10. 顔だけじゃないです
「よ、ニレケイ」
翌日のお昼も、片桐さんは階段に現れた。
「あの、なんで私のことフルネームで呼ぶんですか?」
「なんでって…漢字4文字で読みも4文字の名前とかクッソ珍しいだろーが」
「……そんなこと言われたの初めてです…」
「俺も初めて言ったわ」
妙な会話をしながら、片桐さんは今日も私の1段下にさっさと座る。昨日は気付かなかったけど、そこに座るとちょうど頭の高さが並ぶ。つまり…いつも猫背ぎみに座ってPCを打っている背中しか見ていなかったけど、片桐さんはとても背が高かった。伸ばした足が羨ましいほど長い。
…しまった、そんなことより!片桐さんがコンビニの袋をがさがさやり始めたのを見て、私は急いで鞄から包みを取り出した。
「あの、これ……昨日新しく作ったので、どうぞ。4つあります」
「お?…いいのか?」
私は頷いた。手芸屋でしばらく悩んだ結果、いつもスーツの片桐さんならと無難なグレーを選んだけど…どうだろう。型紙も成人男性用をダウンロードして使ったし、数をこなしたぶんミシンの腕も少しは上がってると思うんだけど……
「ん、わざわざ色替えたのか」
「いえ、昨日いただいたお菓子がすごく多くて、家族みんなでパーティーみたいに食べたので…ありがとうございました」
「今度はその礼か。キリねーからもうやんなよ」
今日も憎まれ口に似せた優しい言葉を掛けられた、慣れてきたからよくわかる。でも、材料費の何倍も前払いでもらってしまったようなものだし、片桐さんがマスクを買えるようになる日までは作ろうと決めている。
「もし痛んできたら、また作りますから言ってください。洗い方動画、どうでした?」
「あーあれ漬けとくだけでクソ簡単じゃねーか、普通にやってるわ」
「ありがとうございます…」
「なんでお前が礼言うんだよ?」
片桐さんが私みたいな学生バイトの言うことを真面目に取り合ってくれるからです、と言いたいのを我慢して私はぺこりと頭を下げた。いーからさっさとメシ喰うぞ、と言われて、私もお弁当を用意して手を拭くとマスクを外す。ここには片桐さんしかいないから、教室の昼休みに外すよりも怖くなかった。
「――お、バイト来た時からマスクだったからなぁ、カオ初めて見たわ」
「……え?」
気付くと、マスクを外した片桐さんの顔が至近距離にある。いつもボサボサの長い髪とマスクに隠れてよく見えなかった顔が、初めてしっかりと見えて―――私は一瞬で固まった。
長い睫の下の切れ長の目がじっと私を見つめている。通った鼻筋に薄めの唇、肌も私より滑らかで、左の目元にほくろがある以外にはニキビ跡ひとつない。ピアスホールが空いているのにピアスを付けていないのがやけに大人っぽくて、というかもうごくごく端的にいってものすごく綺麗な青年の顔がそこにはあった。いや綺麗というしかないんだけど中性的なわけじゃなく、髪型も相まってすごく男の人っぽいタイプの美形だ。薄々気付いてはいたけど、やっぱり、おじさんじゃなかったんだ……!!!
「ん?どした」
「ひゃあっ?!そ、ソーシャルディスタンスしてくださいっ!」
頬にぺたりと冷たいものが当てられて、私は妙な悲鳴を上げて後ずさった。あまりの勢いに、手にアイスカフェオレを持ったままの片桐さんがぱちぱちと目を瞬かせている。その紙パックが触れたらしい頬に手を当てると、ものすごい熱を持っているのがわかって…私はへなへなと壁に寄りかかった。
「な…なんだぁ?」
「い、いえっ、あの、思ってたより……お若いんだなと!」
「あ?あー…、お前もこのツラ気に入ったのか?」
唐突に、片桐さんは片手で前髪をかき上げた。芸能人も真っ青になりそうな顔面が障害物なく目の前に晒されて、私は咄嗟に目を逸らしてしまう。
「えっ?!いえ、そんな失礼なことは…!」
「失礼って、逆に失礼じゃねーか?」
「えっ、あれ?!」
「……はっ、お前でもそんなカオすんだな」
片桐さんは笑った。
昨日も、目や声からいくつかの感情を読み取れはしたけど、マスクなしで口角を上げ、目を細めて楽しげな声を吐き出したのを見たのは初めてだ。ただそれだけがあんまり綺麗で――私の心臓は大きな音を立てる。これはもう反射的というか、不可抗力の域だと思う……私はごくごく小さな声で反論した。
「それは、こっちの台詞です………」
「ん、悪ぃ。お前歳のワリにしっかりしてんだろ、ちゃんとガキらしいとこもあんだなと思ってよ」
「そ、れは、褒められてるんでしょうか…」
確かに、昔から落ち着いているとか冷静だとか言われる方ではあるけど…テンパった私が本当に面白かったらしい。くつくつと笑いながらもちゃんと謝ってくれたので、見せてくれた笑顔に免じて許すことにする。
「女はだいたいこのツラ見るとコロッと態度変えんだよ。めんどくせーから髪と髭伸ばしまくってやったら、すげーラクんなったわ」
確かに…これだけの美形だったら、みんなほっとかないだろう。普通に街を歩くだけでも芸能事務所とかからスカウトが来そうというか、目の前に居るより、スマホやテレビの中で見た方がしっくりきそうなレベルの造形だ。それをわざわざ隠すなんて…イケメンにはイケメンなりの悩みがあるんだなぁ。
「言い寄られて付き合って、結局別れて……どいつもこいつも、俺のツラしか要らねーんだとよ」
「………っ!」
片桐さんの声は淡々としていたけど、私は咄嗟に自分の胸を押さえた。ぼけっと聞いていただけの私にさえ、針を刺されたような鋭い痛みが走る。
「夢中んなって抱いても、結局最後にゃ居なくなる。虚しくなっからやめたわ、1人のがラクだしな」
僅かに覗いたのは、平凡な容姿の私なんかには想像もできないような傷跡だった。片桐さんが綺麗なのは片桐さんのせいじゃないのに、綺麗なのは美点に違いないのに、そのせいで苦しまなきゃいけないなんて。
私はバイトに来たばかりの頃を思い出す。ボサボサ頭と髭の怖そうな男の人が、それでも社員さんみんなに信頼されて、会社の中心になって仕事をしていたこと。顔を隠していても、今の片桐さんは、片桐さん自身の他の魅力のおかげできちんと居場所があること。だから…だから、聞いてるだけじゃなくて何か言わなくちゃ……!
「だから、お前も……」
「顔だけじゃないです!!」
「はっ?」
突然怒鳴った私の剣幕に、片桐さんが綺麗な顔でぽかんとする。
「くすりのタナハシのみんなは、片桐さんの顔がのっぺらぼうでも、片桐さんには変わりないって言います!」
「のっぺら…?」
「だから、ええと、あの……私は態度変えないから、片桐さんも私の顔見ても態度変えないでください!!」
もう…自分でも何を言ってるのかよくわからなかった。若干肩で息をしている私から目を逸らして足下に視線を移すと、片桐さんはカフェオレのストローを紙パックに刺した。ポツリと呟きが聞こえる。
「―――わかった。変えねーよ。交換条件だかんな、裏切んなよ?」
元通りに下りた髪に隠れて、もうその表情はよく見えない。でも私はもう慣れた、誤解なんてしない。
この人は嘘をつかない人だ。おまけに言葉も選ばない。誰かを傷つけるかもしれない時も、自分が傷つく時も、分け隔てなく。
顔なんか関係ない。ただそれだけの――信用できる人だ。
「…はい!」
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