06. すごく仕事ができる人

 ――あっという間に最初の4日が過ぎて、次の週。7月に入ってからが梅雨本番とでもいうように、毎日雨が降り続いていた。私は少しずつ仕事にも慣れて、会ったことのない社員さんもいなくなって……そして、わかってしまったことがある。

 マスクをしていない人は、会社内で1人だけ。例のボサボサ社員・片桐さんは、何故か私のシフトの時に毎回必ず出勤していた。伯父さんですら、週に何日かリモートワークしていると言っていたのに…どうしてもマスクをしたくないなら、そういう人こそ家で仕事した方がいいのに!髭が長くても飛沫は飛ぶし、いつも何か口に咥えてるし…!この人さえいなければ、広々した部屋で1日に片手で数えるほどの社員さんとしか会わないし、ビルは24時間換気システムだし、比較的安全な職場だと思うのに…!!

 もちろん初日に、どうしてあの人がマスクを付けないのか昭伯父さんに聞いてみた。答えは「うちで入荷したマスクを渡そうとしても絶対に受け取らない」からで、理由は伯父さんにもわからないみたいだったけれど、少なくとも病気や体質が原因でマスクができないというわけではないらしい。相当私の顔に絶望が出てしまっていたのか、伯父さんはいつものように優しく笑うと、

 「ごめんな、周は複雑な家庭で育ったから、ちょっとひねくれてるところがある。でも仕事はうちで一番できるし、根はすごく真面目でいい子なんだ」

 と教えてくれたけど……はっきり言って、それはマスクを付けないでいい理由にはなっていないと思う。この人がもし仕事の後に居酒屋なんかに通っていたとしたら、私を通して家族がコロナに感染するかもしれないんだから、どうしたって他人事ではいられない。私は自分が少しずつ焦りを募らせているのに気付いていた。

 けど確かに、片桐さんはすごく仕事ができる人のようだった。私が入力している書類でも、片桐さんの判子を押されて入荷してくるマスクの量が一番多いことぐらいはわかる。というか、他の人が「社長に判断を仰がないと」とかって言っている時も、普通に自分の判子を押して書類を流したり、酷いときには伯父さんの席で伯父さんの判子を勝手に押しているのも見たことがある。初めて見た時には、犯罪を目撃しちゃったんじゃないかとドキドキしたけど…他の社員さんが言うには日常茶飯事で、伯父さんもいつも笑って許しているらしかった。

 それだけじゃない。片桐さんは…なんというか、怖い人だった。初めて会う社員さんはみんな私に挨拶してくれたけど、初日の「どーも」以降、あの人とだけは話したことがない。私は歓迎されていないというか、存在を認識されていないというか…ひょっとしたら、嫌われているのかもしれない。


 「ああああああ!これ…やっちまった……」


 その時、突然小崎さんの大きな声が聞こえて私の肩が跳ねた。両手で顔を覆っている小崎さんのデスクに最初に近寄ったのは…片桐さんだ。ひょいと画面を覗き込んだかと思うと、


 「バーーーーーーーカ、さっさと変更かけろ」


 私は椅子から落ちそうなほど驚いた。ここは会社で、大人の社会人が、同僚の人に向かって、バカって言ったりすることなんて、ある…?!

 「わーってるよ、すぐ電話して……」

 「早くしろ、とりあえず俺ぁここの予備持って現地向かう」

 「え、どうしたの?」

 今日出勤のもう1人のおじさん社員・滝元たきもとさんが机にやってきた頃には、もう片桐さんはジャケットを掴んで部屋から出て行くところだった。

 「中央店に今日納品分が間に合わなくなってたのに連絡忘れてて、明日開店時の分が欠品してます…」

 「あー中央はお客さんも殺気立ってるからね…片桐くんに任せて、君はすぐ電話だね」

 小崎さんが電話に向かうと、よっぽど私が不安そうな顔をしていたのか、滝元さんが苦笑いしながら話しかけてくれた。

 「大丈夫だよ、もう片桐くんがフォローに行ってくれたから」

 「…そうなんですか……」

 確かに即断即決で出て行って、もう影も形もない。…その事実がじわじわと効いてきて、私はもう一度驚く。片桐さんて、同僚を助けたり、するんだ…?!

 「あいつは社会性ゼロってかマイナスだけど、仕事はちゃんとしてるんだよ。口悪いし、見た目もあんなだから誤解されやすいけどね」

 「は、はい……」

 「取引先に微妙な嘘ついたり、仕事できない人にハッキリできてないってリテイク出したりするから」

 「それは………まずいのでは…」

 「でも、調整役とか憎まれ役とかっていうのも、会社には必要だから。…なんて、オッサンが余計なこと言っちゃったな、ごめんね」

 「……いえ…………」

 滝元さんもそうだけど、片桐さん以外の人はみんな私にすごく良くしてくれていて、その人たちが彼を必要だっていうなら、きっと…そうなんだろうとは思う。今目の前でその事実も見たし。

 ―――でも、それとマスクを付けないのとは別だ。

 学校では、マスクをしていなければ教師も生徒も校内に入ることさえできない。外せるのだって体育と昼食の時だけだ。マスクや消毒なしで出歩く人たちのせいで感染は広がり、日本は緊急事態宣言発令にまでなった。卒業式も入学式も体育祭も、修学旅行さえなくなった。高校生の私たちはさすがに耐えられても、小学校や幼稚園だって同じことになっていて、本当に可哀想だと思うし……私たち子供がここまで我慢して頑張っているんだから、大人にだってきちんとしてほしいと思うのは当然だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る