第4話 松平竹千代
今川館 一色鶴丸
1549年冬
あれから2年の月日が経った。
今川家は相も変わらず上洛の道中にある織田家を倒すために何度も戦をしている。そして先月、織田の守っていた安祥城を落城させ、城に入っていた信長の庶兄である織田信広を生け捕りにした。
捕らえたのは、雪斎の率いた軍であったらしい。
義元は嫡子ではないものの、織田の一族である信広をとある交換条件で解放したのだ。
その条件というのが、今俺達の目の前にいる男である。
「松平竹千代殿にございます。今後は3人で儂に師事して頂きます」
「松平竹千代にございます。織田家の人質として織田家に預かられておりましたが、今後は今川様の元へ身を寄せさせて頂きます。竜王丸様、鶴丸様これからよろしくお願いいたします」
そう、この竹千代という男。史実でいう後の徳川家康だ。まさか弟弟子になるとは思わず、衝撃を覚えた。将来の天下人だ。正直、今からでも媚びておきたい・・・。
ちなみに慣れたような口調は、人質として織田家で学んだことなのだろうと察しが付いた。
「竜王丸である。竹千代、よろしく頼むぞ」
「鶴丸と申します。よろしくお願いいたします、竹千代殿」
あまり露骨にへりくだると、俺の立場がよくわからないことになるために少々一門衆らしさを出してみたが、竹千代は特に気にした様子も無い。
ただ部屋の様子をチラチラと眺めていた。
「では新たな者も増えたのです。早速始めるとしましょうか」
こうして俺は竹千代とも親交を深めることになった。
今川館 一色鶴丸
1550年夏
竹千代が今川家の人質となって半年が経った。
俺は相変わらず剣の腕が上達せず、我流で剣を振っていた。剣の師である卜伝は最早諦めたのか何も怒らない。
対して竹千代は順調に成長を遂げていた。
同い年で体格も似通っている。にも関わらずここまでハッキリと差が出ると俺としても面白くは無かった。
「竹千代、一戦模擬戦をしないか?」
「またでございますか?お師匠様に叱られます」
「大丈夫だ。今竜王丸様が用事があると師の元へ行っておられる。今なら見つかる心配も無い」
俺は俺の身体に見合ったサイズの木刀を手にし、壁に立てかけてあった竹千代の木刀を放り投げる。
見事にキャッチした竹千代はため息交じりに剣を構えた。
木刀であると言っても打たれれば痛いし、模擬戦ともなれば俺も本気。そして竹千代も本気。
「ゆくぞ!」
「はい!」
木刀越しに竹千代の視線を探った。
面を狙うと跡が間違いなく残り、雪斎に勘づかれる。だからこそお互いが狙うは服で隠れている腕か胴か足の付け根。
下手をすればマジで致命傷になりかねんから、付け根は無しだ。
「こい、竹千代!」
「はっ!!」
思いっきり踏み込んできた竹千代に恐れは無い。一撃で決めるという強い気持ちが露わに出ている。
しかし俺としても易々と負けるつもりは無い。
反射的に動いた木刀が竹千代の木刀を弾いた。
「その程度か」
「まだです。たった一撃を防いだ程度で油断とは」
それから幾重にも踏み込んで勝利のための一撃を打ち続けてくる竹千代に俺は必死に防衛をした。
俺はすでに何年も雪斎の元で励んできたが、それでもこの極限の緊張感の中ではすぐに体力が尽きかける。
汗が額から流れ落ちてきて目に入る。一瞬のことではあったが竹千代はその隙を見逃すことが無く、腹部に強烈な痛みが襲ってくるはずであった。
しかし痛みは無い。竹千代の木刀は俺の腹部にあたる直前で止められていた。
だが間違いなく俺の負け。
「・・・降参」
「今日は鶴丸様に勝てました。しかし剣が苦手と言われている割には、上達していると思います」
汗を拭いながら竹千代は一息はいた。俺も極限の緊張状態から解放されたせいか、そのまま尻を地面に落とす。
未だに腕も足も震えていて、竹千代がまた腕を上げたのだと実感した。
「茶でも飲みますかな?」
「あぁ、貰う」
そう言って湯飲みを渡されたのだが、受け取ったはずの湯飲みがなかなか動かない。不審に思って顔を上げると、正面にいる竹千代の顔が蒼白になっていた。なんとなく何が起きているのか察した俺は、手にしていた湯飲みから手を離す。
「如何したのです?茶を飲みたいのではなかったですかな?」
「・・・申し訳ありませんでした!お師匠様!」
俺は相手が誰であるかも確認せず、そのまま頭を下げる。ここが土の上であるということなどお構いなしだ。
竹千代も慌てて俺の隣に来て頭を下げた。
「お師匠様、2人も悪気があったわけではないでしょうから、許して頂けませんか?」
「なりませぬ。甘やかしてはこの2人、いや、鶴丸殿の為にはなりませぬ」
雪斎は簡単に原因が俺であることを見抜いた。竹千代が隣でホッとした表情をしたのは絶対忘れない。
覚えとけよ。
「儂は何度も言ったはず。席を外している間、しっかりと素振りをしておくように、と。にも関わらず・・・」
「お師匠様、1つ言わせて頂いてもよろしいでしょうか」
「鶴丸殿、何か反論があるのですね。何が言いたいのです」
「剣を振っているだけでは強くなれません。実戦が如何に大事かと言うことを今の模擬戦で思い知らされました」
俺はここ数ヶ月思っていることをついに口にした。怒られることも覚悟していたが、雪斎の口から出たのは説教ではなくため息だけ。
「たしかに実戦は大事です。しかし基礎が出来ておらぬ状態で実戦などとは、師としてそのようなこと決して認めるわけにはいきませぬな。どうしても模擬戦をしたいというのであれば、基礎をしっかりと身につけることです。鶴丸殿より長く儂に師事しておられる龍王丸様ですら、未だ修行の身なのですから」
尋常でない正論をたたきつけられた俺は、その後反省文をたっぷりと書かされてようやく解放された。
すでに筆の持ちすぎで手が震えている。今の状況は先ほどの模擬戦よりも辛いものであった。
「お師匠様に楯突くからそうなるのだ」
「正論であったが故に負けました。次はこうはいきません」
「・・・次があるのですか?」
竹千代の困ったような顔が印象的であった。いや、雪斎に怒られる時は大概竹千代も巻き込んでいるからうんざりしているのだろうか?
しかし竜王丸様を巻き込むわけにもいかないからな。これは致し方なきことなのだ。
竹千代が今川の人質としてやって来た頃にたてた計画は、半年という月日で儚くも崩れ去っていたのだが、雪斎に反発したいという俺の感情が前に出すぎたせいで完全にそのことを忘れてしまっているのだった。
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