第47話 淳の怪我
意識の向こうに何かが聞こえる。暗い中を彷徨様に意識が戻って来た。深い海の底から浮き上がるように水面が揺らいでいる。
体が重い。鉛をお腹に巻かれている様な感じだ。やがて体がゆっくりと自然に浮き上がるように戻ってくると、いきなり水面から飛び出た。その時、右脇腹に激しい痛みを感じた。
「うぐっ」
右手を動かすと体が何かに抑えられていた。ゆっくりと目を覚ますと
「淳、目が覚めたのね」
自分の目の前に大切な女性が、その可愛く美しい顔がやつれた様に心配そうにして見ていた。
「奈緒、ここは」
「池尻大橋にある東邦大学病院」
「えっ」
そうか。あの時記憶が甦ると
「僕は、あの時、誰かに刺されて・・」
「警察の人から聴いた。ちょうどハチ公前交番の側の改札だったから、すぐに警察官が来て救急車を呼んでくれたの。もう少し遅ければ、出血多量で危ないところだったのよ」
それを言いながら段々目元に涙が溜まって来た。そして細い声で
「心配したんだから。ずーっと側にいたんだから」
その言葉に泣き顔になる奈緒の顔を見ながら
「ずーっとって。今日は」
半分涙声で
「火曜日の夜中に運び込まれて、昨日と今日、ずっと目が覚めなかったのよ。今日は木曜日」
「えーっ」
「会社には、淳のお父様から連絡をしてある」
「えっ」
会社という言葉に瞳を思い出すとまずいな。なんて伝わっているのか。でも伝わっていないかそう考えて
「そうか。ありがとう」
目を覚ましたことが連絡されたのか、担当医が来ると
「山之内さん。目が覚めましたか。良かった。奥様が、ずっとそばに居てくれたのですよ。患部を見ます。そのまま動かないでください」
看護師が、自分の右手に指を当て、心拍数を図りながら、担当医が、右脇腹に大きく貼られたガーゼを取った。
私は、大学時代から同じ光景は見ていながら、やはり自分の大切な人のその姿を見るのは嫌だった。
だが、自制心を持ってしっかりと見ると五センチほどの傷口が有った。
私は、一瞬驚いたが、処置が良かったのか、患部が綺麗な事にほっとすると医者が、何か薬を塗ってまた、新しい大きなガーゼを当てた。後は、看護師がテープを張っている。
「先生。いつ退院できますか」
「退院は、リハビリも含めて二週間もすれば出来るが、その後は通院してもらうことになる。最初が肝心です」
真面目な顔で言う担当医に
「二週間ですか」
「そうです。七センチ入っていました。運よく肝臓は外れましたが、大腸が大分損傷しています。刺された時に刃物が回ったのでしょう。いずれにしろ、大腸の傷が塞がり、通常の食事になるまで時間がかかります」
「そんな」
頭の中が何も考えられなかった。ただ、二週間なにも出来ないという現実が有った。その中で頭に大切な人の事が甦ると
「奈緒、赤ちゃんは」
その言葉に担当医と看護師が一瞬驚いた。
「ふふっ、大丈夫。ちょっと驚いたけど、元気みたい」
と言って、自分の両手をお腹に当てた。
「そうか」
そう言って天井を見上げると
「まあっ。こんなに可愛く美しい奥様を安心させるには、しっかりと養生しないといけないですね。山之内さん」
テープを貼りおわった看護師が言うと、担当医と看護師が側を離れた。
その姿が病室から消えると
「奈緒、僕を刺した犯人は」
「捕まったわ。すぐに」
その後の言葉を続けないベッドの横に座る奈緒に
「そうか」
奈緒は、淳の目をじっと見つめて
「教えて。淳が刺された日、会っていた女性は誰」
時間を置くと
「警察の人から聞いた。新橋から後を付けて来たって」
悲しそうな顔をして聞く声に顔を天井に向けながら
「奈緒、ごめん。あの日、はっきり言おうとして会った。相手の人は竹宮瞳。僕の会社の人」
ベッドに横になる、既に自分の夫となった男の口から出た言葉に体に鳥肌が立つ感覚を覚えた。そして頭の中で何かが切れると
「淳。私が会ってくる。はっきりと言う。淳は私の夫ですと」
「えっ」
いきなりの言葉に驚くと
「それは、だめだ」
「なぜですか。あなたは私の夫です。このお腹の子の父です。あなたが動けない以上、私がはっきりさせます」
天井を見ていた視線をベッドの横に座る妻となった女性に向けると、今まで見たことのない強い眼差しが有った。
「奈緒・・」
あまりに強い意志を持つその視線に驚きながら
「待ってくれ。それだけは、僕がはっきりさせる。奈緒にそれをさせるわけにはいかない」
君にそんなことはさせたくないと言う意図をはっきりと目に表しながら言うと
「分かったわ。淳」
本当は、とても怖い感じがしていた。言ったものの、相手も知らずに言葉だけが走ってしまっていた私は、彼の言葉に安堵しながら、優しい目に戻して淳の手を握るとその手を自分のお腹に持ってきた。
「淳、この子の為にも早くはっきりさせてね」
手のひらから感じる暖かさ、柔らかさに感じながら頷いた。
淳が会社に出てこないあの時から三日が過ぎた。次の日出社しないのは、何かあったのか程度にしか考えていなかった。だが、スマホに連絡しても出ない。まだ、彼の家に直接電話する気にも慣れない瞳は、ただ時間を流していた。
一週間も会社に出ないなんて明らかに彼の身に何かあったと思うと人事に連絡を入れた。
「なぜ、竹宮さんが山之内さんの事を」
「教えて頂けませんか」
「お休みの連絡は頂いています。二週間ほど休むと身内の方から連絡を頂きました。これ以上は、教えできません」
人事の事務的な対応に、一瞬だけ自分の立場を出そうとしたが、それは自分自身のこれからの事に関わると思うと
「分かりました」
と言ってあきらめた。
淳、どうしたの。
娘の迷いの姿に
「瞳さん、どうしたのですか」
母親の言葉に下を向いていると
「山之内淳さんの事ですね」
なぜと思いながら母親と視線を合わすと
「何度も言ったはずです」
その言葉に含まれる意味に深い不安を感じと
「お母様。淳・・、山之内さんは」
娘のあまりにも心をすり減らすかのような姿に
「山之内さんは、池尻大橋の東邦大学病院に入院しています。ですが、行ってはいけません」
「どういうことですか」
娘に近付きながら優しく両腕で肩に触ると
「あの人はあきらめなさい。もう時の流れが、あなたからあの人を遠ざけました」
母親の言葉に理解出来ないままに視線を合わせると
「瞳さん。忘れなさい。彼は関連会社に移動させます。あなたの心の中から忘れさせる為に」
何ということを娘の目がありえない程に大きく見開くと
「お母様。もし今言った事をしたなら、私は竹宮の家を出ます」
娘の言葉に一瞬呆然とした母親は、そのまま娘の目を見ると
「淳・・いえ、彼がたとえどのような状況になっていても私は、彼と会います。そしてはっきりと彼の口から心を聞きます。その結果が、私の今までの思いに反するものだとしても、彼を今の会社から移動させることは許しません」
一瞬の間を置いて、娘の口から出た言葉につい微笑むと
「あなたも血を引いているのですね。お母様の」
母親は、自分を生んでくれた優しくそして真のある母の笑顔が娘の顔とスライドした。
―――――
次回をお楽しみに
面白そうとか、次も読みたいなと思いましたら、ぜひご評価頂けると投稿意欲が沸きます。
感想や、誤字脱字のご指摘待っています。
宜しくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます