08. 2種類いる

 「毎日雨しか降らないね…」

 「ねーもう7月半分終わったよね?おかしくない?」

 「普通に暑いならまだしも、蒸し暑さが耐えられない…」

 期末テストが終わった週の土曜日、私は家でいつものメンツと通話しながらペディキュアを塗っていた。学校はネイル禁止だけど、私はけっこう爪が脆いタイプで、今は常に消毒しまくるせいで爪にもけっこうなダメージがいく。本当は、透明でいいから手の爪にも塗りたいところを我慢して、いつも足だけは欠かさず塗るようにしていた。

 「それで……穂花、今日集まった理由は?」

 「集まったっていうか、通話だけどね」

 「んーーーー………その前に、佳衣のバイトはどうなん?順調?」

 「うん。みんな優しいし、仕事も覚えたよ」

 「感染、怖くない…?」

 「うん、毎日リモートで3、4人しか出社してないし、みんなマスクしてるしね」

 これは本当だ。あの後すぐに期末試験が迫り、私はバイトを一週間お休みさせてもらったけど、あの日から片桐さんは本当に毎日私のマスクを付けて出勤しているらしかった。驚いた伯父さんが本人に直接聞いて、事情に更に驚いて、すぐ私に連絡してきてくれたから間違いない。

 伯父さんは社員にマスクを徹底しなかったことを謝ってくれたけど、実は…マスクがバカ売れし始めた2月頃から、片桐さんは会社のマスクをもらわない代わりに「要は人に会わなきゃ付けてなくても関係ないから、家と会社と近所のコンビニ以外絶対どこにも出掛けない」と伯父さんに宣言していたんだそうだ。そのコンビニも、人がいない深夜と早朝しか行かないという徹底ぶりを続けていたらしく、ついつい伯父さんも安心していたんだとか。つまり、居酒屋やgotoで旅行に行くんじゃないかなんて心配はまったくの杞憂だったわけで、私が片桐さんを勝手に誤解していただけだった。8割どころじゃない、9割以上接触を減らして、片桐さんなりの感染予防をしっかりしていたのに……いくらコロナ禍で疑心暗鬼になっていたとはいえ、本当に恥ずかしい。

 「ね、誰かかっこいい人とかいないの?社会人だから年上すぎるかなぁ…」

 「えっ?うーん……」

 陽奈に振られて、私は男性社員さんたちを順番に思い浮かべる。多分、若い男の人って小崎さんしかいないと思うけど…何歳なんだろう?

 「1人だけ居るけど…面白いお兄さんってかんじで、私なんか眼中ないと思うよ」

 「え~いるんだ!面白くてかっこいいなんて最高じゃない?!」

 「かっこいいかと言われれば…確かにそうだけど、アットホームな会社だから、そういう風に見てなかったなぁ…」

 「いやいや、チャンス到来じゃない?!ねっ穂花…………穂花?」

 私もそこでようやく気付いた。こういう話題に率先して乗るはずの穂花が、まったく会話に参加してきていない。

 「穂花………何かあったの?」

 「………ん」

 穂花らしくない小さな返事と沈黙の後に、ポツリとスマホから聞こえてきたのは……悲しい知らせだった。

 「私さ、………別れたんだよね」

 「え……ほんとに?」

 「理由は?何が駄目だった…?」


 「山咲くんち、お母さんがコロナに罹ったんだって……今施設療養中」


 「うそ…?!」

 話の趣旨が吹っ飛ぶくらいの衝撃に、ペディキュアの刷毛が大きく指にはみ出した。もう同じ高校の人の家族にまでコロナが近づいているんだと思ったら、急に……学校が恐ろしいところのように思えてたまらない気持ちになった。実際のところ、誰かの中学時代の同級生が罹ったとかって話はポツポツ聞こえ始めていたし、ピンスタでも「罹りました」「療養中です」という類いの報告が流れているのを目にするようにはなっていた。けど……もう、本当に、学校の中に感染者がいてもおかしくないんだ。

 「うん、症状は酷くないらしいけど………絶対、彼も罹ってると思う。てか、彼からうつったんじゃないかと思ってる」

 「え…どういうこと?」


 「私には自宅待機してるって嘘ついて、実は春休みから相当出掛けてたらしくて……」


 「なにそれ………」

 「お母さんが体調崩した日も普通にカラオケ行ってたみたいだし……もうほんと無理だから、別れた」

 「うそでしょ……」

 「ちょっ、どういう神経してるの……」

 「今家族も濃厚接触者でPCR検査になってるみたい。今日休んでたって。これでもし陽性だったら、仲いいやつらも検査だよね」

 「ええ………1組怖すぎる」

 「私も怖いよ……この前、1回だけだけど公園デートしたし」

 私は自分の頭から血の気が引いていくのがわかった。陽奈の声はほとんど涙声だった。

 「うそ?!マスク外してないよね?!」

 「外してないし、屋外だったし、その時に嘘ついてたの知ったから、喧嘩になってすぐ帰ったけど………」

 「そんな……体調は?どこも悪くない?」

 「うん、いつもと変わらない。でも無症状だったら怖いから、できるだけ部屋にこもってる」

 「そうなるよね……」

 「あいつさ、「俺たちが罹ってもほとんど無症状なのに、自宅待機とかなんでできるの」って言っててさ…それでお母さん罹ったとか、もう天罰じゃん」

 いつも明るかった穂花の声が、抑揚をなくしたまま淡々とスマホから聞こえてくる。

 口に出したことはなかったけど、先月までは自粛組が圧倒的多数を占めていたクラスが、もう山咲くんと同じ意見に染まってきつつあるのを私はひしひしと感じ取っていた。『完全自粛組』は、私と陽奈を入れてももう数えるくらいしかいなくて、着々と人数を増やしていた『外出し放題パリピ組』は、きっとこの夏でもっと増えるだろう。そして…『若干自粛組』は、ワックくらいは、駅ビルくらいは、映画くらいは…と許容範囲がどんどん広がっている。それはもう自粛組とは呼べなくて、『マスクと消毒をしているだけでほぼ以前の生活に戻った組』に変わって、クラスの大多数に君臨した。もうパリピ組が白い目で見られることもなく、むしろ私たち自粛組が浮いてきているのは間違いない。

 世の中だってそういう方向だ。22日からはgotoトラベルが本当に始まるらしいし、ネットでもみんな『経済を回せ』と叫んでいて、5月に配られた特別給付金だって、貯金しないで使うのが正解だって言っている。近所のカフェやパン屋さんはシャッターが開かなくなったところもあるし、確かにそれは一理あると思う。

 でも、毎日必死で職場を消毒しているお父さん、危険と隣り合わせで仕事をしているお母さんのことを思うと…私は家に居たいと思う。おばあちゃんにだけは絶対に罹ってほしくないし、今年これから受験を迎える自分だってもちろん罹りたくない。だから自粛ムードが緩んでもステイホームを続ける、きっとそれも間違いじゃないはずだ。

 「山咲くんの、明るくて、人懐っこいところが好きだったけど………もう、ダメだったわ」

 「………うん」

 コロナに、自粛に対して考え方が違えば、行動も変わる。そんな2人が一緒に居続けるのは、とても難しいことだったんだろう。

 「……あのね、ちょっと話が違うかもしれないんだけど」

 動揺が落ち着いたのか、陽奈の穏やかな声が聞こえる。

 「うちのお父さん、割とパチンコが趣味だったのね。で、当然コロナだから私たちに行くな!って止められるじゃない?」

 「だよね……」

 「うん、ですごく暇になっちゃったみたいでさ。お母さんはガーデニングが趣味だから、仕方なく休みの日とかにホムセンに付いていったりしてたんだよね」

 「うん」

 「そしたらね、DIY用品にハマって色々買ってきちゃって。お母さんが前から憧れてた、かわいい柵とか作ってあげたりしててさ、今2人ですごく楽しそうなの」

 「え、素敵………」

 「うん。今ってコロナで辛いことばっかりだけど、親を見てると、なんか……『楽しい』とか、『幸せ』ってなんだろう?って、最近よく考えるようになって…」

 「楽しい、幸せ、か………」

 陽奈のお父さんが、パチンコをしていた時と柵を作っていた時、どっちの方がより楽しかったかはわからないけど……柵を作ってもらったお母さんと、親が仲良くしているのを見た陽奈は、きっと今の方が楽しいし幸せなんだろう――自由に出掛けることもできないコロナ禍なのに。不自由な中でも、幸せでいられる方法がある人と、ない人がいる………

 「そっか………2種類、いるんだ」

 「佳衣?どうしたの?」

 「2種類…?」


 「休みの日って、『家でゆっくり過ごす人』と『出掛けて楽しみたい人』にざっくり別れてて、コロナ禍の今は『出掛けたい人』が一方的にダメージを受けるんじゃないかな」


 「ダメージ……、確かに」

 「やり方が違うだけで、両方とも『ストレス解消法』なのは同じなんだよね、きっと。今までならどっちが悪いわけでもなかったのに、今年の春は片方が実行不可能だった」

 「それでも我慢できずに出掛けちゃった人が、後者か…さすが佳衣、的を射てそう」

 「もちろん、家にいたい人だって出掛けたいし、出掛けたい人もたまには家でゴロゴロするだろうけど」

 「我慢できるレベルが違う、ってことか……」

 「うちのお父さんは、たまたま逆側にうまく順応できたってことね」

 「そんなかんじじゃないかな?」

 「ストレス解消法が、違うだけ……そっか…………佳衣、ありがと」

 突然穂花の声が涙混じりになって、私と陽奈はびっくりする。

 「ちょっ…穂花?」

 「え?え?どうしたの?」

 「山咲くんのこと、ずっと許せなくて……今でも、許せないけど。…でも、仕方なかったのかなって、今思えた、から」

 「仕方なかった…」

 「私が好きになったところが、なくなっちゃったわけじゃ、なかったんだなって、」

 「そっか……」

 「そうだよね、そこまで否定するのは、穂花が辛いよね……」

 私と陽奈は、じっと穂花がスマホに落とす言葉を聞いていた。

 ペディキュアは夏らしく明るい水色にしたのに、窓の外はここ数週間ずっと雨が降り続いていて、空は暗い。――まるで、出掛けようとする人を神様が減らそうとしているみたいに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る