言でいえば“自己否定”だ。

これはもうブラック企業の研修ではお馴染みのもので、ようは講師のおっさんから「お前らが今まで学んできたことは間違いだ! 甘ったれた考えは捨てろ!」という旨の社会人の覚悟やらなにやら大声でまくし立てられた後、チームごとに分かれて各々順番に、相手の悪いところ大声で言い合うというものだ。


ハッキリ言って狂っている。なぜそんなことをする必要がある?

そんなもの、最初に書いた通り自己否定のためだ。

会社の歯車として使う奴隷に、自己は必要ない。

奴隷としての人格を刷り込むには、まず自分は真っ当で尊重されるべき人間だ、という意識を取り除かなければならないのだ。


勿論、急に相手の悪いところを挙げろと言われても、中々出て来ない。

それは遠慮や躊躇いでもあるし、そもそもそんなに人となりを把握してないのだから、ぱっと浮かんでこない。


しかし、講師が「言わねぇと一生終わらねぇぞ? まぁお前らが寝たくないってんなら仕方ないが……」と呟いたところで、ポツポツと周りの班から声が聞こえた。


それは小さな声だったが、確かにチームメンバーに対する非難だった。


本当は悪口なんて率先して言いたくない。

短い時間ではあるが、皆が悪い奴じゃないってほんとは分かっている。

でも、今はただ休みたい。


そんな想いが全員にあったのだろう。小さなつぶやきを皮切りに、室内では続々とメンバーに対する批判が上がっていく。


「○○は自己中心的なとこあるよね」

「ああいうところで自分から手伝わないのはダメだと思う」

「そもそも、お前があの時ミスしなければ、俺たちはここまで疲れてねぇんだよ」


聞いていると、先程の体育実習でのミスも挙げられていた。

悪口の声音、発言数は、体育で険悪なムードになっていた班ほど苛烈だった。


……なるほど。さっきの体育は、この研修で悪口を言いやすいよう、わざと相手の悪いところが見えるように誂えたのか。中々良い性格してやがる。


「キョウトくんも……さっきの研修ミスしてたよね。本気でやってた?」


僕が押し黙っていると、メンバーの一人Fさんが、申し訳無さそうに口を開いた。


「……ごめん」


それに僕は、謝ることしか出来ない。

この研修では、チームの一人に対し他のメンバーが悪いところを言っていく。

その最初の一人目が僕というワケだ。

彼女だって好きで言ってる訳じゃない。

むしろ、研修をスムーズに進めるためなんだ。

無理矢理にでも悪いところを言ってもらわないと困る。


僕自身も疲れ果てていた。どうでもいいから早くこの研修を終えたかった。

それからは他のメンバーもポツポツとよくないところを挙げていった。


「なんというか、マイペースなところあるよな」

「緊張感も薄いし……」

「もうちょっとキビキビ動いた方がいいと思う」


事前研修を入れてもたった数日しか一緒にいないのに、それで分かることなんてたかが知れてるだろ……とも思ったが、実際に集団から指摘され続けると「自分が間違ってるんだな」と思うようになる。たとえそれが的はずれな指摘だとしても。


「はい、じゃあ次」


講師の合図で、今度は別のメンバーへと矛先が変わる。

僕も悩みに悩んで、相手のよくないところを粗探しする。

あ、今最高に性格悪いな。死なねぇかな、こいつと思いながら言葉を吐き出す。


誰かを否定するということは、自分自身も否定するということだ。


一周が回りきろうという頃にはメンバー全員顔面に悲哀と気まずさを貼り付けていた。

唯一の女性メンバーであるFさんは泣いていた。


「相手の悪いところを素直に言い合える。それこそが信頼できる仲間というものです。これで君たちの絆は強くなりました」


講師は満足そうに頷くと、嘘くさい笑みで一人拍手する。

僕たちが何も言えずに居ると、「おい、拍手しろよ」とドスの利いた声で囁かれた。


パチパチと、空疎に手を打ち合わせて、研修はお開きとなった。


その後、明日テストやるから予習しておけと商材に対する資料やビジネスマナーの常識問題を渡され、僕たちは各々自習すると、室内の掃除をして0時過ぎに床についた。


2日目の研修こそ、今回の研修のメインであり、最も辛い研修になるとも知らずに……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る