番外編

16. ひとつだけ欲しいもの

 2020年の年の瀬、やっとニレケイの受験ってのが終わった。

 俺には想像もつかねえが、大学行ってもっと勉強してぇことがあるらしい。しかも、高校で頭のいい奴が上から採られる試験に通ったって…姉ちゃんといい、ずいぶんと出来のいい姉妹だ。けど、俺がそう言うとあいつは「勉強の出来と頭の良さは別物で、あなたは後者です」とかってえらい真面目に言ってくる。なんにせよ、中卒の俺からすりゃガクレキを気にしねえでくれんのは単純に有り難い。

 人間ドックの結果も知らせたし、コロナも陰性、ニレケイは冬休み。これで晴れて毎日顔が見られると思いきや、いくら残業なしで仕事を終わらせたところで、コロナのせいでそう簡単に逢える時間が増やせねぇのは痛かった。場所が限られる上に、季節柄仕事終わりまで待たせんのも風邪引かせそうで、いくら本人が良くても俺が嫌だ。風邪なんか引いて免疫力が弱ったところにコロナに罹ったりすりゃあ……もう入院騒ぎの時みてぇな肝の冷え方をすんのは二度とごめんだ。

 ったく、ただカオが見れりゃいいだけなのになんなんだよ。ぶちぶち言いながら解決法を考えてるうちに、何故か俺のシフトは12月24日が有給になっていた。社長以下会社中の人間に仕組まれたらしい。全員妙にニヤニヤしながら、勝手にクリスマスデートだプレゼントだと騒ぎ立ててる様がむちゃくちゃ楽しそうで、余計と有り難いが半々だ。

 つっても第4波の最中でメシ喰いに行くのも危ねーし、コロナ禍でもできるクリスマスらしいことっつったら……ってことで、俺らは無難に真っ昼間っから駅前のツリーモドキを見に行くことにした。正直髪切ってからこっち、人が多いとこだとジロジロ顔面見られまくる生活に戻ってて居心地は悪ぃが、ニレケイに逢えんなら話は別だ。4日ぶりのカオと私服を飽きるまで眺め回した後に、まだガラガラの駅通りをなんでもねぇ話をしながら歩き出したまでは良かった、はずだった。

 「29日って…今月ですか?!ちょっ、クリスマスどころじゃないですよ!!」

 「へっ?この年で誕生日とか、別に…」

 「何言ってるんですか怒りますよ一番大事な日でしょう?!」

 「………そーゆーもんか?」

 「そーゆーもんです!」

 なんでこんな話になったんだったか…俺の誕生日が5日後だと知った途端に、ニレケイは見たことねぇほどの剣幕で繋いでた手を離すと、俺に指を突きつける。本気で怒ってるわけじゃなさそうだが、普段温厚な奴ほどキレるとヤバいってのは世の常識だ。俺は両の掌を肩まで上げてさっさと降参する。

 「悪かったって……時期的に誰にも祝われたことねーし、俺も忘れてたくらいだしよ」

 「じゃあ尚更私がお祝いしないとじゃないですか!ああもうまだなんの準備もしてないのに…!」

 …こいつと居ると、今まで俺が『付き合った』と思ってた女とのやりとりはなんだったんかといつも思う。常に物欲まみれで俺にねだる機会を伺ってて、俺を片っ端から知り合いに会わせて自慢して、思うように振り回して飽きたらいなくなる、女ってのはそういうもんだと思ってた。クリスマスなんざブランドもんのカバンを渡してヤる日でしかなかったはずが、こいつは……欲しいもんを聞いても「俺に逢えれば何も要らない」としか言わなかった。合格祝いん時と同じだ。もっと笑ってるカオが見てぇのに、どうやったら喜ぶのかがなんもわからん。おまけに、毎年年越しに紛れて消える俺の誕生日を祝うって…こいつが特別優しくて可愛いくて神様みてぇな女なのか、今までの女がたまたま全員クズだったのか、俺にはわかるはずもない。ただ、俺の方からこいつを手放すことだけはこの先絶対にないと言い切れんのは確かだ。

 「…片桐さん?どうかしましたか?」

 「いや…それ言うなら、お前も合格祝いなんかねーのかよ?結局持ち越したまんまだろーが」

 「うーん………思ったんですけど、片桐さんが人間ドックに入ってくれたのがプレゼント、って言ってもよくないですか?」

 「はあ???ありゃ俺が勝手にやっただけで…」

 「でも、私に逢うためにやってくれたんですよね?すっごくお金も掛かったみたいだし…」

 こいつ…まだそんなこと気にしてやがったのか!俺はニレケイの手を引くと強引にそのへんのベンチに腰掛けて、さっさと持ってきた包みを渡す。

 「ほれ、とりまコレ」

 「これ…?私にですか?」

 「お前が欲しいもん言わねーから。これだったら絶対使うだろ」

 「わあ…!」

 会社の奴らのプレゼンの中から俺が採用したのは、駅ビルに入ってるアロマ屋?の、消毒用ジェルとアルコールだった。それとなくいい匂いがするやつで、よくわからんが素材も天然のいい油を使ってるらしい上に、ジョシコーセーがもらってビビんない値段。おまけに好きな店だったらしく、ニレケイは随分と喜んでるように見える……さすが横山と日野、年が近い女の意見は鉄板だ。

 「ありがとうございます、早速今日から使います!」

 「ん。でもこれはあくまで今日の分だからな、合格祝いは別だ」

 「え?これでいいのに……ほら、ちょうど2個ありますし」

 「なんでだよ!こんなん消耗品だろが」

 「違いますよ。片桐さんが私の為に買ってきてくれたのが、嬉しいんです」

 そう言って、ニレケイは袋を抱き締めた。数千円のただの消毒だってのに、こいつに言われると、まるで中身が本当に大事なもんのような気さえしてくっから不思議だ。

 「なんだか、今日はプレゼント交換みたいになっちゃいましたね」

 「……ん?」

 気付けば、ニレケイがカバンからでっかい包みを取り出したところだった。……俺の渡したもんの3倍はある。

 こいつも用意してきやがったのか…クリスマスに女からモノ貰った覚えなんざとんとなかったんで油断してた。嬉しさ半分、俺のが釣り合わねえようなすげーもんだったらどーすっかなが半分で、俺はそれを受け取った。…軽くてふわふわしてんな。

 「服か?」

 「違いますよ。あんまり自信はないんですが……」

 中から出てきたのは、もこもこした毛の塊だった。黒から薄いグレーまでの間にグラデーションが何色も入った、毛糸でできたぶっとい輪っかだ。

 「…なんだこれ?」

 「スヌードです。輪になってるマフラー、かな。この色ならスーツにも合いますよね?」

 そう言いつつベンチから立ち上がると、ニレケイは俺の首に輪っかを折り返して2重に掛ける。マフラーはバイク乗ってると解けんのが厄介だからこのタイプは便利だし、色もいい。

 「ん、ありがとな。気に入った」

 「良かったです。…あの、もしどこかほつれてたら、すぐに言ってくださいね」

 「あ?そんな不良品店に言えばいいだろ」

 「あ、ええと…私がそのお店というか」

 「はあ???」

 まったく意味が飲み込めない俺の前で、ニレケイがハニカんで言う。

 「私が編んでみたんです。初心者だから、模様編みとかなんにもできなくて、簡単なものなんですけど……」

 「は………」


 釣り合う釣り合わないのレベルじゃねえ。ニレケイはいつも、信じらんねえくらい俺が喜ぶもんを持ってくる。


 「おま…、また、作ったんかよ……」

 「はい、在宅の時間は沢山ありますし、私じゃあまり高いものも買えないので…。片桐さんは、手作りとか苦手ですか?重いって言う人も……」

 「……んなわけねーだろ」

 俺はそう言うのがやっとだった。もうニレケイのカオも見らんねぇ。なんでも金さえありゃ買えるこの世で、どうしたって俺が買えないのが『俺の為に作ってもらったもん』だった。ガキん頃は、クラスの奴が当たり前に持ってる弁当だかカバンだかに、掛かる手間と時間がてんこ盛りに乗っかってやたら眩しく見えた。それをこいつはいとも簡単に作り出して、いくつも俺に寄越してくる。マスクの時もそうだ。いい大人がみっともねぇのはわかっちゃいるが、こいつと居ると、ずっと昔から乾いてたもんが不思議と埋まっていくような気がする。

 「良かったです!…じゃあ、次は誕生日プレゼントですね。単刀直入に聞いちゃいますけど、何がいいですか?」

 ホッとしたようなカオでこっちを覗き込んでくんのを、俺は阻止しようとすんので精一杯だった。もう欲しいもんは貰った、こいつで充分だといくら言っても引き下がらねぇニレケイに、俺はとうとう白旗を揚げる。あるっちゃあるが、これこそほんとにガキっぽいから言いたくなかったっつーのに……

 「実はな…、前からちょいちょい気になってた、それ」

 俺はニレケイのカバンにぶら下がってるキーホルダーを指さした。アンティーク調の小瓶の中に夜の空みてぇな色をしたクリスタルが入ってて、ちっこい鍵が一緒にぶら下がってるやつだ。こういうのガキん時マジで憧れたっつーか、見た目女々してっから言えねーけど、実は男はみんなこーゆーゲームアイテム的なもんが無性に好きなとこあんだろ。カバンに付けんのはムリでも、家の鍵に付けるくらいなら俺でもできそうだ。

 「え…これですか?今外しますね」

 「ちげーって、これ買った店がわかんなら、そこで似たようなの買えばいーだろ…」

 言いながらも、俺はここまでの話の流れに思うとこがあった。売ってんのなんざ見たこともねえよーなキーホルダー、こいつの性格、有り余る在宅時間。んなまさかな、けどひょっとしてひょっとすると………


 「これ、簡単に作れるんですよ。材料色々あるので、片桐さんが好きなデザイン決めましょう!」


 ……………………やっぱな。

 「ほんとお前すげーわ……」

 「いえ、これレジンっていうんですけど、ほんとに簡単なんです。どういうのにします?あ、写真まだあるかな……」

 人通りもそこそこ多くなってきた駅通りのベンチで、俺はニレケイのスマホ画面を覗き込む。宇宙っぽいキーホルダーとか、ドーム型のクリスタルがくっついたゴム紐とか、小洒落た売りもんみてぇなのが並ぶ中に……俺は思わずデカい声を出していた。

 「おい、これ…?!」

 「これですか?これは友達の誕生日にあげたイヤリングで……」

 「これピアスにできねーのか?!」

 「え、はい、プラスチックのアタッチメントで良ければ、普通に売ってるので作れますけど…」

 俺が食いついたのは、キーホルダーについてたのとよく似たクリスタルがイヤリングになったやつだった。鍵にぶら下げとくよりも身につけてたほうがステータスとか上がりそうな気がすんし、こんなキレイならもう人に何言われようが気にしねーで使うわ。しかも店で売ってんのを見たことねえし、こんなん作れるってすごすぎてやばくねーか?

 俺の勢いに割と驚いてたニレケイも、色や形なんかを細かく聞いて、5日後に間に合わせるって約束してくれた。―――よし、次は俺の番だ。

 「んじゃ、今日こそ合格祝い決めんぞ。俺ばっか貰うわけにゃいかねーからな」

 「うーん………そしたら、ひとつだけ欲しいものがあるんですけど」

 ちゃんとあるんじゃねーか、よしよし…と思ったのはほんの一瞬だった。


 「国産の不織布マスクが欲しいんです。こんな時だから、頑張ってくれてる日本の企業を応援したくて…すごくお高いんですけど、品質がいいから仕方ないというか」


 「………マスクだぁ?」

 「え、はい」

 「お前なぁ…いいかげんコロナから離れろって!」

 2秒くらい黙ってから、ニレケイがハッとした目をして頭を抱えた。ほんとこいつは……賢くて気も利くいい女なのに、クッソ真面目すぎてたまにおかしいこと言い出すよな。

 「た、確かに……。最近、自粛が長すぎて、もう以前の生活がうまく思い出せなくなりつつある気が…」

 …思った以上にやべーやつだった。が、気持ちはわからんでもない。1発目の緊急事態宣言から、もう半年以上もこのままなんだからな。

 といっても、出掛けなきゃ出掛けねぇで別に死ぬわけでもなし、今の時代家に居っぱなしでも娯楽はネットにいくらでもあるし、こいつはさらに色々手作りする技能もある。けどまあ、適応力が高いのも善し悪しだ。

 「わかった。とりま1年分買うが、それは『コロナ対策』っつーことでまとめてクリスマスの分に足すかんな」

 「いや1年分は多くないですか?!逆に、私の誕生日のぶんも足さないと……」


 「は?????」


 「えっ?」

 「なんだそれ聞いてねえぞ。いつだ」

 「あ、まだ遠いですけど、来月の17日で…」

 …お前さっき『誕生日が一番大事』っつったよな?俺が産まれた日を一番に祝ってくれるっつー恋人の誕生日に、こっちは不織布マスク1年分だぁ???

 俺は静かにブチ切れた。隣にある冷たい手を掴んで立ち上がるとさっさと歩き出す。慌ててカバンを背負いながら付いてくるニレケイに、背中越しに宣戦布告した。

 「もーダメだ待たねえ。今からお前が欲しいもん探しに行くぞ、今日買う」

 「えっ、ちょ、片桐さん?!」

 「お前が決めねーなら、服屋に連れてって店員が似合うっつったやつ全部買うからな」

 「へっ?!いえ、服あっても今はどこにも出掛ける機会が…」

 ほぉ…そー来るか。ったくクソ真面目なだけじゃねぇ、クソ合理的すぎんだよ若けーのに!物欲ねーのか?!…それでも本人の希望は最大限尊重してぇし、俺は脳内でさっさと作戦変更する。

 「…おい、大学の入学式ってどんなカッコすんだ?」

 「だ、大学?えーーと……まだ考えてませんでした、なんだろう…」

 「カチっとしたクツとカバン、要るよなぁ?」

 「そ、れは、確かに……」

 「あー…普通はスーツだと。これも買う」

 「え?え?片桐さん?!」

 ニレケイが動揺してる間に、既に俺たちはビルの一階にあるでっかいツリーを横目に上階へ向かっている。まったく、めちゃくちゃしっかりしてっくせに変なとこトロくて、おまけにすぐ泣くかんな。

 …ま、そーゆーとこがかわいくてたまんねーんだけどよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る