社会人編

第十二章「社会」

最初に違和感を覚えたのは、春休み中にあった研修だった。


1日目の研修はどっかのビルの一室を借りての研修。

内定式で顔を合わせたとはいえ、同期とちゃんと話すのはこれが初だった。

まずは自己紹介から始まり、単純な座学、ロープレと、割と和気藹々としていた。


これぐらいの緩さなら、僕も社会でやっていけそうか? なんて思った。


しかし2日目。その日は実際に社員が働いている様子を見てみようというものだったが、フロアに入った瞬間空気が変わったのが分かった。どんよりと重苦しい、灰色の空気。憎悪や殺意が目に見えるようなドロドロとした雰囲気だった。


研修担当者は慄く僕たちを連れ、上長たちに挨拶をさせた。

4月からよろしくお願いしますだのなんだの言った気がするが、記憶が曖昧だ。

完全に空気に呑まれていた。


すっかり意気消沈した僕たちだったが、今夜はさっき顔を合わせた上長達との飲み会がある。研修担当者からどこか憐れみの目で見送られ、予約された居酒屋へと赴く。


初めて経験する“会社の飲み会”。

インターネッツでは散々取り上げられ、ネタにされてきた話題ではあるが、当時の僕はそれをまだファンタジーだと認識していた。

どっか誇張してるんだろ? 実際はそんなひどくないだろ? って。


だが、甘い考えは即座に否定された。

新人たちは上司の左右に配置され、兎に角精一杯ご機嫌取りを行う。お酌をし、注文を取り、相手が何をして欲しいかを常に伺う。少しでも反応が遅れれば叱責が飛んでくる。新人にまともに食事を摂る権利などない。


上司の自慢話をおだて、社会がどうだの営業がどうだのを必死に聞き、酔っ払ったおっさんからの「なんか面白いことやれよw」にも耐えた。少し遠くの席では誰かが粗相したのか怒号が響き、僕は臼の中の餅のように背中を叩かれ愛想笑いをしていた。


ハッキリ言ってメチャクチャだった。よくわからない熱気の中、酒だけが胃の中に流し込まれていった。今まで飲んだ酒で一番まずかった。


数時間ほどの狂騒が終わり、店から出て周りを見渡すと、同期達は皆死んだような顔をしていた。僕も同じ顔をしていた。


「これが社会か……」なんて病んだフリして呟いてみたが、これから先もっとハチャメチャな理不尽が押し寄せてくるのだ。序の口どころかスタートラインにも立っていない。


2月の後半になり、又しても二日間の研修があったが、今度はビルの研修室内から出ることなく、座学とロープレのみで終わった。


色々と精神的疲労はあったものの、4日間の研修で多少なりとも馬が合う同期達を見つけ、春休み中も何度か遊んだ。

会社に不安はあるが、こいつらと一緒ならやっていけるかもな……なんて淡い希望すら抱いていた。


しかし、そんな同期に早くも脱落者が出る。

入社前に行われた研修合宿によって。


もしかしたら僕はこの時初めて、人間に対し明確な殺意を持ったかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る