第110話

「おーい。サミィ姉さーん」

「うん? なんだいリックじゃないか。どうしたんだい?」


 兵錬場から引き揚げ、畑仕事を一通りこなして家に戻る道中で、広場でお姉さんたちとの会話に花を咲かせているサミィを発見したんでこれ幸いと声をかけたら、その方々からの突き刺さるような視線の1つ1つが邪魔すんじゃねーよと言ってるように鋭い。


「ちょっとアリア姉さんの事で相談があるんだけどいい?」


 ちらっとお姉さんたちに目を向けると、鋭い視線が鬼のような形相に。サミィがお姉さんたちに人気があるのは知っているが、いくら娯楽がない村だとしてもここまでともなるとさすがに危険な気がするな。

 一応砂糖があるんでお菓子なんかを作ってばら撒くか? そうなるとまた新たな労働を自ら引き寄せるだけだし……でも、そうやってストレス解消的な事をしないといつかサミィ姉さんに結婚話が持ち上がった時に暴動が起きかねないんじゃないだろうか。

 ……まぁ、そうなっても火消しをするのはヴォルフやゲイツだろうから俺には関係ないか。


「——ック。リック?」

「んあ? なに?」

「なにじゃないだろう。相談があるっていうから一緒に帰ろうかと言ったのに反応がないから」

「ごめんごめん。それじゃあ行こうか」

「それじゃあまた今度ね」


 そう言ってにこやかにウインクを決めると、お姉さんたちがほほを朱に染めて嬉しそうに送り出してくれた。うーん……よくああいう事を恥ずかしげもなく良くできるよねぇ。おかげで助かったけど。


「それで? アリアの事だと言っていたけど、何かやらかしたのかい?」

「そういう訳じゃないよ。単純に勉強に本腰を入れてくれるかもしんない方法を見つけてね。それをサミィ姉さんと母さんに頼もうかなーって」

「……リック。君、それは本気で言っているのかい?」


 俺の発言に、驚きのあまり目を見開いてぐっと詰め寄って来たのも仕方ない。それくらいアリアは勉強が苦手だし、どれだけ教えても寝て起きたら忘れるってくらいに勉強に関しては物覚えがよくない。

 逆に剣に関しては1を聞いて10を知るってレベルじゃないけど、6か7くらいは理解できるくらいには才能があるんで、ヴォルフも熱心に剣術修行をつけてるらしい。

 そのくらい、脳筋オブザイヤー連続受賞中のアリアが勉強に身を入れると言うのは耳を疑うんだ。


「とりあえず母さんにも話を聞いてもらいたいんだよねー」

「間違いなく聞くだろうね。そしてそれが有効なのであればやるだろう」

「だよねー。いっつも苦労してるもんねー」


 アリアの勉強は基本的にエレナが教えているというか、家族の勉強は俺を除いて全員が教わっており、サミィは優秀な生徒として簡単な計算は出来るし、王国の歴史にも詳しい。

 一方で俺は歴史がさっぱりだが、どうせ成人したら平民になる予定だし、全く思い入れもない国の歴史を知ったところで何の意味もないからな。最低限の事は知ってるけどそれ以上は必要ないってスタンスを貫いてる。

 その中でアリアは勉強に全く興味がない。一応文字は書けるし、足し引きの計算も出来るがマジで遅い。さっきも両手の指を超える計算ともなるとその遅さは顕著になる。

 冒険者を目指すんであれば最低限必須だってのに、いまだにこれじゃあ頭の痛い話だが、俺の提案が実を結べばアリアの頭脳は脳筋から馬鹿くらいにはレベルアップするかもしれん。


 ——————


「ただいまー」


 多少急ぎ目で帰宅すると、エレナは半分くらい溶けかけてる氷の傍で優雅に編み物に興じていた。少し焦ってるように見えるのは気のせいとしておこう。藪蛇になるのは勘弁なんでね。


「あらー。おかえりなさーい。ご飯はまだよー?」

「平気です。それよりもリックが大変に重要な案件を提案してきたので相談を」

「リックちゃん、またなにかやっちゃったのー?」

「またって言い方が気になるけど大した事じゃないよ。アリア姉さんが勉強するかもしれない方法が見つか――「とても重要な事じゃない」」


 やはりエレナもアリアの物覚えの悪さと勉強嫌いにヤバさを感じてたみたいで、肩の骨が飛び出るんじゃないかってくらい力強く握られて滅茶苦茶痛い。


「とりあえず落ち着いて」

「あらーごめんなさーい。そじゃあじっくりお話を聞きましょうかー」


 ニコニコ笑顔ではある物の迫力が凄い。飯抜いたの時の押し潰されるようなものと違って暑苦しいくらいの熱気を感じる。


「えーと。きっかけはルッツの護衛で来てる魔法使いとの会話なんだ」

「ふむ……君が魔法談義をするというのであれば理解は出来るが、アリアがそんな関心なさそうな事をするのかい?」


 魔法ってのは詠唱ありきの武力だからか、アリアはまったく興味を持たないし、対魔法使いの勝負に関しては詠唱が終わる前にぶった斬ればいいだけでしょ? という精神で訓練に励んでるんで、サミィの疑問はもっともだ。


「当たり前だけど関心を持ったわけじゃないよ。きっかけはグレッグ用に馬の魔道具なんだけどね」

「馬の魔道具?」

「そう。手紙届けに行くって聞いたから馬を用意しようかなって思ったんだけど、細かい動きが出来ないから空を浮いて移動する物に変更したんだよ」

「もしかして、さっき村で空飛ぶ魔物が出たって言ってた原因は君かい?」

「あー。そう聞いてる。左右に旋回する実験してただけなんだけどねー」


 あんま高く飛んでなかったと思ったんだが、特段遮る物がなく他に目を奪われる物がないと言う事が合わさった結果か。


「まぁ、それは置いといて、その騒ぎでアリア姉さんが魔物だったらぶった斬るとか言ったのに対して護衛できてる魔法使いが難しいと言ってね」

「「あー」」


 それだけでどうなったのかが分かるのが家族って感じだね。

 アリアは基本的に負けず嫌いで、うっかり勝とうもんなら納得するまで勝負を挑まれて続けるんで、その相手をするのはヴォルフかグレッグぐらいしかいない。

 ちなみにだが、この負けず嫌いは勉強には一切効力が及ばない事を追記しよう。


「それで勝負を挑んだんだけど、魔法使いと剣士じゃあ勝負にならないじゃん?」

「そうなのですか?」

「ええ。魔法使いは詠唱があるから近距離は不利でー。剣士——というか近接職は魔法を撃たれると防ぐ手段が乏しいから距離があると不利なのよー」

「はて? 詠唱というのは長いのですか?」


 ちらりと俺の目を向けながらサミィが疑問を口にする。まぁ、そう思うよね。何せ俺の表向きの詠唱は単語で十分だからね。近距離が不利というエレナの説明に疑問を感じるんだろうね。

 エレナもそれが十分に理解できてるようで、不思議そうに首をかしげながら「リックちゃんは特別なのよー」と言った。


「リックちゃんは例外ねー。お母さんもお父さんと一緒にいくつもの戦場を渡り歩いてきたけどー、リックちゃんほど早く魔法を撃つ魔法使いはエルフ1人くらいかしらねー」

「まぁそれはいいじゃん。今はアリア姉さんの事でしょ」


 あんまり魔法の事に関して話を広げられて学園に行けとか言われるのは本当にストレスで胃に穴が空きそうだからな。あんな地獄に落ちるために俺は転生したんじゃない。ブラック企業で身を粉にして働いた分のぐーたらを取り戻すためにいるのだ。


「で、アリア姉さんがだったら動きながら詠唱すればいいじゃないって事を言ったんで、簡単な計算問題をだしてから石を投げてみたら簡単に当たってね。それを軽く煽ったら火が付いたみたいで、今頃は魔法使いを相手に頑張ってるんじゃない?」


 説明おしまいとばかりにテーブルにぐだっと顎を乗せると、2人はうーんと唸る。


「確かにその方法であれば訓練にもなっているね」

「そうねー。それに、計算が出来れば誰でも出来ると言うのがいいわねー」

「ですね。これであれば勉学にもなりますので、アリアの為になるのではないかと」

「ありがとうねリックちゃーん。どうやったらアリアちゃんが勉強してくれるのかと頭を悩ませていたのだけど、こーんな方法があるなんて思いもしなかったわー」

「後はこの方法を飽きずに続けるかどうかだねー」


 とりあえず方法は提示した。後は脳筋アリアがこの勉強が馴染むかどうかだね。かなりの負けず嫌いだけど勉強に関して適用されないから、欠片も進展しないまま続くとなると――


「ただいまー」


 噂をすればなんとやら。アリアが帰って来た。装いはいつもと違って泥汚れや土汚れはないけど、結局1回も出来なかったんだろうな。その表情は不満そうに歪んでいる。


「お帰りアリア。リックに聞いたら新しい訓練を始めたそうじゃないか」

「止めたわ。あれじゃ剣の訓練にならないもの」


 不貞腐れながら俺にこっちに来いと顎で指示を飛ばす。汚れてはないけど汗はかいただろうから風呂にでも入りたいんだろう。

 いつもであれば魔法洗濯機で済ませる所だが、今日はいつもと違って面白くも何ともない訓練だったから早上がりしたんだろう。ゆっくりさっぱりする時間的余裕がある。

 そんなアリアの一方で、アリアの止めたという発言を聞いてあからさまにがっかりするエレナとサミィの姿がなんとも申し訳ないが、7割くらいはこうなるんじゃないかと思ってたんで余計な期待を持たせてごめんねーと心の中で謝罪しながら風呂場に逃げた。

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