第3話 幼き体に抱え込む重責
今川館 一色鶴丸
1547年春
今川館に部屋を与えられて1ヶ月が経った。毎日雪斎の元へと向かい、竜王丸と共に様々なことを学んでいる。
やることは多いが、そのなかでも俺の得意不得意がはっきりしていった。
まず得意なことだが、文字の読み書きと算術だ。あとはたまに雪斎が趣味で話している領地経営の話も得意と言うよりも面白いという感覚で聞き込んでいる。
不得意なことは圧倒的に剣術と弓術。弓に関してはまだ筋肉がついておらず、そこが原因であると思うのだが剣術に関してはその手のセンスが皆無なのだと思うほかなかった。
あともう1つ。これは前世でもう少しやっておけば良かったと思うことなのだが、算盤が使えない。
電卓が欲しいと本気で思ってしまう。
「鶴丸、また腕の振りが鈍っているぞ」
木刀を振り下ろす手には確かに力が入っていない。気を抜けば、そのまま木刀をぶん投げかねない。
竜王丸に指摘された俺は、一層手に力を入れて振り下ろす。
すでに何十分も素振りを続けている。俺には○○流とかよくわからないから我流でもいい気がするのだが、一度剣術の師である
ちなみに卜伝の流派は
「竜王丸様は鋭さが全く衰えません。私も見習わなくては」
「あまり慌てるでない。麻呂と鶴丸ではお師匠様に師事している年数が違うのだ」
「ですがやはり学ぶ限りは、負けたくありませぬ」
そもそもこの素振りが尋常じゃなく辛い原因は、体に合っていない木刀にある気がしてならないのだが、その辺周りの方々は如何思われているのか是非とも尋ねたいと思ってしまう。
手はおよそ6才児とは思えぬゴツゴツな手のひらになっている。
大井川城にいる母が見れば泣いて悲しみそうだ。そんなことを思いながら手の汚れを水で洗い流した。潰れた豆に水が入り込み染みて痛い。
「戻られましたか。では続いて算術の――――」
雪斎の教えは容赦のないものだった。すでに体は疲弊しきっているのだが、続けて算術に文字の読み書きと、まだまだ勉学は続く。
2人だから逃げも隠れも出来ない。
すでに用意された机の前に腰を下ろして墨の用意をする。
さて、では頑張ろうとしようか。
「お疲れ様でした。今日のところはこの辺で終わりにいたしましょうか」
雪斎が部屋から出て行き、俺は机に突っ伏してしまう。横には今川家の嫡子である竜王丸がいるにも関わらずだ。
しかし竜王丸はそんな俺を咎めようとはしない。まだ慣れぬことを考慮してのことなのか、はたまたそういったことを言えない性格なのか。
ここに来た頃の俺ならば後者だと思っただろう。しかし今なら分かる。あくまで予想だが前者であると思う。
「今日も頑張ったな」
「はい、頑張りました。竜王丸様も」
「あぁ、しかしまだまだ足りぬ」
どこか遠い目で話される竜王丸の表情を見てしまった俺は心に引っかかるものがあった。それが何だったのかは未だ分からない。
「鶴丸は父が当主として立ち振る舞われている姿を見たことがあるか?」
「御屋形様の事にございますか?」
そんなこと言われても俺が来たのは1ヶ月前で、その日初めて義元と謁見したのだ。それ以降はほとんどお目にかかる事なんてないから、竜王丸の質問の答えはノーだと思った。
「いゃ、一色政文殿のことだ」
「父上の・・・」
思い返してみたら俺は結構父が一色家の当主として立ち振る舞っているのを見たことがあった。
四臣の一角である時宗や弥助、他の2家の当主らとともに領地の発展を目指している。そんな姿だ。
「麻呂は何度もある。そして何度も絶望するのだ」
「絶望にございますか?」
「麻呂にはきっと父上のように今川の当主として立ち振る舞うことは出来ぬ。しかし今川家は父の下で着々と大きくなっているのだ。父上を越さねば、麻呂が跡を継いだとき今川は終わる」
やはり、というよりもここ1ヶ月でわかっていたことだが能天気なボンボンというわけではない。
嫡子であることに悩み、そして今川の強大さに怯えている。それは己の自信の無さから来ているものだった。だから誰よりも今この時間を大切にしているのだと思う。
少しでも当主であり父でもある義元に追いつき、追い抜くために。
残酷だと思うのは、竜王丸の立場を一番理解してやれるであろう弟の存在だ。今川家は先代の死後、義元と側室の子ではあったが兄の
そういう経緯もあって、家中での混乱を防ぐために弟を強制的に出家させるのだ。これでは実質竜王丸は1人。本当の意味で理解してやれる者もいない。
重すぎる荷を背負っている。
「義元様もお1人で今川を支えているわけではありません。雪斎様やご一門衆の方々、そして重臣の方や家臣の皆様のお力あっての強い今川家にございます」
「違うな。それは父上にその器があるからだ。なければ下克上でもして今川家は滅んでいる」
つまりまぁこういう人物である。これでは将来今川が潰れるのも分かる気がした。
俺にはまだ今川に残るという気は全くない。事情が変わったのは、ここから更に2年経ったある日のことであった。
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