第2話 その御方、後の主君
今川館 一色鶴丸
1547年春
父は供の者を連れて大井川城へと帰って行った。後々改めて俺の世話をしてくれる者を寄越してくれるそうだ。
俺も義元との謁見の後、雪斎について館内にある庭へと連れて行かれていた。
庭が近づくにつれ、何かを振っている音が聞こえる。素人ながらに鋭い音であると思いながらその場所へと近づいていった。
「竜王丸様、今日も励んでおられますな」
「これはお師匠様!今日もよろしくお願いします」
「うむ。とにかくその素振りを最後までやってから、いつもの部屋へ来なさい」
「分かりました」
雪斎が竜王丸と言ったこの男こそが後の今川氏真だ。今はたしか9才だったはず。
しかし俺のイメージとは違い、全くナヨナヨしておらずむしろ体は引き締まっているようだった。
それにハキハキとした性格でもありそうだと思った。義元の時しかり、やはり当初思っていたより人物像が大きく異なっている。
「では鶴丸殿は先に部屋へと向かいましょうか」
「はい」
「こちらの部屋です」
未だ庭で木刀を振る竜王丸を横目で見ながら、雪斎の後についていく。しかしどうやら竜王丸も俺のことが気になったらしい。目が一瞬だけ合った。
その目からわずかに喜色を感じることが出来たのは気のせいだったのだろうか?
そしてすぐに目的の部屋へとたどり着く。
「竜王丸様は御年9才になります。鶴丸殿が5才と言うから4つ年上になる。将来の主君ということもありますので、その点だけは理解しておいてくだされ」
「はい、わかりました」
とは言ってみたが、やはり俺は滅亡する家と共に死ぬ気などさらさら無い。早いタイミングで徳川か、もしくは織田につけるのであればそれが良い。
雪斎や竜王丸には悪いが、ここでの経験は他大名の元で活かすとしよう。
そんなことを思っていると、着替えた竜王丸が部屋へと入ってきた。髪がややつやつやなのは水でも浴びてきたのだろうか?
雪斎の正面に座っていた俺の隣に静かに座り頭を下げる。
「お待たせいたしました、お師匠様」
「よいよい、鍛錬をしておったのであろう?それを邪魔した儂が悪いのだ」
「そのお言葉を聞けて安心いたしました。それで・・・」
竜王丸の首がややこちらに向きつつ、それでも雪斎の顔から目を切らずに俺の存在について問いかけている。
「この者は一色鶴丸殿。一門衆である一色政文様の長子ですな。御屋形様の命により、今後は竜王丸様と共に儂の元で勉学に励むことになりました」
「そうでしたか」
そういうと、今度はしっかりと俺の方を向いてたたずまいを正す。
「麻呂は竜王丸。これからよろしく頼むぞ」
そんなことを言われたら俺だってちゃんと返事をしなくては失礼だろう。
俺も慌てて竜王丸の方に体を向けて頭を下げた。もちろんかなり深く下げる。武家の上下関係の作法なんて知らないが、間違いなく現状俺よりも偉い人だ。
「一色鶴丸にございます。未熟者でありますがどうかよろしくお願いいたします」
「うむ。鶴丸、よろしくな」
やや困惑された竜王丸は雪斎に何かを求めて、口を開いた。
まさか何か無作法でも働いたのだろうか?今川が滅亡する前に俺が死ぬなんて一番笑えない最期だ。
しかし竜王丸の言葉は全く見当違いのことであった。
「鶴丸は麻呂と同じく、お師匠様に師事するのですね?」
「そういうことになりますな」
「では麻呂と鶴丸はお師匠様の前では等しく弟子ということでよろしいでしょうか?」
「そうですな。誰の子であるからと儂は贔屓などしませぬ」
そういうと嬉しそうに竜王丸は俺に目を向けた。
「鶴丸!そうかしこまるでないわ。我らは同じく雪斎様に師事する身、お師匠様の前では我らは等しく弟子なのだぞ」
「つまりは・・・?」
「あまりかしこまるでない。それでは家来と同じではないか」
とは言っても家来なわけだが・・・。それに年上程度の敬いしかしてないところを誰かに見られれば斬られる気がする。
誰がどう見ても無礼者だ。
助けを求めるように雪斎に目配せをしたが、雪斎は暢気に笑っていた。
まさか師公認なのだろうか?そうなってしまえば俺に逃げ道は・・・。
それにこれも結局は主からの命である。
「では兄弟子として敬わさせていただきます。過剰にはいたしません」
「・・・まあそれで良いか。では今度こそよろしく頼むぞ、鶴丸」
「よろしくお願いします。竜王丸様」
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