05. マスクをしてない人がいる

 「今日からしばらく入力や雑用、掃除なんかをしてもらう、姪の佳衣です。今日いないみんなもいずれ会えると思うけど、よろしくね」

 「谷城高校3年の仁礼にれ佳衣けいです。アルバイトは初めてですが、よろしくお願いします」

 「小崎おざきです、よろしく!」

 「横川よこかわです。まさか女子高生と一緒に働くなんてね」

 6月30日の火曜日。初めて入ったくすりのタナハシ・本社オフィスはガラガラで、昭伯父さんを入れても4人しか人がいなかった。他には…目の前にあるPCの中で手を振ってくれている数人の人たちが、交代でリモートワーク中の社員なんだろう。学校で習ったリモート授業と同じ画面だったけど、背景を宇宙とか南の島とか変な画像にしている人ばかりで、アットホームな職場感がすごい。服装もシャツさえ着ていればOKそうでかなり自由だし、さすが昭伯父さんの会社だ。

 初日の今日実際に挨拶できたのは、小崎さんという若い男性と、横川さんというクールそうで美人な女性。それと、あと1人―――


 嘘でしょ……マスクをしてない人がいる…。ここは会社でしょう?!


 この人だけは、私の方をちらりと見ただけですぐにPCに向き直って仕事を再開していた。髪は伸び放題でボサボサ、少しだけ見えた顔も髭がモサモサ、でも確かにマスクをしていない。社内で1人だけスーツを着ているけど、シャツもシワだらけで…不潔ではなさそうなものの、とにかく身なりを整えている雰囲気がない。おまけにすごくタバコ臭かった。

 「こら、あまね。ちゃんと挨拶してあげて」

 伯父さんが子供を叱るみたいに言うと、ボサボサな人はすぐに手を止めた。椅子をくるりと回転させると……

 「…………どーも」

 低い声でそれだけ言って少し頭を下げたかと思うと、またPCに向き直る。髭の間から白い棒みたいなものが見えたけど…煙は出ていないから、せめてタバコではないと信じたい。

 「あの子は片桐かたぎり周。いつもあんな感じだから、あんまり気にしないで」

 「ごめんね仁礼さん、愛想のない人で」

 「仕事は出来るんだけどね」

 「はあ………」

 「さ、じゃあまずは佳衣の席と仕事の説明ね。僕が教えるから、こっち」

 全員のフォローを聞き流しながら、私は伯父さんに連れられて席を移動した。


 私の出勤は、学校が終わった後の放課後に3時間、週に4日。ビル清掃の人が休業になってしまったから週1の掃除と片付け、電話の取り次ぎ、それから皆さんが発注・入荷・販売した商品の数や金額を、指定されたエクセルファイルや業務システムというものに入力したり、数字の間違いがないか確認することだった。

 伯父さんの会社は、私の想像の倍くらい忙しそうだった。普段なら掃除なんて伯父さんでもできるらしいけど、コロナ禍で衛生系の様々な商品に欠品が出ていて、それらを入荷するためにできる限りの手を尽くしているらしい。みんな、急に電話が掛かってきたと思ったら会社を飛び出して行ったり、すごく頑張ってマスクや消毒用アルコールをひとつでも多く確保するために奔走しているようだった。ここ本社の倉庫にはその貴重な商品たちが激しく出入りしていて、私は掃除の時できるだけ見やすいよう、取りやすいように整理しておくことに気を配った。他店やコンビニでは値を吊り上げているところも多いけど、伯父さんは「必ず全て適正価格で売る」と断言していて、だから世間の開店前行列は落ち着いても、『くすりのタナハシ』にはいつもマスクを探す人が大勢訪れているらしい。

 私は乱雑に積まれたマスクの段ボールを、種類毎にまとめて棚に並べる。このマスクたちがこの町の沢山の人をコロナから守るはず、転売ヤーになんて絶対負けない…!!

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