17. 条件がある
「……?ニレケイ?」
「わっ、片桐さん…!?」
ニレケイの卒業式が終わってからしばらく経った、3月下旬の平日。ヤボ用で寄った『くすりのタナハシ三丁目北店』から出ると、目の前に昨日逢ったばっかのカオがあった。
「あー、そういや昨日『映画観てくる』っつってたな。そこ行ってきたんか?」
俺はニレケイの背中越しに、ピーカンの空ん中で一際目立つ赤い看板を指さした。この店舗からなら、映画館が入ってるビルは目の前だ。
去年の3月に休校んなってからずーっとこの1年自粛しかしてなかったこいつが、別れ別れになるダチと最後の思い出作りに初めて出掛ける!…っつったのが近所の映画館。しかも去年の秋から公開してるロングランのやつを今。…なんつーか、いじらしくてこっちが泣けてくる。謝恩会とかで宴会しちゃあ感染拡げてる大人どもに爪の垢でも飲ませたい。
「はい、面白かったし主題歌も最高だったんですけど……後ろの方にずーっと咳してるお子さんがいて、やっぱり気になっちゃって。私たちはオンラインでいいかなって話になりました。…ね?」
「…ん?」
そう言ってニレケイが振り返ると、後ろに若い女が立ってるのが見えた。…つーことは、この2人がいつも言ってるダチか。
「あんたらがヒナとホノカ?」
「「……………」」
ちっこくて髪を結んでるのと、ちょっとデカくてショートのに声を掛ける…が、返事はない。2人とも、目をまん丸くして口をぽけっと開けたままこっちをガン見してる。
「ええと、まさか今日ここで逢えると思ってなくて、2人ともびっくりしてるんだと思います…ほら、この人が片桐さん。逢いたがってたよね?」
「いや、俺は構わねーけど…」
まあ髪切ってからはよくある反応だが、俺にしてみりゃこの見飽きたカオの何にそんなにビビるんだか相変わらずさっぱりわからん。つーかマスクでカオの大半は隠れてんだから、見えてんのは目と髪くらいじゃねーのか?
…とはいえ、大学行ってからもニレケイの近くに居そうな2人に面通しできんのは、俺的にはまたとないチャンスだ。少し屈むと、俺は2人に目線を合わせて挨拶を入れた。
「片桐周。よろしくな」
「あ……………」
「ハイ…………」
極力優しげな声を出してみたつもりだが、反応は薄い。どーすっかと考え始めた時、俺は2人の耳に見覚えのあるもんを見つけた。
「お、あんたらもコレ付けてんだな。…ほれ、俺もだ」
「「!!!!!」」
横髪をかき上げて、レジンのクリスタルピアスを見せる。俺は黒・紫・紺が入った深海っぽい色だが、ちっこいのはピンク・紫・水色でなんか綿菓子っぽいし、ショートのは赤・オレンジ・黄色で、日に透けると夕焼けみてぇだ。こうやって見ると同じ形でも全然雰囲気が違う。色違いでもうひとつ作ってもらうのもアリだな。
「ああ~みんなお揃い…芸がなくてすみません……」
「何言ってんだ、キレーだからみんな欲しがるんだろが。なぁ?」
「あ……………」
「ハイ…………」
まだ2人の反応が薄い。…けっこー硬直時間が長ぇな。まぁ、モデルだジョニーズだって道端でギャーギャー騒がれんのよりは断然マシだ。つか、ニレケイから事前情報なかったんか?『ヒゲヅラのオッサン』から情報のアプデなしだったとかならわかるが。
「じゃあ私たちはこれで………」
「失礼します………」
結局、2人がマトモに喋ったのはそんだけだった。ぺこりと頭を下げるとその場でぐりんと方向転換、妙にフラフラした足取りで駅方面に消えていく。
「おい…いーのか?一緒に出掛けてたんだろ」
「いいんです………2人の気持ちはわかるので」
ニレケイもニレケイで、何故か神妙な目で2人の背中を見送ってやがる。あのなあ…どーゆーネタのされ方してんだ俺の顔面は。これ以上めんどくせーことになる前に、コロナ落ち着いたらまた髪伸ばすか……
「…あれ?佳衣?」
「あ、晴日くん!」
……………は???
突然俺の後ろから底抜けに明るい声が掛かると、ニレケイの目と声が最高に弾んでそいつの名前を呼んだ。
「片桐さんがずっと入り口に居たから、どうしのかと思ったら…久しぶり!」
「バイトしてても1回も会わなかったもんね。元気だった?」
店ん中から出てきて談笑を始めたのは、さっきまで俺と仕事の話をしてた三丁目北店の副店長だった。社長の息子で次期社長でニレケイのイトコでもあるのは当然知ってたが、なんつーか…イトコってのは普通こんな仲いいもんなのか?年は俺と同じくらいのはずで10近く違うし、おまけに男だってのに…自分にまともな肉親がいないもんで距離感がさっぱりわからん。でもまあ、あの社長の息子だけあって性格良し頭良し顔良しの絵に描いたよーな好青年だ、ニレケイが邪険にする理由もねぇか。
「…去年はありがとな。受験生だったのに、親父が無理言ったせいで」
「ううん!無事に推薦も決まったし、伯父さんの役に立てて嬉しかったよ」
「そっか…ほんと佳衣はいい子だよな。お陰でうちは乗り切れたよ」
副店長の手が伸びてニレケイの頭を撫でた。撫でる方も撫でられる方もあんまり慣れた様子だったんで、目の前の俺ですら気付くのが遅れたほど、至極自然な動作だった。
「仁礼のみんなは元気?お盆も正月も行き来してないからな」
「こんな年初めてだよね。またコロナが落ち着いたら来て来て!」
…随分遅れて今、モヤつきとかムカつきに似た何かがガンガン俺にまとわりついて来た。両方ともなんも悪いことはしてねえし、俺が割って入る場でもねぇのはわかるが、席を外したくもねえ。どんだけガキくさい感情に振り回されてるのか自覚はあっても、自分じゃどーにもならん。…今までの俺なら、女がどこで誰と話そうとこんな思いをしたことなんざなかった。
「そうそう、片桐さんとのことも親父から聞いてるよ。というか、会社公認?みたいだね」
「あ、うん。有り難いような恥ずかしいような……」
2人の話と目線が急に俺に向く。副店長がぺこりと頭を下げてきた。
「佳衣がいつもお世話になってます。末永く宜しくおねが……」
「ちょっと晴日くんそういうのやめて!もう何言い出すの!?」
いつも年の割にしっかりした言動ばっかのニレケイが、そこらへんのJKとおんなじに声を荒げて副社長を小突く。
…今気付いたが、やけに仲よく見えんのは、ニレケイが会社や俺の前じゃ絶対デフォルトにしてる敬語がないせいかもしれん。副店長も副店長で、立ち位置が家族みてぇな…家族ってか兄貴か?
なあ、あんたがほんとに『
「すみません片桐さん、お恥ずかしいところを…」
副店長と別れた後、俺はバイクを押しながら駅までの道をニレケイと歩く。2人になった途端、何故か俺は聞きたくもねぇことを隣にガンガン聞いていた。
「……副店長とはいっつもああなのか」
「ああって…?」
「…兄貴みてーにしてんだろ」
「あ、そうですね。元々、お母さんと昭伯父さんが仲良し兄妹だから、私たちも小さい頃からよく遊んでて」
「他のイトコもそうなんか」
「ええと、一番家が近いのが昭伯父さんちなので、晴日くんが一番仲いいですね。お父さん方は県外だし、そんなに頻繁には会わないというか」
「会うって、どんくらい会うんだ」
「え?お盆とお正月はみんなで顔出しますけど、コロナになってからは、伯父さんがマスクとか色々持ってきてくれたりしてて、割と…」
「副店長は」
「来ないですよ?あ、1回だけ、去年の春に消毒用アルコール持ってきてくれたかな…」
「いっつも頭撫でてくんのか」
「………片桐さん、どうしたんですか?」
さすがに察したニレケイが歩くのを止めた。俺はひたすらバイクの前輪を見ながら声を絞り出す。
「…俺にもわからん」
完璧ウソだ。もちろんニレケイにもそれはわかってて、その証拠にこいつは俺の上着の端っこをつまむと少しだけ引っ張った。
「間違ってたら申し訳ないんですが………ひょっとして、嫉妬してくれたんですか…?」
「………………」
まあ…そーだろな。今まで妬かれたことはあっても妬いたことなんざなかったが、多分こいつがそうなんだろう。こりゃあキツイわ、マジでやってらんねぇ。俺以外の男に触ってんの見たり、ニレケイが取られるんかと思っただけで、自分がバカみてぇにビクビクすんのがわかる。こいつは俺のもんだと今道端で叫び出したいのと、冗談じゃねぇんなアホな真似できっかっつーマトモな思考とが混じって俺にも訳がわからん。
あんたはオヤとかダチとかいっぱいいんだろ?俺が傍に置きてぇのはこいつだけなんだ、他にはなんも要らねぇから、こいつにだけは手出さねぇでくれ――ただそれだけを強く念じてやまねえ自分に自分でドン引きだ。これは俺の人生初のヤキモチか神頼みってやつのどっちか、あるいはその両方に違いなかった。
「……誰にも取られないですよ?」
突然隣から応えが聞こえて肩が跳ねた。んなみっともねぇこと、口に出してはなかったはずだが……
「私は、片桐さんが大好きなので」
――そのセリフに、自分のカオが熱くなんのがわかった。女で随分と年下だってのになんつー男前だよこいつは……バイトん時からずっとそうだ。誤魔化したり気を引いたりのムダな駆け引きは一切ナシで、ニレケイはいつもただ真っ正直に俺の目を見て話してくる。オヤもそうだが、人の、とりわけ女の気持ちなんてのはコロコロ変わって当たり前のもんだと思ってた俺が、『こいつは違う』と初めて思わせてくれた奴だ。俺は諦めることも放り出すこともできねぇまま、頼むからこのまま違っててくれ、俺が死ぬまででいい、ってガキん頃みてぇに震えながら祈るしかできねえ。
ニレケイがまた上着をくいくいと引っ張る。
「………片桐さん?信じてくれますか?」
「…………………わかった。でも、いっこだけ条件がある」
「条件?なんですか…?」
ほんとは条件もクソもねぇ。正直なところ、俺はこの不安が少しでもラクになりそうな呪文に心当たりがあっただけだ。
「…………………………『周』にしろ」
「え?」
「いーから!これからは周って呼べ」
はーーーーーーーーーーーーよくんなカッコ悪ぃこと口に出せたな俺は。反応が返る前にさっさと歩き始めた俺は、けどいつまで経ってもニレケイがついてくる気配がなさすぎて、ついに振り返る。ニレケイは胸の前で両の拳を握り固めて、さっきの場所に突っ立っていた。
「か、わ………いいと思ってしまうのはきっと失礼ですけど、わかりました!周さん、ですね」
「………ん」
んなデケェ男捕まえてかわいいなんつーのは世界でお前くらいだしかわいいのはお前だ、と言いたいのを堪えて、俺はどうにか返事した。
「じゃあ、私も『佳衣』ですね」
「はっ?!なんでだよ?!」
「え、でも『仁礼』外すだけじゃないですか?」
「全然違うわ!!」
「そうなんですね………」
ああくそ見なくてもわかるくらいしょげてるこいつを俺がほっとけるわけねぇだろが汚ぇぞ……!
「わーったよ!…………………け…佳衣、」
「はい!」
――まったく、本気のレンアイってのは無茶苦茶だ。名前ひとつ呼んで呼ばれるだけで、天地がひっくり返るくらいこっ恥ずかしいもんだとは。
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