第197話
「おーいリックー! 聞きに来たぞー!」
昼飯を食い終わり、リビングでボケーっとしてると外からリンの声が。あと数時間ほどしたら椅子とひと時の別れを告げて結果を教えに行こうと思ってたんだけど、どうやら待てなかったらしい。
「リンちゃんが呼んでるわよー?」
「んー。分ってるー」
やれやれ。もう少し食休みをしたかったんだけどなー。無視を続けてたらいつまででもあいつはわめき続けるだろうし、先に音を上げるのはこっちだ。正確にはエレナに無言の圧を叩きつけられて強制的に追い出される――だけどな。
「おーいリックー!」
「聞こえてるよー。まったくお前はちょっとも待てないのか?」
「うるせー。お前の事だから遅くなると思ったんだよ」
さすが。よく分かってらっしゃる――とその背後に目を向けると、久しぶりのシグの姿があるじゃないか。
「おっすシグ。元気してる?」
「ん。元気」
「で? 何しに来たんだ?」
「決まってんだろ。しゃかいけんがく? ってのが出来るかどうか聞きに来た」
「ああ。それだったら駄目になったぞ」
さらっと告げたら2人ともにきょとんとした顔をした。どうやら現実を受け入れられないっぽいけど、エレナが駄目だと言えば大抵の物ごとは駄目になるんで、俺にはどうしようもない。
「じゃあそういう訳なんで」
「ちょっと待てよ! なんで駄目なんだよ!」
「危ないからだってさ」
「でも、領主様強い」
「そうだそうだ!」
まぁ、危険と聞いて真っ先に挙げられるのは魔物の脅威だろう。この辺りは大人連中もしっかりと言い聞かせてるだろうから知識としては入ってるけど、ここでの危険ってのは人間相手に対する危険を言ってるんだよね。
「ち・ち・ち。甘いなお前等。何も魔物だけが危ないって訳じゃないんだぞ」
「どういう事だ? 意味わかんねー」
「……悪者?」
「お? シグ正解。よく分かったなー」
「リックの話で聞いた」
……あー。そういえばまだ勉強会を始めたての頃、昔話をしてやったっけ。そう言う物の中には当然悪役が存在して、悪い人間ってのが居るって覚えてたのか。
「悪者ってなんだ?」
「ガラスの靴の継母」
「あー! あのムカつく奴か!」
シグの説明でどういう奴か分かったらしく、うがーっと吠えて地団太を踏む。シンデレラや白雪姫とかの話を聞いててイライラしてたうちの1人だからな。
「そうだ。他の村にはああいった連中よりより悪い奴が少なからずいて、父さんもグレッグもお前等を四六時中見張るって事は無理そうだからな。母さんが駄目だって結論を出した」
「どうしても?」
「母さんを説得できる材料が無いからな」
大人であれば自制は利くだろうけど、ガキがそう言うのが無理なのは前世でも滅茶苦茶見て来た。日本くらい平和であればエレナも反対はしなかっただろうけど、ここは命の価値がすこぶる低い中世ファンタジー世界。説得は難しい。
「むーっ! せっかく美味いモンが食えると思ったのに!」
「仮に隣村にそれがあったとしても、お前金がないだろ」
「……そういやそうだった」
目的はあくまで勉強の有用性を叩きこむための行為だからな。しかし……改めて思いの丈を聞けば連れてかない方がいいなと再認識するよ。
「本……」
「諦めな。またルッツが来た時にでも読ませてもらえばいい」
「……本」
やれやれ。顔がいいってのは約得だね。シグがガッカリした顔をするとそれだけで罪悪感から胸がズキズキ痛むね。来月は多少薬草の量を都合してもらって本でも注文するかな。
「さーて。俺はぐーたらさせてもらいますかね」
「じゃーなリック。ほら行くぞシグ」
「本……」
あっさりと社会見学の話は消えてなくなった。ポロッと軽はずみに出した案だっただけに無くなって良かったよホッと胸をなでおろす。あの様子だと、あっちへフラフラこっちへフラフラって感じで勝手な行動をして迷子になって人攫いに奴隷として売られる可能性が高そうだ。
「ふあ……疲れた」
「どの辺が疲れたってのよ」
ハンモックに寝転がり、そんなつぶやきを漏らしたら隣からアリアがぐにっと頬を抓って来た。痛くはないけどぐーたらするのに邪魔なんで離して欲しいなー。
「何か用?」
「お昼前に頼んでた奴は?」
「お昼前……あぁ。あれは今冷やしてるから数日は無理だね」
「夜に使いたいから何とかしなさいよ」
「どうなってもいいっていうなら魔法で冷やすけど?」
まぁ、粉々になるような事はないだろうけど、あんま良くない事が起きるような気がするんだよね。あくまでイメージでしかないんで確信はないけど、いざ急速冷凍してぶっ壊れました。それでボコボコにされるのは俺だからな。一応言質は欲しい。
「うーん……とりあえずゲイツ兄さんがいる間は急がない事にするわ」
「あっそ」
まぁ妥当な判断だけど、その位の事を考える頭はあるっぽいのか? 単純に筋トレするよりゲイツとの訓練の方が身になると判断したのか……きっとそれだろうね。所詮は脳筋判断か。
「いたたたた!」
「アンタ今……アタシを馬鹿にしてたでしょ」
「何の根拠もない言いがかり止めてくれない?」
口には出してる訳がないしポーカーフェイス――は最近出来ないという認識を持ち始めたんで自信はないけど、俺がイメージするほど顔には出てないと思うんで、本当にこの野生の勘ってのは怖いね。
「……まぁいいわ。ところで玄関でなんか騒いでたみたいだけど何だったの?」
「んー? ちょっと勉強の一環でリン達を隣村まで連れてこうかなーって」
「わざわざそんな事をする必要があるの?」
……まぁ、ないっちゃないけどあるっちゃある。とはいえそれを普通に説明したところで理解が得られるかは別の話なんで、分かりやすく置き換えて話す必要があるのが少しだけ面倒臭い。
「えーっと……姉さんは自分がどのくらい強くなったか興味ってないの?」
「あるに決まってんじゃない」
「今回のもそれに似てるんだよ。ウチでは買い物とかしないけど簡単な計算はさせてるし、文字を読まなくてもいい生活をしてるけど文字を覚えさせてるからね。そう言った身に付いた教養ってのを1回どこかで使える物なんだよってのを教えたかったんだけどねー」
ここまでの考えは良かったんだけど、エレナから人攫いや犯罪者の存在を教えられてハッとさせられたもんだ。
「母さんから待ったがかかって、残念ながら叶わずって事になったのが嫌だったみたいでね。少し揉めたんだよ」
「ふーん……ま。アタシには関係なさそうね」
「いや。姉さんも読み書き計算くらい出来ないと立派な冒険者になれないよ?」
一応エレナから読み書き計算を叩きこまれてはいるけど、その成果が全くと言っていいほど花開かない。俺はとうの昔に勉強は不要と判断されてるからその場にいる事は少ないんだけど、記憶してる限りだと、一応熱心に取り組んでるだけに哀れでならない。
「分かってるけど全く頭に入らないのよねー」
「だったら頭に入るまで母さんに教えてもらったら?」
アリアが勉強したいと言えば、きっとエレナは喜んで叩き込むだろう。
まぁ、その代償として精神がどうなるかは知らんけどね。こうして軽く提案をしただけでも頭痛がするのか頭を押さえて数歩ふらついた。
「そんな事をしたら死ぬから嫌よ」
「出来ないとこの領地を支える事なんて出来ないよ?」
アリアの目的は冒険者になって強くなること以外に、多額の依頼料を稼いでこの領地を豊かにしたいと思ってるハズ。そうだと信じたい。であれば、多少の苦難だろうと乗り越えてほしい。
「じゃあアンタがアタシをそうなれるようにしなさいよ」
「まぁ、出来なくはないけど……本当にいいの?」
いくらアリアが脳筋化け物だとしても、俺の魔法には及ばないんで拘束する方法はいくらでも存在する。なので、本人がいいよと言えば人権ガン無視で椅子に縛り付けて俺とエレナとシグで長時間勉強を叩きこむ事は出来るんだけど、間違いなくおかしくなると思う。
なので普通に忠告しただけなんだけど、またポーカーフェイスを貫通したんだろうな。あのアリアがドン引いた表情をしてる。
「やっぱりいいわ」
「賢明な判断だけど、最低限は覚えないと駄目だよ」
「分かってるんだけど、本当に――」
「アリア。いつまで休憩してるんだい? もうへばったのかな?」
「冗談! すぐにその顔面に1発入れてやるんだから!」
あーあ。せっかく勉強の話をしてたのに、ゲイツの乱入によってご破算に。
これは、いつか本当に実行に移さないといけないっぽいなー。
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