11. これは恋ではない
それから、片桐さんは毎日のように階段にやってくるようになった。
別に約束をしているわけじゃなかったけど、挨拶してごはんを食べて、その合間に他愛のない話をする。
「コンビニのごはん、飽きませんか?」
「別に。昼だけだし」
「じゃあ、朝と夜は自炊なんですね」
「いや?朝は喰わねーし、夜はスーパーの出来合い」
「片桐さんってスーパー行くんですね?!」
「行くわけねーだろ、ネットスーパーだよ」
「あ、コロナですもんね……そっちか…」
「んな驚くことかぁ?」
「お前、白いチャリで来てんだろ」
「えっ?なんで知って……」
「お前が入ってから駐輪場に一台増えたかんな、誰でもわかる」
「あ、片桐さんも自転車なんですね」
「バイクだよ、いつも置いてあんだろ」
「あー…ありますね、おっきくて赤いやつ」
「違ぇよ、ちっこい黒いやつ」
「え、あのいつもはじっこにあるかわいいやつですか?!」
「はぁ?かわいくはねーだろ」
「すみません、なんだか意外で……」
「お前だって意外だろが、女でママチャリじゃねーの乗ってる奴初めて見たわ」
「そ、そうですか…?」
「いつもそのカフェオレ飲んでますね」
「あー…まーな。別に好きじゃねーけど、つい買っちまうだけで」
「それ、好きってことですよ、きっと」
「……いーだろ別に」
「甘いものがお好きなんですか?」
「フツー。辛いのとすっぱいのよりはマシ」
「……それ、好きってことですよ?」
「………うっせ」
「屋上なら一服できっけどな、クッソあちーし」
「パイポ?…は吸わないんですか?」
「ありゃあ店長が「仕事中はタバコの代わりに咥えてろ」って教えてくれただけで、別に好きなわけじゃねえ」
「へえ…タバコの方がおいしいんですね」
「……そう言われっと、別にタバコもそんなウマいってわけじゃねーな」
「へっ?」
「咥えてんのに慣れっと、なんとなく口寂しくなんだよ」
「……何か口に入っていればいいなら、ラムネとかどうですか?」
「ラムネぇ?!なんでだよ」
「ブドウ糖って脳のエネルギー源らしくて、いつも勉強前に5粒くらい食べるんですけど、集中力が増す気がします。仕事にも良さそうかなって」
「…………ふーん」
片桐さんと私がこうして毎日2人でごはんを食べているなんて、きっと伯父さんも社員さんも知らない。仕事ではほとんど接点もないし、どういう取り合わせなんだろうって自分でも思う。でも…妙に居心地のいいこの距離感が、私はいつのまにかひどく落ち着くようになっていた。
クラスの男子みたいにギャーギャー騒ぐこともなく、女子みたいにひとりで食べているのを下に見たりけなされることもない。聞けば馬鹿にしないでなんでも話してくれるし、こちらの話も聞いてくれる。ずいぶん年下の私を、ひとりの人間として対等に接してくれているのがわかる。学校の先生にだって、なかなかそういう大人はいないのに。
「――だから、マスクは鼻まで覆わないと意味ないです。片桐さん、ニュース全然見ないんですか?」
「経済…っつーか株とFXだけガチで見っけど後は見ねーな」
「!か、株とかやってるんですね」
「まーな、それで食ってける程度には稼いでる」
「え?じゃあ、なんでくすりのタナハシに…」
「はぁ?社長のために決まってんだろ。あの人がなんもできねー中卒のガキ拾ってなかったら、俺ぁ今頃野どっかで垂れ死んでら」
「……そうだったんだ。伯父さん、すごく優しい人だから…」
「…ん。あの人が辞めろっつーなら今すぐでも辞めるし、居てくれっつーならモウロクジジイになるまで居るわ」
「…そうやって15歳からずっと、会社で一番になるまで努力されたんですね。伯父さんのために…」
「……返しきれねぇ恩があっからな、当然だろ」
「今おいくつなんですか?」
「27」
「て、ことは……社歴が、12年?」
「あー……もう、そんなになんのか」
「へー、ねーちゃんがいんのか」
「はい、夏休みだからgoto使って帰省もできるんですけど、やめるって」
「…感染気にしてんのか」
「移動距離が長いので…。でも、大学も少しずつ通えるようになってきたみたいで、良かったです」
「わざわざ家出て遠いガッコ行ってんのか」
「はい、国立大に現役合格したんですよ!すっごく頭いいんです、私とは比べものにならないくらい」
「はぁ?お前だってバカじゃねーだろ」
「えっ?でも……」
「その年にしちゃずいぶん頭も回んだろが、社長がいっつもお前のこと褒めまくってんの知らねーのか?」
「あ、りがとう、ございます……」
「もう、マスクもアルコールも在庫が潤沢ですね」
「だな。ウチ以外のボってるとこは、もう随分前から余ってたけどな」
「そしたら、あの…もう片桐さんも、マスクを買ってもよくないですか?」
「あ?別にいーだろ、これあんだから」
「そうですけど、使い捨てなら…洗う手間も省けてラクかなって」
「は、じゃあお前にもらったやつはどーすんだよ?捨てんのか」
「えっ?まあ、そうして頂いても全然…」
「なんでまだ使えんのに捨てんだよ?」
「あ、じゃあ、万一の時のため?に、取っておくとか…?」
「置いとくんなら別に使ってても同じだろが」
「それは、そうですけど……?」
そうして三週間が経つ頃には、私は……落ち着くのは距離感じゃなく、相手が片桐さんだからなのかもしれない、と気付くくらいには距離が縮まってしまったことを理解していた。
―――でも、これは恋ではないと思う。あらゆる意味でとっつきにくかった片桐さんが、本当はすごくいい人なのだと知ってしまったせいだ。それから、ふとしたきっかけで秘密を知って、取引をした共犯者のような間柄になったせい。
片桐さんにしたって、恩ある人の身内の世話を焼いてくれているだけ。子供の相手をしてくれているようなものなんだから………
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