第12話 ep2 . 「訳有り令嬢と秘密の花園」 震える青い果実

「おい佐藤、お前英語のワークどうした?」


廊下で小泉が俺を呼び止めた。


「どうしたって……今週はちゃんと提出したけど」


だから聞いてるんだ、と小泉は不審げに俺を見る。


「何度言っても一度も課題を提出したことのないお前がどういう風の吹き回しだ?」


小泉は呆れたように呟く。


確かにそうだった。


俺は一学期の最初から今日まで課題だの宿題だのを提出した事なんて一度もなかった。


ハッキリ言ってどこから手を付けていいものかサッパリわからなかったからだった。


しかし、状況は変わった。


帰国子女でクォーターであるというチートに近い能力を持った花園リセは俺の宿題まで面倒を見てくれた。


丸々肩代わりするとか、そういう甘やかされ方じゃない。


ちゃんと丁寧に教えてくれるんだ。


俺はそれが堪らなく嬉しかった。


俺を不良とか子ども扱いせずにキチンと一人の人間として向き合ってくれているように思えた。


馬鹿にするでもなく、ただ、理解できるように一から順を追って教えてくれる彼女のお陰で遅れていた課題や宿題はどんどん片付いていった。


正直に告白すると俺は一年の一学期の半ばから既に授業について行けなくなっていた。


俺は頭も悪く、馬鹿だし金もないし高校なんか行けっこない、そう思っていた。


けれど、花園リセの教え方が上手いのかなんなのかここの所、ずいぶんと俺は勉強が出来る様になった気がした。


今日も英語のプリントを見てもらう約束だった俺は小泉の制止を振り払い、下校を急いだ。


途中で自宅に戻り、玄関に予め用意しておいた紙袋を掴んで引き返す。


中には梨がいくつか入っている。


梨農家の親戚がこの時期になると送ってくるものだった。


梨自体は嫌いではないし美味い。この時期は冷やすと格段に美味さが増す。


しかしどう転んでも果物である事には変わりはないので主食にはなり得なかった。


こういったアイテムは自宅に数個を残してトレード用にするのが効率がいい。


死んだ爺さん婆さんの知り合い数件の家に『親戚がたくさん送って来たものですから』と配り歩く。


そうすると大概、その場で『ちょっと待っててね』のコールと共に何かが出てくるのだ。


多くは仏壇に供えてあったお中元お歳暮の箱モノの何かだったり、その家で採れた野菜だったりする。


しかしこれがなかなか驚異の回収率なのだ。


梨数個がお中元のカルピス原液5本入りセットに化けたりハムの箱に化けたりする。


恐らくは中学生の俺が自ら配り歩いているという事、爺さん婆さんの知人友人であるというブーストが掛かっている事もあると思う。


いつもはこのイベントで結構な食料を調達する事が出来た。


中学生の俺が親なしで生きていくには必須のアイテム交換イベントであり、生きていく命綱だった。


田舎あるあるである。


だが。


いつもなら配り歩く梨ではあるが、今回は事情が違った。


毎日遊びに行くたびに手土産としてその日の手作り菓子を持たせてくれ(ご丁寧に綺麗にラッピングまでしてある)、猫どころか俺ごと面倒を見てくれている花園リセに自分が差し出せる物といったらこれしかなかった。


“田舎の親戚が送ってきたんだけど、もしよかったら……”


彼女に渡すにもなんら不自然は無いように思えた。


花園邸に着いた俺はいつものように正門前のインターホンを押し、ゲートを開錠してもらう。


いつものように東屋では花園リセがマサムネを抱き、俺の姿を確認すると優雅に微笑む。


学校おつかれさま、と彼女は鈴のような声で俺を出迎えてくれた。


俺は茶色い紙袋を彼女の前に差し出した。


田舎の親戚が送って来たんだけどもしよかったら、と予め予行演習していた通りのセリフを言う。


一瞬、花園リセの動きが止まった。


しまった、と俺は思った。


こんな大きなお屋敷の御令嬢、貴婦人だぞ?


よく考えなくても田舎の形の悪い農産物なんか口にするはず無ぇし、梨っつってもラフランスとかもっと高級なの千疋屋とか高級店で買うよな。


田舎感覚で爺さん婆さん相手にお裾分けのノリとか超ダセェじゃん。


俺は何も考えず馬鹿みたいに梨を貴婦人に差し出した己を呪った。


けど仕方ない、俺が持ってるアイテムなんてこれくらいしかなかったんだ。


俺は急に恥ずかしくなって紙袋を引っ込めようとした。


あの、と花園リセが呟く。


彼女のその華奢な手が紙袋の端をぎゅっと握りしめていた。


俺は紙袋から手を離す。


嬉しいですわ、と花園リセははにかんだように微笑んだ。


「佐藤さんから贈り物を頂けるなんて思ってもみませんでしたから」


ふふ、と小さく笑った彼女の横顔は実年齢より少し幼く見えた。


そうだよな、貴婦人も梨ぐらい食うよな。


なんにせよ良かった、と俺は胸を撫で下ろした。




数日後に俺がその青い果実よりも……もっと大変なものを口にする事になるなんてその時は思ってもみなかったのである。

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