第42話 決断と思い込みと
昨日の電話で約束したハチ公前交番に五分前に着くと、下を向きながら奈緒が立っていた。通りすがりの男たちが奈緒の事を見ているのがはっきり分かる。
早足で近付くと気配を感じたのか、奈緒がこちらを向いた。寂しそうな顔から急に笑顔になると、こちらに歩き始めた。
「奈緒、どうしたの。急に会いたい。大事な事があるって言うから心配した」
「淳、どこか入ろう。静なところがいい」
「分かった」
そう言うと奈緒の右手を握った。
食事中もほとんど話さない奈緒に無理には話しかけず、食事が終わるとバーに連れていった。いつものコースだ。
「奈緒、食が細かったけど、どうしたの」
「淳、聞いて」
時間を置いてゆっくりと
「赤ちゃんがお腹にいる」
淳は、一瞬、ジャックダニエルの入ったグラスが手から落ちそうになった。
「淳が、シンガポールから帰って来て、会った時が理由見たい」
奈 緒の言葉に確かにあの日は、一日中奈緒を抱いていたそう思うと、すぐに言葉が出なかった。
二人とも言葉が続かないままにいると
「淳、今回は堕胎したくない。お願い。あの時からもう一年半。いいでしょう」
言葉は無くても結婚と言う意味を十分に含んでいた。
「奈緒、この事知っているのは」
「淳だけ」
「分かった」
自分が優柔不断なままに時を過ごしたツケが、回って来たのだと思った。
隣に座る可愛く美しい女性。こうしていても周りから視線が来るのが分かる。
奈緒の声は、僕の体に届く…。瞳は…。
頭の中で、結論は決まっている様に思えた。でもその結論をすぐに口に出すことが、何故か、躊躇われた。
奈緒は産みたいとはっきり言っている。僕も二九になろうとしているんだ。結論を出す時が来たのかな。
そう考えると自分に向けられる視線をしっかりと受け止めて
「奈緒、二人で育てよう」
急に満面の笑顔になった奈緒は、
「淳、ありがとう」
彼の言葉に嬉しさをにじませながらも少し時間を置くと
「お母さんには、すぐにばれると思う。つわりが始まったから」
奈緒の言葉に少なくないショックを受けながら、言っている意味を頭の中で消化すると
「分かった。準備しないといけないね」
「うん」
ほとんど水になっているモスコミュールを飲んで喉を通すと
「淳、今度の土曜日、会いたい。色々相談しないといけない。今後の事」
自分の質問に答えを躊躇している淳に
「土曜日、何かあるの」
「うん、ちょっと」
「何、あるの」
「うん、家で用事があって」
「用事って」
「お母さんの誕生パーティ」
「えーっ、羨ましい。淳のお家は、誕生パーティするんだ。我家は、もうしていない。小さい時の記憶はあるけど、流石に今は」
さっきの淳の言葉に安心感が出た奈緒は、そう言って素直に聞くと
「うん、親父がずっとそうしている」
「そうか、淳のお父様って素敵な方なんだ」
「なんで」
「だって、家族のそういうイベントを大切にする人って素敵じゃない。淳もそうしてくれるんでしょ」
明らかに自分のお嫁さんになることを前提とした言葉だった。
少しだけ黙っていると
「淳は、私の誕生パーティしてくれないの」
えっと思いながら質問の意図が見えると
「もちろん、するよ」
「本当、嬉しいな」
少しだけ間を置くと
「ねえ、淳、お母様の誕生パーティ…私参加出来ないよね」
黙っている淳に
「そうだよね。ごめん。馬鹿な事聞いて」
寂しそうに言う奈緒に
「ごめん」
本当は心の中から言いたかった。来ていいよと。
瞳の事がなかったら。赤ちゃんの事もあり、素直に招待しただろうと思う自分の心が深くそして重く感じた。
僕は奈緒の方が…。
何となく自分自身が見えながら、何故か時の流れは、別の方を選択していた。
「でも、日曜日なら会えるよ。朝から会おう」
淳の言葉に
「ほんと、嬉しい。お母さんにも話しておく」
奈緒の言葉に
「だめ、奈緒のお母さんとお父さんには、正式に僕から言う」
淳の言い様に
「淳。ありがとう」
淳は心を決めてくれたんだ。心からそう思う奈緒は、本当に嬉しそうな顔をした。
奈緒を経堂の家まで送った僕は、豪徳寺-山下経由で世田谷線に出ると三軒茶屋から田園都市線で用賀に向かった。
どうすれば。
瞳は、土曜日の母親の誕生パーティに来る。当然家族は、瞳を結婚相手として見るだろう。二七才の女性を連れて来たんだから。
瞳も僕の妻になれると考えるだろう。最近の瞳の言い様は、はっきりしたものがある。でも奈緒は…。
自分の赤ちゃんが出来ながら、向こうの家に挨拶にも行っておきながら、母親のパーティには、別の女性を連れていかなければならなくなった、自分自身の無計画さが頭に来ていた。
僕は土曜日の午前中、奈緒に電話を掛けた。奈緒は、会えないと思っていただけに
「淳、どうしたの。今日会えないからゴロっとしてた」
「ゴロってしてたの」
「うん。ちょっと気持ち悪いし。でもお母さんにはばれていない。淳が話してくれるまで、何とかします」
言葉に重みを感じながらも
「うん、なるべく早く行く。明日は、色々相談しよう」
「ありがとう。淳。淳のお母様にも宜しくいておいて。あっそうか。まだ紹介されていないよね」
言葉が一瞬途切れると
「淳、大丈夫だよね」
まだ、不安を心から拭い切れない奈緒は、心配そうな声で言うと
「奈緒、僕を信じて」
スマホの向こうから聞こえる言葉に
「うん、信じてる」
奈緒の言葉が、自分の心に突き刺さった。そして自分の口から出る言葉に自分自身の気持ち悪さを感じた。
「じゃあ、奈緒、明日。経堂の駅まで迎えに行くから」
「本当。うれしいな。何時に来れる」
「九時にしようか」
「うん」
「じゃあ」
通話をオフにすると心に言い様がない重さが残った。奈緒…。
♪♪♪ ♪♪♪
心にわだかまりを持ちながら僕は、田園調布の駅まで瞳を迎えに行った。
改札を出て待っていると、坂道を上ってくる女性がいた。
女性用のトレンチのコートを着ている。中の洋服は見えないが、白のローヒールの靴を履いていた。唇には、薄いピンクのルージュが付けられている。瞳だ。
「待った」
「ううん、今来たところ」
瞳が時計を見ると
「ちょうど四時ね」
ふふっと笑いながら
「恥ずかしいな。でも嬉しいな。淳のお母様の誕生パーティに呼ばれるなんて。家族になった気分」
その言葉にドキッとしながら、
「そこまでは」
とぼやかそうとすると
「何でいけないの。素直に言っただけなのに」
今度は急に寂しそうな顔をする瞳に
「分かった。ごめん。僕も瞳がパーティに来てくれて嬉しいよ」
少し恥ずかしそうに言う淳に
「ふふっ、許してあげる」
僕は、最近の瞳の言葉が少しだけ重く感じていた。
自宅に着くと玄関に母親が出て来た。
「いらっしゃい。楽しみにしていました。どうぞお上がり下さい」
私は、スリッパが用意してあるのを見て、一度玄関を上がると自分の靴を隅に置き、淳の靴も整えて中央に置いた。
この仕草を見ながらこの子ならばと淳の母親は思った。
パーティが始まると彼の母はとても喜んだ。自分の誕生パーティに年頃の娘さんを紹介する息子に
「最高の誕生日プレゼントよ、淳」
「瞳さん、淳をずっと宜しくお願い」
「はい」
淳の母親に公認された言いように瞳は満面の笑みを浮かべて喜んだ。
「淳、こんな素敵なお嬢様、何で早くお母さんに紹介しなかったの。お父さんの顔を見なさい。目元が緩みっぱなしよ」
実際、淳の父親は、瞳が家の敷居をまたいだ時からさすが我が息子。綺麗なお嬢さんだと思っていた。
そして人柄も良い事が分かると頭の中は、いつの間にか孫の事しかなかった。妻の言葉に
「淳、孫はいつ見られるんだ」
流石に瞳は、顔を赤くして下を向くと
「お父さん、世の中には順番と言うものが有ります。ねえ、瞳さん」
私は、ますます、顔を赤くしながらこれで大丈夫。お母様も安心する。
淳も言葉には、出さないけど私を選んでくれている心の中でしっかりと感じていた。
―――――
あらら。山之内淳君。これは問題ですよ。
どうするおつもりで。
次回をお楽しみに
面白そうとか、次も読みたいなと思いましたら、ぜひご評価頂けると投稿意欲が沸きます。
感想や、誤字脱字のご指摘待っています。
宜しくお願いします。
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