第9戦:家族旅行もトラブルばかりな件について

1.

 晴れ渡った空の下――……。


「おー、なかなか良い所じゃないかー!」


 新鮮な空気を肺に取り込みながら梅吉兄さんは、はしゃいだ声を上げる。


 さっきから目に飛び込んで来るのは、緑、緑、緑の、緑一色の光景で。山に囲まれた旅館を前に、兄さんは背筋を大きく伸ばしている。


「話には聞いてましたが、でも、まさかこんな山奥だったなんて」


「うん。随分と長い時間、バスに乗ってたからね」


 私につられるよう、藤助兄さんも振り返って来た道を見返す。すると果ての見えないその景色に、緑の深さをより実感させられた。


「いいじゃねえかよ、自然が満喫できて。

 んー、空気がおいしいなあ」


「はい、本当に気持ち良いです。でも、急な話でしたよね。いきなり梅吉兄さんが、『旅行に行くぞ!』なんて言い出した時は、何事かと思いましたよ」


「なに、細かいことはいいじゃねえか。せっかくもらった旅行券だ。使わないと損だろう」


「そうですけど、その旅行券って、『幸せ家族策略』の賞品なんですよね?」


「ああ、そうだ。こうしてゆったりと温泉旅行できるのも賞品に旅行券を選んだ芒のおかげだ。

 という訳でみなの者、芒に感謝するように」


 ふふんと鼻息荒く踏ん反り返る梅吉兄さん。そんな兄さんに、道松兄さんは平常以上に眉間に皺を寄せ、

「なんでお前がえらそうにするんだよ」

と口先をとがらせる。


「だから細かいことはいいじゃねえか。なあ、芒」


「うん! それより早く中に入ろう」


 ぐいぐいと腕を引っ張り出す芒に、藤助兄さんは落ち着いた調子の声で、

「こら、芒。そんなに慌てないの。他のお客さんもいるんだから、騒いだら迷惑だろう」


「だってえ……!」


 ぷくうと風船みたいに芒の頬が膨らむ。そんな芒に桜文兄さんは、ははっと軽快に笑う。


「でも、芒がはしゃぐ気持ちも分かるよ。こんな風にみんなで出かけるのなんて初めてだからね」


「へえ、そうなんですか」


 そう言えば私も遠出なんて、部活の合宿以外では久し振りだ。それも家族旅行なんて一度だけ、お母さんと箱根に行った時きりだ。もう一度だけで構わなかった、できることなら、お母さんと来たかったな……。


 なんて、ちょっと感慨に耽っちゃった。


 私達は早速旅館の中に入ると仲居さんを先頭に、ぞろぞろと長い廊下を進んで行き、突き当たりまで来ると、ようやくそこで止まった。


 部屋の中に入ると……、

「おー! 広いし、きれいで良い部屋じゃないか」

 梅吉兄さんをはじめ、きらびやかな室内の様子に誰もが感嘆の声を上げた。


「お気に召していただき光栄です。ですが、万が一何かあっても当旅館では一切の責任は……」


「そのことなら大丈夫ですよ」


 仲居さんの不安げな面持ちとは裏腹、梅吉兄さんはけろっとした顔で、気にしないでくださいと軽く後を続ける。


 だけど、その場から遠ざかって行く中居さんの挙動不審な様子に、私もだけど藤助兄さんが首を傾げさせる。


「ねえ、梅吉。なんだよ、今の会話は。仲居さん、責任がどうとか言ってたけど」


「ん、ああ。いやあ、この部屋、出るんだってさ」


「出るって、何が?」


「おい、おい。旅館で出ると言えば、そんなの一つしかないだろう」


 やっぱり梅吉兄さんは、けろりとした顔のまま。一向にひょうひょうとした態度だ。


 そんな兄さんを前にして、藤助兄さんは顔を青くさせると生唾をのみ込ませ、

「それって、まさか……」


「だから、ゆうれ……」

 最後の「い」の音が発音される前に、藤助兄さんの口から、

「ギャーッ!!?」

と盛大な悲鳴が発せられる。


 誰もがその音に耳をふさぐ中、藤助兄さんの顔色はますます青くなっていく。


「なななっ、なんでそんな部屋にしたんだよっ!??」


「だってこの部屋、すごく安くてな。どうせなら浮いた金で、おいしいものをいっぱい食べられる方が良いじゃないか。

 藤助だって、こんなに安いのかって、あんなに喜んでた癖によー」


「それは、そういう事情があるなんて全然知らなかったからで。いくら安いからってなあっ……!!」


「ははっ、藤助ってば相変わらず怖がりだなあ。令和というこの時代に幽霊なんて出る訳ないじゃないか」


「でも、でも、でもっ! 出るからそんな噂が立ってるんだろう!? しかも、そのせいで宿泊費も安くなってる訳だし……」


 瞳にたっぷりの涙をため、ぶるぶると握り締めた拳を振るわせる藤助兄さん。そんな兄さんを余所に、けらけらと笑い飛ばしている梅吉兄さんを怪訝な目で見つめながら、

「やはりコイツに任せるんじゃなかったな」

と、げんなりとした顔で道松兄さんが額に手を宛がえた。

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