フェアリープリンセスと十二夜の怪物

吹野こうさ

プロローグ

妖精の塗り薬



瓶の分厚い硝子が透かす。不思議にうねる向こう側の椅子とテーブルクロス。伸ばしたミーナの指も、ぐにゃりと歪み、急いで手を引っ込める。


 ――東の方角で摘んだバラ。


 はらりと赤い花びらはミーナの指を阻む。気高く凛としているのは、深紅の色の所為。庭に咲いていた綺麗な花弁は丁寧に引きちぎられ、瓶の底で静かに次を待つ。


 ――マリーゴールドも東のもの。


 母、シャーロットの手つきは優しく、プチプチと小さな花弁は千切られ、バラの上にふわりと着地する。目に染みるオレンジの明るさ。瓶の向こう側でも可憐に立つマリーゴールドに、ミーナの瞬かせた目の瞳孔が引き締まった。


 ――上等なオリーブオイルをとぽとぽ注ぐ。


 芳醇な香りに胃がパンをせがんだ。オリーブ油に浮く花びらさえ、おいしそうに見えてしまうから空腹とは強大だ。

「だめよ、ミーナ。これは大事なものだから、今晩までは我慢。夜、美味しいパンにオリーブオイルをつけて食べましょ? 塩と、胡椒も振って」

 シャーロットの微笑みに、ミーナは溢れた唾液を飲み込んだ。


 ――タチアオイの蕾が沈む。


 まだ黄緑の固い蕾は、バラやマリーゴールドの花弁の上にコロコロ転がる。オリーブオイルの話の手前、それが胡椒に見えて仕方がない。


 ――ハシバミの木の葉は千切らずに。


 青々とした葉がオリーブ油の湯船で、ゆったり腰を落ち着けた。なんだか気持ちよさそうだ。


 ――いろんな種類の雑草は、妖精の輪の中にいたもの。


 ミーナの父、ミディルが取ってきてくれたその草を一束、オリーブオイルが跳ねないように沈める。

 ハシバミの木の葉に寄りかかり、全員が浸かるとシャーロットは瓶に蓋をした。

 日なたに三日。彼らが溶ければ完成する。


 『妖精の塗り薬』


 塗れば、故意に隠れた妖精さえ、見えるようになるという。

 既に傾き始めた陽にオリーブオイルの香りを嗅がせたくて、ミーナは塗り薬を飾り棚へ慎重に運ぶ。

 地面に隠れそうな太陽がミーナを覗いている気がして、コトリと置いた塗り薬と太陽を見比べた。

 今晩の夕飯はオリーブオイルのパン。シャーロットの夕飯支度を始める気配に嬉しくなって、ミーナはパタパタ、シャーロットの背を追いかけた。

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