第46話 瞳の事情
「淳、いつになったら…。ねえ」
いつもの様に銀座線で渋谷まで出ると、センター街の途中右側にある寿司屋に入った。瞳と会うといつの間にかここが常連になっていた。
カウンタで話しながら言う瞳に何も言わないままに隣に座る彼に、そろそろ話す時かな。そう思うと
「淳、場所変えない。話したいことがある」
寿司屋を出ると右に歩いてすぐに左側にカウンタのバーが有る。いつの間にかこのルートが決まりになっていた。
「話したいことって」
席に座りバーテンにいつものジャックをオーダーした後、聞くと
「うん…」
なにも言わずに前だけ見ている瞳をそのまま見ていると下を向いて
「淳、会社経営とか、会社のオーナーとかどう思う」
全く意味の分からない言葉に、バーテンが持ってきたジャックのオンザロックを口にしてゆっくり味わいながら喉を通した後、
「瞳、質問の意味が分からない」
「難しく考えなくていい。淳のそのままの気持ちで聞きたい」
今度は顔を上げるとしっかりと自分の顔を見て言った。
グラスを両手で手に持って前を見ながら
「僕には分からない。自分とは関係ない世界だから」
「そう」
寂しそうに言いながらモスコミュールを口にすると静かに
「ごめん。淳に言っていなかったことがある…」
少しだけ間を置いて、彼が何も言わないと
「落ち着いて聞いてね。前に淳と知り合った時、今の会社に入ったのは、お父様に言われたからだって。そしてお父様は、わが社のオーナーだって。
でもね…。それだけじゃないの」
瞳を真っ直ぐ見ながら、表情を変えずに、何も言わない彼に
「竹宮家は、葉月家の一門。あなたも葉月の名前は知っているでしょ。お母様は、今の葉月家の長女として生まれたの。もちろんお兄様が葉月家を継いだ。
でもお母様にも葉月の家の人間として二〇社のオーナーとしての責任を負わされた。負わされたと言ったら誤解するわね。一門で葉月家を守る為の一部を任されたと言った方がいいかな」
少しモスコミュールを口に含むと
「お母様は、目に留まる男性がいなかった。葉月家の長女としての品格と人となりが、男を容易く近づけなかった事もあるとは思うけど。
でも三井のおばさまが、紹介した今のお父様と知り合ってから…。
お父様は、しっかりと竹宮家を継いでいる。葉月家もそうだけど、女が家を守り、男が仕事を継ぐことがしきたりなの。
淳。ごめん、はっきり言う。私の旦那様になる方の宿命。そして私はあなたにそうなってほしい」
瞳の言葉に何も出なかった。あまりにも宇宙の深淵を見ているようだった。
三井家、葉月家。日本のビジネスを表からも裏からも全て握る一族。社会人として知らない人間はいない理解出来なかった。
「淳、今でも私、いえ私たちはセキュリティに守られている。それが宿命。ごめんなさい」
隣に座る綺麗な女性。家は大きく裕福だと思っていた。でもそれだけと思っていた。
結婚すれば妻として迎え、そのまま二人で普通の家庭を築く、そんな思いだった。
勿論な奈緒の事を除けば。
それだけに瞳の言葉はショックだった。
両手に持っているグラスに残っているジャックダニエルを一気に飲み干すと
「瞳、考えたい。いきなりすぎて」
彼の言葉に頷くと
「ごめんなさい。もっと早く言えばよかったのだけど。
…でも淳、約束したよね。信じていいって」
恋すがるような顔をしながら言う瞳に頷きながら
「今日は、もう帰ろう」
「でも淳。話したいことが有るって」
瞳の顔を見ながら
「今日は止めておく。ちょっと重くなった」
今の一言を重く感じながら下を向いて
「分かった」
「今日はだめだよね」
「ごめん。そんな気持ちになれない。瞳、送る」
「ううん、今日は一人で帰る」
寂しそうに言う彼女に
「分かった」
そう言うとカウンタの席を離れた。
渋谷の東横線中央改札口に瞳が入り、分かれ惜しそうにする姿が、見えなくなるまで見送った僕は、思い切り疲れた感じがした。
その時だった。いきなり右脇腹に強烈な痛みが走った。更に痛みが走った。振り向きながら見ると新橋で瞳を襲った男だった。
なんでこんなところまで…。
刺した男の腕を掴んだが、振り切られると
「ばあか、みんなお前が悪いんだ」
そう言って消えていった。
くっそう。痛いじゃないか。右脇腹に深く刺さった物を右手で握りながら、意識が遠のく向こうで誰かが声を掛けて来た。
自分の部屋でくつろいでいると階下で電話がなった。
お母さんが出た。驚くように大きな声を出している。なんだろうと思いながら聞き耳をつい立てていると
「奈緒子、急いで降りてきなさい。淳さんが、淳さんが」
ドアを開けて
「どうしたの、お母さん。淳に何か」
そう言いながら降りて来ると
「淳さんが、病院に」
「えっ。淳が病院」
「うん、刺されて急患で、池尻大橋の病院に運び込まれたって」
「えーっ」
お母さんからのいきなりの言葉に驚くと
「お母さん。すぐに行く。着替えてくるから、タクシー呼んで」
「はっ、はい」
私は、着替えも早々に玄関口に来たタクシーに乗って行先を告げた。
「奈緒、着いて容体が分かったら電話して」
「うん」
心配そうに見つめる母親の姿が後ろに過ぎ去りながら淳、どういうこと。
刺されたなんてまったく状況が掴めない苛立ちを抑えながら窓の外を見ていると、火曜日の夜のせいもあり、思ったより早く着いた。
緊急外来の受付に聞くと、まだICUの中だと言う。急いでそこに行くとお腹に包帯が巻かれた彼が横になっていた。警察の関係者がいた。
「先生、淳は」
「あなたは」
「妻です。山之内奈緒子です」
妻と言う言葉に奈緒を認めると
「ご主人は、右脇腹を刺されました。幸い、肝臓などの重要な部位に損傷は有りませんでしたが、大腸まで刃が達していた為、外科処置をしました。明日の朝にはICUを出て一般病棟に移れます」
そう言って奈緒の顔を見ると
「いったい誰が、こんなことを」
ガラス越しに見ていると
「奥様ですか。渋谷署の者ですが、お話を伺いたい」
警察官が医者と奈緒の話が終わるのを待って話しかけて来た。
なにっと思いながら
「母に先に連絡したいのですが」
「分かりました。その後で」
と言うと、医者と何やら話し始めた。
ICUから少し離れてスマホをオンにすると家に電話した。少しの呼び出し音の後、
「お母さん、奈緒子です。今病院にいます。お医者様から淳の事を聞きました。今日はICUに入っていて明日一般病棟に移るそうです」
「そう、どうなの容体は」
「今、寝ています。麻酔だと思う。・・・」
最初は、気が張っていたが、母親の声に心が段々寂しくなると涙がこぼれて来た。
「お母さん。私、…」
受話器の向こうで涙声になる娘に
「奈緒子、しっかりしなさい。明日には、一般病棟に移るって言ったでしょ。気をしっかり持ちなさい」
母親の言葉に何とか
「はい」
と答えると
「完全看護だから、ずっといられない。警察の人の話が終わったら帰ります」
「気を付けてね」
母親の思いやる声に心が持ち直すと
「分かりました」
と言ってスマホの通話をオフにした。
―――――
竹宮瞳の素性を本人から説明された淳。その内容に驚きつつも
奈緒の事を考えると頭の中で消化出来そうにありません。
いやあ、優柔不断のなせる業ですね。ここまでこじらせるのは!
帰宅途中に暴漢に刺された淳。傷は大丈夫そうですが、この事が瞳と淳の間に大きな問題を起こします。
次回をお楽しみに
面白そうとか、次も読みたいなと思いましたら、ぜひご評価頂けると投稿意欲が沸きます。
感想や、誤字脱字のご指摘待っています。
宜しくお願いします。
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