奴隷商人スネイルと奴隷商人ミネルバ②

「うぷ……。も、申し訳ありません、床を汚してしまった」


 いくら現実が自分の想像を絶する状況にあったとはいえ戻してしまうとは、常に優雅たることを信条としているスネイルにとっては一生の不覚であった。幸いにしてベッド――もとい半裸の男たちにかからなかったことだけが救いだ。


「オス! すぐにお水をお持ちします、トレイター様! おいお前、水を! そこのお前は床だ!」


「オス、メイド長! すぐに持って参ります! オス!」


 メイド長に命令されたメイド――というのか? これを?――が了承の言葉を返すのとともにその豊かな胸筋をピクピクと振動させる姿を目の当たりにしてしまい、スネイルは視線を逸らした。


 そして、自分がさっきまで腰を落ち着けていた半裸の男がメイド長とか呼ばれていることについては深く考えたら負けのような気がしたので、スネイルはそれ以上考えることをやめた。


 とはいえ、いくつか確認したいことがあるので、この場で一番偉い立場にあるであろう彼に向けて質問を投げる。


「すみません、お尋ねしたいのですが」


「オス! 私のスリーサイズでしょうか!」


「それは心底どうでもいいです。ここはミネルバ・ビトレイヤ殿の『薔薇御殿』でしょうか?」


「オス! いかにもここは『薔薇御殿』ですトレイター様! トレイター様をこの屋敷にお招きできるとは光栄です、オス! あと上から120、90、110です、オス!」


「余計な情報をインプットさせないでいただきたい」


 こめかみを押さえながら、スネイルはメイド長から得た情報を脳裏で反芻した。胸囲120とは相当な胸の厚み……ほらだから思考が侵食されるではないですか!


 ごほん、と咳ばらいをひとつ入れ、スネイルは改めて現在の状況を思い返した。


 いま自分がいるこの場所は『薔薇御殿』のおそらく客間。メイド長曰くスネイルを『お招きした』らしいが、今朝方届いたミネルバからの招待状には断りの文章をしたためリーチェに託したはず。


 とすると、断りを受けたにも関わらず、ミネルバは何らかの方法でスネイルをこの場に拉致してきたということだろう。


 窓を見るに外はまだ日差しが明るいので昼過ぎごろ。ということは、断りを入れて速攻で拉致されたんですか私? なんという行動力なんだミネルバ……。


「オス! スネイル様、お水をお持ちしました!」


「あ、ああ、どうも」


 呆れていたスネイルの目の前に、先ほど水を取りに行ったメイドが現れる。その鍛え上げた腹筋に水が注がれたコップを乗せ、ブリッジ状態で登場した姿に引いていると、すぐ傍に控えるメイド長が補足を入れた。


「薔薇御殿名物、メイドブリッジサービスワゴンです! オス!」


「要らない情報ばかり頭に溜めていくのやめてほしいのですが」


「オス! ここを押すとメイドが啼きます!」


「やめましょう」


 ブリッジメイドの胸元と股間に手を伸ばそうとするメイド長を手で制し、スネイルは水の注がれたコップを取った。ずっとここにいると頭がおかしくなりそうなので早く出よう。


「オス……申し訳ありません。我らが主人ミネルバが手ずからトレイター様を歓待差し上げますので……オス」


 しかし、スネイルがいくらお暇しようとしても、半裸メイドたちはスネイルをこの客間から逃そうとはしてくれない。ミネルバが直々に接待するから待て、というのだ。


 その間、スネイルは半裸メイドたちが披露する薔薇御殿名物を死んだ目でひたすら見つめ続ける羽目になった。


 薔薇御殿名物『ローズティーテーブルセット』、薔薇御殿名物『ローズベッドフォーメーション』、薔薇御殿名物『マッスルソファ』、薔薇御殿名物……エトセトラエトセトラ。


 全部自分たちが家具になってるだけのような気もしたが、それは言わないお約束なのだろう。スネイルは口を噤んだ。沈黙は美徳なのである。




* * *




「おーっほっほっほっ! 薔薇御殿名物は満足いただけたかしらぁ、スネイル!」


 そうしているうち、ようやくひとりの女性が客間に姿を見せた。


 高飛車で傲慢さを隠そうともしないキンキン声でこちらを見やり、心底自慢げに笑ってみせるその女こそ、スネイルをこの地獄に引きずり込んだ元凶――ローズ商会元締め、ミネルバ・ビトレイヤだ。


「……ごきげんよう、ミネルバ」


 のたうつ金の髪を弄りながら、スネイルは不機嫌そうにミネルバへとその視線を向けた。


 美しい金の髪をらせん状にまとめて左右に流した姿が印象的なミネルバは、気の強さが顔に出すぎているきらいはあるが掛け値なしの美人である。スタイルもよく、見た目のよさだけならスネイルの美少女奴隷たちにも引けを取らない。


 人を拉致した挙句、筋肉ショーを延々垂れ流したことについて何ら悪びれないその性格が見目の麗しさを帳消しにして余りあるが。


「私は君の招待に断りを入れたつもりだったのですがね、ミネルバ」


「ええ、受け取りましたわぁ。ですがこれで十回連続のお断りですのよ? さすがに断りすぎですわ、スネイル。だからこそ今回は実力行使でいかせてもらいましたの」


 曰く、「スネイルがのんきにひとりで外出していたところをメイドたちに攫わせましたのよ」とのこと。サラッととんでもなく恐ろしいことを言っている。


「……薔薇御殿に足を踏み入れたが最後、こういう羽目に陥ると思ったから断っていたんですよ」


 スネイルは嘆息しながらミネルバに言葉を返した。精神力がゴリゴリと削られていく歓待という名の拷問を受けさせられるとわかっていたからこそ、今までミネルバからの招待を断り続けてきたのだ。まさか半裸メイドの上で昼寝を取らされるとは想像もしていなかったが。


「我が麗しの奴隷ちゃんたちを自慢するにはこの手段が一番ですわぁ。美しいとは思わなくて?」


「鍛え上げた肉体は見事なものだったと言っておきましょう。でも刺激が強すぎる」


 いや本当にね。視覚情報の暴力がすごいんで止めていただきたい。


「そうでしょうそうでしょう。我が薔薇御殿が誇る筋肉育成プログラムにかかれば、たとえスラムの瘦せっぽちであってもこの垂涎の麗しボディに変身可能ですもの。ねえメイド長」


「オス! 数年前までスラムの小汚いガキだった私も今ではこの通りです、オス!」


 自慢げに語るミネルバの脇で、メイド長が胸筋と大腿筋を震わせた。この人スラムの出だったんだ……。


「奴隷の育成にかける君の情熱は素晴らしい。では帰って良いですか?」


「おっと、そうは問屋が卸しませんわあ!」


 ミネルバが腕を振ると、メイド長をはじめ半裸メイドたちがスネイルの眼前に立ちふさがった。


「なんでですか。君は奴隷の自慢がしたかったのでしょう。私はその自慢を見て、聞いて、体験したのですよ。終わりでよいではないですか」


「麗し奴隷ちゃんたちの自慢だけが今回の目的だと思ってもらっては困りますわ」


「では他になにが?」


「フフフ……スネイル、あなた結構鍛えてますわね?」


「ええ、それはまあ……」


 スネイル・トレイターの人生最大の目標はいやがる美少女奴隷を手籠めにすることである。完璧なシチュエーションで完璧な美少女を完璧に手籠めにするためには、自身を磨き上げることも決して怠ってはならない。その一心で、スネイルは自身の肉体を鍛え上げることに余念がなかった。


「わたくしの夢が何なのか、あなたはご存じかしら?」


「知りませんね。なんだというんです?」


「筋肉の海に溺れることですわ」


「聞かなきゃよかった」


 どこか恍惚とした面持ちで語るミネルバは心底気持ち悪かった。スネイルはだいぶ引いていたが、これはいわゆる同族嫌悪というやつである。


「スネイル、あなたの肉体は発展途上なれど、間違いなくわたくしのマッスル・シーパラダイスを構成する麗し奴隷ちゃんにふさわしい人材ですわ。ゆえに、あなたのことを新たな奴隷ちゃんとして迎え入れたいと思っておりますの。わたくしの下に来なさいスネイル、可愛がって差し上げますわよ」


「ミネルバ、君、頭おかしいんですか?」


「美少女奴隷だけ集めては悦に入ってる男に言われるのは心外ですわ」


 ごもっとも。


「あいにく、私は誰かの奴隷になるつもりはありませんよ」


「そう? しかし、現状がそれを許すかしらぁ?」


 スネイルの言葉を受けて、ミネルバが酷薄な笑みを浮かべた。年若なれども、ローズ商会の長として数多の修羅場をくぐりぬけてきた経験が裏打ちする凄絶な笑みだ。


 パチン、と指を鳴らしたミネルバの元に、メイド長をはじめとしてよく訓練された半裸メイドたちが集う。約十人程の半裸メイドたちはスネイルを中心とした円環を形作り、徐々にその包囲を狭めんとじりじりとその距離を詰める。


「首を縦に振らなければ我が麗し奴隷ちゃんのマッスルミュージカルがあなたを襲いますわよ、スネイル? 答えは如何に?」


「ククク……君こそ、こんな状態がいつまでも許されると思っているのは危機感が足りないのではないですかミネルバ?」


「……? なにを余裕ぶっておりますの……?」


 筋肉の壁に包囲されてもなお余裕の態度を崩さないスネイルに、ミネルバはどこか薄ら寒いものを覚え始めた。なにかを確信し、あるいは待っている……?




「やっと見つけた――」




 答え合わせの時間はすぐにやって来た。ガシャン、と外から何者かが客間のガラスを突き破る音が聞こえ、ひとりの影が部屋に飛び込んでくる。


「――他の女とおうちデートなんて、ご主人様の浮気者」


 気を取られていた半裸メイドたちの頭上をひらりと越え、スネイルの傍に降り立つのは、銀糸の髪をたなびかせた絶世の美女だ。人形と見紛うほどに精緻な顔つき。その美しさは人智を超えると評される、スネイルの『元』美少女奴隷――、


「《氷姫》、レティ・トレイター! なるほど……彼女を待っておりましたのねスネイル!」


 レティの美しさに目を奪われていた面々の中、真っ先にその意識を取り戻したミネルバが叫んだ。さすがに大商人だけあって、注目の冒険者の名前と顔はしっかりと一致させて記憶しているらしい。


「やあレティ。誰かが来てくれると思ってはいましたが君でしたか」


「ラクシャもロサもクロユキも、みんなご主人様を躍起になって探してる。急にいなくなったから」


「それはありがたい」


「でもわたしが一番最初に来た。褒めて」


 例の如く表情は変わらないものの、ふんす、と自慢するように息を吐いたレティの頭を軽く撫で、スネイルは改めてミネルバに向き直った。


「さあ、ミネルバ。見ての通りこちらは《氷姫》を抱えています。どちらが有利なのかは、問うまでもありませんね?」


「そうですわね、これではさすがに降参ですわぁ。さて、奴隷ちゃんたち!」


「オス!」


 パンパン、とミネルバが手を叩くと、半裸メイドたちが三台ほどの薔薇御殿名物メイドブリッジサービスワゴンにいくつかの品物を乗せて現れた。またこれかと呆れるスネイルとは対照的に、レティは無表情に「わお」と感嘆を零している。


 ミネルバから渡されたのは詫び金であろう数枚の金貨と、ローズ商会の人気商品である帝国西方産の紅茶の茶葉、そして薔薇御殿の筋肉育成プログラム参加券だ。


 そのうち参加券はびりびりに破き、レティが割ったガラス代として金貨1枚を返し、紅茶を実質お土産として、スネイルは奴隷商人ミネルバの薔薇御殿を後にしたのであった。




「……やれやれ、もう当分筋肉は見たくありませんね」


「お疲れ、ご主人様」


「ええ、疲れましたよ……」


「そんなご主人様を癒してあげたい。花園に帰る前にわたしの家でおうちデートしよ」


「え゛」


「善は急げ。厄介なのラクシャとかロサとかクロユキとかラクシャとかラクシャが来る前に行こうご主人様。五回はシたい」


「五回!? 聞き間違えじゃないですよねレティ?」


「少なかった? ごめんご主人様。じゃあ十回にしよう」


「いやそうではなくて! あっ、ちょ、ま、引っ張らないでくださいレティ、ちょっと、あっ、あぁぁぁぁぁ」



 結局。薔薇御殿に行こうが行くまいが、レティに見つかった時点で疲れ果てるのは確定でしたね……とスネイル・トレイターは遠い眼をしながら静かに語った。

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