第17話 淳のストレス
私は、シンガポールから帰って来て、山之内君とは一度デートしたきりだ。
その後が続いていない。
もっと彼の事を知りたかったが、仕事が終わると声をかける機会もないままに急いで帰ってしまう。
元々部署が違うので、スケジュールの共有も簡単には出来ない。社内メールという手もあるが、監視されていることを考えるとその手を使う気にはならなかった。
彼の帰社時間が見えないな。プロジェクトミーティングで今度話しかけるか。そう思いながら、IPOからの帰りにエレベータから降りて自分の部署に行こうとすると、目の前を山之内が歩いて来た。
同僚と一緒だ。一瞬、声を掛けようと思って躊躇していると、山之内君が目の前で歩きを止めた。
何か用なのと言う顔をすると
「あっ、竹宮さん、プロジェクトの件で、確認したいことが有るんですけど、後でメールします」
そう言って自分の横を通り過ぎて行った。
もう、もうちょっと何か言えないの。そう思いながら自分の部署に戻った。
私は、マンスリーローリングレポートを利用して、売上と原価、販売費などの相関グラフを作っているとメール着信のポップアップが表示された。
そのポップアップを消してメールソフトをタスクバーから表示すると、受信メールボックスに山之内からのメールが入っていた。
題名はプロジェクト進捗についてだった。
どういう事。進捗は、プロジェクト会議で毎週行っている。個人同士で行うことではないでしょ。と思いながらメールを開けると
『竹宮さん、シンガポール以来一度打合せしただけなので、その後の進捗確認をしませんでしょうか。 山之内』
そう言う事か。これなら、万一確認されても意味は仕事の様に見える。題名だけなら仕事メールだし、中身を見てもプライベートには見えない。余程考えないと。
目元に微笑みを出しながら、山之内からのメールに心が何故か弾んだ。
『山之内さん、了解しました。それでは、SL0630で如何でしょうか。 竹宮』
返信をキーボードから打ち込むと送信をクリックした。
しばらくすると
『竹宮さん、了解しました。山之内』
とだけ返信して来た。
これなら分からないだろうと思うと腕時計を見た。五時二〇分か。六時に出れば大丈夫だな。そう考えて目の前の仕事を続けた。
僕は、心の中で何かストレスを感じていた。
その理由を自分自身では、理解できていない。奈緒は、とても大切な女性。
毎日の様に会いに行き、少しずつ元気になって行く奈緒の顔は、自分自身が作ってしまった心の負荷を少しでも和らげてくれた。
だが、それは別のストレスを生む理由になっていたことを僕自身、この時は分かっていなかった。
この事が、最近身近に感じている竹宮さんへの誘いを呼ぶことになっているとは理解出来ないでいた。
そして、これは僕にとって大きな変化をもたらすことになる。
山之内君が誘うなんて珍しいな。あれ以来だ。何かあるのかな。まあいいか。
私は、自分の気持ちは、何となく分かっている。シンガポールの時、そして帰国してからの一回だけのデートで。
でもそれをはっきりさせる程には、自分の心は進んでいないと感じていた。相手は彼女持ち。わざわざその中に飛び込む必で要はない。でも身近にいてほしかった。いつも手の届く距離に。
そんな自分自身の心の状況だったが、シンガポールから帰国後は、一度会ったきりだ。それもこちらから仕掛けたのだ。
その後、プロジェクト会議以外では会うことがない。それだけに今回の山之内君からの誘いは、内心嬉しかった。
新橋SLが見える位置に来ると少し遠巻きに見た。SLの先頭部分で待合わせの人が多い中、紛れて立っていた。
何を見ているわけでもなく視線を何気なく投げている感じだ。
SLの後ろから気づかれないように近付くと、耳元に顔を持って行って声を掛けた。
「山之内君、待った」
僕が、その声にくるっと振り向いた時、目の前に竹宮さんの顔が有った。唇が触れるまで後、数センチ。
うわーっ、やばい。この距離どうする。
私は、まさかの彼の行動に一瞬だけ期待した。
僕は声を出そうとして、その距離に驚くと何も言えず、ほんの数秒そのままにした後、
「あっ、竹宮さん」
その時は、もう三〇センチは離れていた。
私は、特にジョークでやったつもりの耳元のささやきが、まさかの状況を生み出すとは思わず、顔を紛らわすように
「あはは。ちょっと驚かしちゃった」
顔とは別に何か言いなさいよ。全く。どきっとしたじゃない。いきなり振り向くんだから。と思って目の前にいる男の言葉を待っていると何も言わない。
「どうしたの」
じっと相手の瞳を見つめると
「いや、竹宮さん可愛いなと思って」
なにーっ、今頃気が付いたのか、こいつは。
私は表情には出さず、
「ありがとう」
少し微笑みながら
「どこ行く」
「うん、取りあえず渋谷にしよう」
「そうね」
全く、もっとましな言い方はないのか。まあいいか。一歩進展だ。頭の中で考えながら、自分の右で新橋駅の方向に歩く男をチラリと見た。
階段を降りて改札を通り、この前の様に右にくるっと回って更に階段を降りてプラットホームに降りると、結構人が一杯いた。
「結構いるね」
「帰宅時間だからね」
「今日はどこ行く」
「渋谷着くまでに考える」
僕達は、プラットホームに銀座線が入ってくると降車客と入れ替えに他の乗客と一緒に乗った。
この前の様に中に入ることが出来ず、結局ぴったりと体を合わせることになった。手元にバッグを持って距離を取ろうとしているが、結構近い。
「混んでるね」
「うん」
何故か、竹宮さんは、下を向いていた。
顔を起こせば、たぶん顔の距離は数センチ。彼の背の高さと自分の身長プラスヒールの高さでちょうどいい感じだ。
このまま、顔を上げれば、待合わせの時がもう一度再現する。私は、胸の鼓動を聞きながら何とも言えない気持ちで次の駅、虎の門に着くのを待った。
僕は、虎の門駅に着くと降ろされないようにしながら車両の中に移動しようとすると竹宮さんの体にいやでも触ることになった。
彼女も特に抵抗なく僕にくっ付いている。やっと中ほどに移動できると何とか二人が普通に立って入れる距離を取ることが出来た。
竹宮さんに触れちゃった。奈緒の事しか知らない僕は竹宮さんの柔らかにどきっとしていた。
山之内君に触られた。男の人と体が触れ合うなんて経験のない私は、こんな些細な事でも心が恥ずかしくなった。
言葉を頭に浮かべながらも無言でそれを隠すように広告を見ていると自分を見ている視線を感じた。
「山之内君」
「あっ、いや」
もう、何か言ってよ。
「どうしたの」
「えっ」
参ったな。僕はさっきの感覚が残っている中で、頭の中がそっちのけになっている自分に気づかないままに
「どこ行こうか。行きたいとこある」
自分で誘ったんだから。自分で決めなさいよ。
「別にない。山之内君が決めるところでいいよ」
「分かった。じゃあ、電車降りたら、電話で確認する」
へーっ、ちょっと期待だな。私は、ちょっと心に期待しながら、また黙っていると
「和食でいい。美味しいお酒置いてあるところ」
竹宮さんとまた酒が飲めることを無意識に期待しながら言うと
「うん、いいね」
「じゃあ、そうする」
途切れ途切れの会話で、何とか継ぎながら二人の距離を維持しているとやっと銀座線が渋谷のホームに入った。
―――――
淳の心のストレス。分かるような気がします。
済みません。この話題、思ったより長くなりましたので、これ以降は次回にします。
次回をお楽しみに
面白そうとか、次も読みたいなと思いましたら、ぜひご評価頂けると投稿意欲が沸きます。
感想や、誤字脱字のご指摘待っています。
宜しくお願いします。
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