6.
ストーカーだと思っていた男は、実際は菊のファンで。だけど菊に直接サインを頼む勇気がなくて、それで菊と一緒にいた所を見かけたことがある私に菊のサインを頼もうと、ずっと機会をうかがっていたんだって。
嫌がっていた菊だけど、最後には渋々といった調子でサインを書いてあげていた。
付け回されていたのは本当だけど、でも、理由が理由なだけに。問題は解決したけど、私はなんだかとっても複雑な気分だ。
そんな私の心境なんて露も知らない例の、菊のファンだという男は無事目的を達成できると、スキップ混じりな足取りでその場から去って行った。
その後ろ姿を見送ると、
「それじゃあ、俺達も帰ろっか」
桜文兄さんはそう言ったけど……。
「あれ。牡丹ちゃん、どうかしたの?」
「えーと、その、ちょっと腰が抜けちゃって……」
どうしよう。ほっとしたからかな。緊張の糸が切れたからか、うまく足に力が入らなくて全然立てない。
それでもどうにか立ち上がろうと奮闘していると、桜文兄さんが私の前にしゃがみ込んだ。それから私の方に身を寄せて、
「きゃっ!?」
瞬間、ひょいと体が軽くなった。足はぶらぶらと覚束なく、宙に浮いている。
えーと、これってもしかして、お姫様抱っこ……!?
桜文兄さんは私を抱えたまま、すたすたと家に向かって歩き出した。一方の私はと言うと。
は、恥ずかしい……!
頬には高度な熱が集まり、心臓は、どくどくと不規則に脈打つ。
「あの、桜文兄さん。下ろしてください!」
「えっ、どうして? 牡丹ちゃん、歩けないんでしょう?」
「それは……。で、でも私、重いですしっ……!」
「そんなことないよ。牡丹ちゃん、とっても軽いよ。それに、」
桜文兄さんは一拍空けてから、
「だって、牡丹ちゃんは大切な妹だから――……」
にこりと微笑む兄さんに、私はそれ以上は何も言えず、されるがままで。
「今日の夕飯は何かなー」と口遊む兄さんの声は、やっぱり私の中には入ってこなかった。
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