金蛇の花園殺人(未遂)事件①
「うぐっ……!」
金蛇の花園。男ならば誰もが夢見る、美少女奴隷たちを囲うためだけの大きなお屋敷。その主であり帝国随一の豪商でもある男スネイル・トレイターが、うめき声をひとつ上げたあと胸を押さえて倒れ伏した。
「スネイル様!?」
ところは金蛇の花園の食堂。お昼の時間に花園にいるみんなで和気あいあいと昼食をとっていたさなか、急に主人が苦しそうな声を出して倒れ伏すものだからスネイルの美少女奴隷たちは半狂乱である。
叫び声を上げる者、口に手を当て驚き固まる者、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がる者、エトセトラエトセトラ。
「お館様!」
十人十色の反応を見せる美少女奴隷たちの中、まず床に倒れ伏した主人に駆け寄ったのは、黒髪が眩しい東方からの美少女奴隷クロユキだ。すかさずスネイルの口元に耳を寄せて、主人の息があることを確認する。「気絶しておられるだけです」という彼女の言葉を聞いて、周りの奴隷たちも胸を撫で下ろした。
さて、我らが敬愛すべき主人の命に別状はない。それがわかれば黙っておれないのはやはりこのふたりの美少女奴隷。うちひとりはもはや美少女と呼ぶのもおこがましい年齢ではあるが……。
「刺客!? もしそうなら、燃やし尽くしてやるわ!」
「……協力する。すべて凍てつかせる」
物騒なことを言い始めたのはロサとレティ。魔術の腕に秀でた彼女たちは、犯人を探し出して正義の鉄槌を下すべく、一目散に食堂の出入り口へと足を向ける。
帝国でも有数の規模を誇る豪商トレイター商会の長であるスネイルは、方々から恨みを買うこともないわけではなかった。外を出歩く際は護衛を雇っているし、金蛇の花園では戦闘に秀でた美少女奴隷がその任をこなすので今まで問題はなかったのだが、よもや直接的にスネイルを狙うとは。
「……はいはい、落ち着きなさいレティ。ロサ」
スネイルのことになると周りが見えなくなる二人をいさめて周りの美少女奴隷たちの心の内を代弁したのは、レティと同様『元』美少女奴隷であるラクシャだ。とある一件以来頻繁に金蛇の花園へ顔を見せるようになった彼女は、さすがに冒険者ギルド本部で様々な修羅場を経験しているだけあって冷静である。
「もしもスネイル様の暗殺を謀った愚かな輩がいるのなら、その死を見届けるまでこの食堂から逃げるなんてことはしませんよ」
「あっ、そ、そうねラクシャ姉……」
「……盲点」
「それにあなたたちだと一撃で殺してしまうでしょう。刺客は一撃で殺したらダメですからね? ジワジワと、生まれてきたことを後悔するまで、肉と爪の間に針を刺し込んで悲鳴を聞きながらゆーっくりと嬲り殺さないとね」
訂正。ラクシャも大概冷静さを欠いていた。威圧感すら感じさせるその深い深い笑みを見て、新米美少女奴隷のリズベットはもう半泣き状態だ。この先輩たち怖いんですけど……!
「……まあ犯人を探す気持ちもわかるがね。せっかくここには聖法術を使えるクラリスがいるんだ。まずはスネイル様を回復させて守りを固めるべきじゃないかね?」
完全にヒートアップしているお三方を止めるべく、勇気ある進言を行なったのはボサボサの黒髪と黒縁のメガネが野暮ったい将来の美少女奴隷ルーシィだ。スネイルには恩義を感じているが、ビジネスパートナーとして主人とフラットな関係性を築けている彼女はこの場面においてもっとも頼りがいのある女だった。
「こほん……それもそうですね。クラリス、スネイル様をお願いできますか?」
「承知しました、ラクシャ姉様」
ルーシィの言葉を受け、幾分か冷静さを取り戻したラクシャ。その大先輩からの頼みを受け、美少女シスター奴隷クラリスがスネイルの元に駆け寄りその胸元に手をかざす。
クラリスの両手に集まる暖かい光は、聖法術と呼ばれる女神プレシスから与えられる奇跡の力だった。魔術が破壊を司るならば、聖法術は再生を司ると言われている。悪かったスネイルの顔色が、徐々に赤みを帯び生気を取り戻していく。
「よし、これで一安心と言ったところだろう。万が一にもスネイル様が死ぬことは無くなったし、この食堂には我らが最大戦力の《氷姫》レティと《放火魔》ロサがいる。刺客が隠れていようと遅れはとるまい」
「……任せてほしい」
「ちょっと待ってよルーシィ姉、その二つ名はやめて」
「おやおや、これは失敬」
放火魔呼ばわりされたロサが憮然とした声を漏らすと、緊張の糸を張っていた美少女奴隷たちの空気が少しゆるんだ。クラリスによる回復もあってスネイル様には大事ないし、ルーシィの言う通りレティとロサがいれば並の相手では逃げおおせまい。
垢抜けないものの、場の空気を読み、最適な言動をとることにかけては一級品のルーシィである。ゆえに、場の主導権は彼女が握ることとなった。
「では……もしこの場に刺客がいるのならばキミに告げよう。素直に罪を認めて出てくると良いだろう。おそらくスネイル様のことだから、無益な殺生は避けると思う。殺されやしないさ」
天井や誰もいない厨房に向けて声を出してみるルーシィ。「殺されやしないさ」という彼女の発言に関してはレティ、ロサ、クロユキ、ラクシャら、スネイルラブ組が少々複雑な表情を見せていたが、まあ些事である。
「……ふゥむ。名乗り出てはこない、か」
だが、結局それから五分ほど経っても、スネイルに凶行を働いたものが姿を見せることはなかった。
「下手人は逃げたのでしょうか?」
首を傾げるクロユキ。その目は爛々と輝き、両手にはすでにナギナタが握られた臨戦態勢である。絶対にスネイルを昏倒させた犯人の首を刈るという強い意志がそこにあった。
「……あるいは最初から刺客なんていなかった、って線もあるわね」
クロユキの疑問に答えを返すネメシア。彼女の言を聞き、ルーシィもまた頷いた。
「ネメシアの言うとおり。むしろそっちの可能性の方が高いと私は見ているよ」
「刺客はいなかった、ということですか?」
「では、なぜお館様が倒れられたのでしょう」
ラクシャとクロユキが至極まっとうな疑問を投げかける。刺客がいないのにスネイル様が急に倒れる理由がどこにあるというのか。
「うん、クロユキの疑問はもっとも。だから少し考えてみよう」
とんとん、とこめかみを叩きながら、ルーシィは食堂を見渡した。テーブルの上には今日の昼食のパンとシチューとパスタが並んでいる。作りたての料理には何の変哲もない。
食堂の天井や壁に、魔術が使用された形跡――魔力の残滓はない。もしそんなものがあればレティがすぐに気付くだろう。
「……うーむ、刺客がいないとなるとそれはそれでわからない。みんな、君らの目から見て何か変わったことがあったりしないかい?」
この場において、ルーシィはすでに探偵役としての任を拝命している。
「あの……」
そんな中、おずおずと手をあげる美少女奴隷がひとり。おや、と片眉をあげたルーシィの目が捉えたのは、新米美少女奴隷のリズベットである。
案外、事態の解決にはこういう金蛇の花園にまだ染まりきってない人間の意見が大事だったりするものだ。
「話してくれたまえ」とルーシィが続きを促すと、リズベットはややためらうような素振りを見せながら目線を逸らし、片手の指でスネイルを指し示した。
「……あの、変わったこと、というか、その……あの、スネイル様なんですけど」
リズベットの指に釣られて、全員が床に倒れ伏すスネイルを見る。
いつものようにのたうつ金の髪。一本に引き絞られた弓の弦が如き糸目。高級素材をふんだんに使用していながらも嫌味を感じさせない調和の取れた衣服。
どこからどう見ても、帝国が誇る豪商、そして民が畏怖と羨望を持って『金蛇』と呼称する奴隷商人スネイル・トレイターだ。
「リズベット、スネイル様がどうかしたの……って、あ」
可愛がっている後輩が何故だかスネイルを指し示す様を見て、首を傾げるネメシア。そんな彼女が、意識を失ったままのスネイルを見やってからやや遅れて理解した。
他の美少女奴隷たちもネメシアと同様、それに気がついた。「ほー」とか感嘆の声を漏らしたり、「きゃっ」っと可愛く声を上げてみたり、「!!!!」なんて言葉にならない叫び声を上げたり。
「……まったく。皆の気も知らずにのんきなものねえ」
そう言って呆れ笑いを溢すネメシアの目線は、主人の股ぐらで一直線に天を衝くミニスネイルくんをガッチリと捉えている。綺麗にテントを張っているそれは、その威容を布で隠されていてもなお、トップレベルの臨戦状態であることを声高に主張しているではないか。
「お館様……」
「あらあら〜」
そんなスネイルの様子を見て、やや弛緩した雰囲気の中にあった他の美少女奴隷たちも呆れや笑みを溢していたりしたが、その輪に混じらない美少女奴隷がふたり。
「……おかしい。これはおかしいぞ」
「そうですよね、ルーシィ」
ルーシィとラクシャだ。これはどう見ても、どう考えてもおかしい。
あのスネイルが、いくら美少女奴隷に囲まれて興奮したからって、昼間からミニスネイルくんをスタンダップさせることがあるものか?
答えは否だ。スネイルはいやがる美少女奴隷を前にしてはじめて、ここまでの興奮を見せるはずなのだ。
なのに、気絶している主人の怒張は天に向かって一直線。この現状が指し示す答えはひとつ。
「――スネイル様は無理やり勃たされている」
そして、ルーシィはそれを可能とする手段に大いに心当たりがあった。先般、錬金術師としての仕事のひとつとして作り上げ、ローナの商店に卸した薬品――媚薬と精力剤ならばそれが可能だ、と!
「全員その場を動くな! そして皆の持ち物を検める!」
「ルーシィ? それってまさか」
目を丸めて問うてくるラクシャに、ルーシィは自信ありげな頷きを持って返した。
「スネイル様を気絶させた犯人は――この中にいる!」
――スネイルを昏倒させた犯人はいったい!?
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