新米美少女奴隷リズベットと購買部④
――金蛇の花園においていちばん清楚な美少女奴隷は誰か?
そんな問いが投げかけられたとして、わたしは自分の心の中で勝手にその答えをクロユキ先輩であると規定していたのだけれど、その彼女が媚薬を求めてローナ商店を訪れたという眼前の厳然たる事実は、わたしの心に小さくない衝撃を与えていた。
そっかあ……。あのクロユキ先輩が媚薬を……。
「……あれ? リズベット殿? さっきあれだけ元気よく答えて下さったのに、聞こえませんでしたか?」
「いえ先輩、聞こえました。聞こえてしまいました……」
「よかった。では媚薬をお願いいたす!」
「……はい」
なんら恥じることなどありませぬ、みたいな具合にいっそ清々しいくらいの面持ちで媚薬を声高々に注文するクロユキ先輩。もはや逃れられない。店員としてやるべきことをやらなければ。
(しかし……気になる……)
わたしは媚薬が陳列されている棚のもとへ足を運び、ピンク色の液体が妖しく揺らめくガラス瓶に手をかけながら、ふと考えた。
飲めば誰しもが獣のように己の欲望に正直になってしまうという魔性の薬酒を、果たして先輩はいったい誰に飲ませるつもりなのだろうか。
やっぱりわたしたちの主人であるスネイル様? いやでもそんな薬に頼らなくたってクロユキ先輩は魅力的な女性だし、スネイル様だって口では何のかんの言ってたとしてもクロユキ先輩から迫られたら案外コロッといっちゃうんじゃないのかな?
とするとスネイル様相手とかではなくて、別の男の人とかなのかな。たとえば、冒険者とか? でもそれこそスネイル様と同じで、クロユキ先輩みたいな美少女が冒険者とオトすのに媚薬に頼る理由もないか。
ああ、そういえば、冒険者といえばカタリナ先輩の彼氏さんがそうだったっけ。カタリナ先輩と彼氏さんもそういうことをしてるのかな……?
(いやいや、何考えてるんだリズベット。わたしのバカ。下世話すぎるよ)
ブンブンと頭を振って、邪念を振り払う。
(ダメだあ……気にしないようにって考えると余計気になる~……)
いやそりゃ、店員が気にすることじゃないというのは十も百も承知なんだよ? でもわたしだって年頃の少女なわけだし、こういう薬がどうして、どうやって使われるのかっていうのは気になっちゃうわけで……だからそういうことに思考が飛んでもおかしくない! わたしは悪くない!
そんな自己弁護をかましてしまうほど、わたしはこの媚薬とクロユキ先輩の関係に興味津々だった。うーん止まらない。
逆に考えてみようかな。どういう相手になら、あのクロユキ先輩が媚薬を使わないといけない状況に追い込まれてしまうのだろう。
(たとえば、クロユキ先輩は好いてるけど、相手からは相当嫌われてるとかだったらもはや媚薬に頼るしかないって追い込まれることもありうる……?)
クロユキ先輩を嫌うって、女を見る目なさすぎるとも思うけど。でもそれくらいの相手じゃないとあのクロユキ先輩がこんな薬に手を出そうなんて思うわけもないよ。
まあこの推測、クロユキ先輩を遠ざけたがる男がこの世にいるとはとても思えないのが一番のネックだけど。
(あー。待ってリズベット? もし相手が男じゃなくて女だったら?)
……ありえなくはないよね。だって、優れた異性は魅力的に映るけど、優れた同性は魅力的に映ると同時に邪魔に映ってしまうこともあるのよ、ってネメシア先輩が遠い目をして言ってたもん。
(そっか、そうだよ。これはきっと答えに近いぞリズベット。先輩はたぶん、自分にあまり好意を抱いてない女性に媚薬を盛るんだ)
帝国内の一般的なルールは、基本的に国内で信奉されているプレシス教団の教義に則っている。女神プレシス様は同性同士の恋愛について良し悪しを語っていないから、帝国内において同性内恋愛は個々人の気持ち次第だよね、というのが一般的帝国臣民の抱いている思いだ。
なので、クロユキ先輩がたとえ乗り気だったとしても、相手が乗り気じゃない可能性は十二分にある。
「そうか……そうだったのか……」
「リズベット殿? なぜ、ガラス瓶を手に取ったまま固まってしまわれたのです?」
「いろいろ、考え事がありまして」
「は、はあ……そうですか」
「クロユキ先輩も……大変ですね!」
先輩の恋路には障害が多そうですが、わたしは応援していますからね! なんて思いを込めて力強く頷いてみせたけれど、クロユキ先輩から返ってきたのはひどく怪訝そうな視線だった。ううむ、解せない。
「……ところでリズベット殿、いま手にされているそれが媚薬なのですね?」
「え? あ、はい」
「ではすぐにでも代金をお支払いしましょう。急がなくてはいけません……」
わたしの手元に視線を向けて、クロユキ先輩が少し焦りの色を含んだ声を漏らした。その手はすでにお金が入っているであろう腰元の革袋まで伸びていて、一刻も早くこの媚薬を手に入れたいという先輩の強い思いを雄弁に物語っている。
「先輩、そこまで追い詰められて……! わかりました、今すぐにでもお会計を!」
「いえ別に追い詰められてはいないのですが……助かります、リズベット殿」
「――いいや、追い詰めたわよ! その取引、ちょーっと待ったあ!!」
「こ、この声はッ――!」
わたしが、価格表に視線を落としたのとほぼ同時に、聞き覚えのある大きく高い声が響き、ローナ商店に新たな嵐が訪れた。
外からの光を背にして商店の入り口に姿を現すのは、燃えるように美しく長い灼髪をツインテールにまとめて、その豊満な胸部を誇示するかのように腰に手を当て仁王立ちする美少女奴隷。それ即ち、
「あたしこそは、誰が呼んだか花園随一の超美少女奴隷――」
「乳袋」
「――そう、乳袋……ってだれが乳袋よ! 燃やすわよ!?」
「ロサ先輩!」
購買部にやって来たのは、灼髪ツインテールの低身長グラマラスボディの美少女奴隷、ロサ先輩。クロユキ先輩とロサ先輩が顔を突き合わせてしまった……ということは、この商店、荒れるでぇ……(ローナ先輩風に)
「どうやらギリギリ間に合ったようね! リズベット、そこの媚薬はクロユキじゃあなく、あたしが買わせてもらうわ!」
「あ、ロサ先輩もですか……」
ルーシィ先輩がこの媚薬を売りに来た時、これが人気商品だと言っていたのを思い出す。みんなこの怪しい薬欲しがりすぎじゃないですか? というか媚薬に頼らなくてもなんとかなりますよねみなさん?
「やはりこうなりましたか。しかし順番は守って頂きたいですね、乳ぶくロサ殿……略してブサ殿」
「おいちょっと待ちなさいまな板女。そこまで略したらただの罵倒じゃないのよ」
「左様」
「いや左様じゃなくて少しは悪びれなさいよ!!」
お互いに罵倒しあいながら、視線を絡み付けてバチバチと火花を散らす先輩ふたり。まだ金蛇の花園に入って日の短いわたしだけど、このふたりがリーチェ先輩も交えながら喧嘩している様子は何度も目にしている。
可愛いロサ先輩と綺麗なクロユキ先輩。美しい灼髪と美しい黒髪。豊満な肉体と均整の取れた肉体。魔術に秀でた能力と武術に秀でた能力。何もかもが対称的なふたりの喧嘩は、金蛇の花園におけるある種の名物でもあった。
相性は絶対悪くないはずなんだけど、なんか妙にお互い突っかかるんだよね。なんでだろ。なんか素直になれない感じで……。
…………ん? 相性は悪くないけど、二人とも素直になれない…………?
「恥ずかしげもなく脂肪の塊を揺らして歩くその姿、武家の女からすれば見苦しくてかないませんね」
「おあいにく様、自分の武器はさらけ出してこそでしょうが。大体アンタ、このあたしのおっぱいが羨ましいんじゃぁないの~?」
「…………だれが羨ましいものか、そんなもの」
「あ~、言いよどんだ言いよどんだ! ほーら泣いて平伏して言ってごらんなさいよクロユキちゃん、『ロサ殿の大きいおっぱいが羨ましゅうございます』ってさぁ~!」
「ブサ殿の無駄に肥大しておられる乳房が憐れで涙がこぼれそうでございます」
「だからその略し方はやめろっつってんのよ!」
天啓が降りつつあるわたしを差し置いて、ロサ先輩とクロユキ先輩の言い争いは何やらヒートアップしていた。お互いけっこうムキになってるやつだ。やっぱりこのふたり、見つめ合うと素直になれないらしい。
「まあ冗談はともかく。この媚薬は私がはじめに目をつけた代物。順番からいって、購入する権利は私にあります。違いますか、リズベット殿?」
「あ、はい、それが正しいです」
「それ見なさい」
わたしから見ても、クロユキ先輩の言に否定の余地はない。だが、先客の得意げな顔を見てもなお、ロサ先輩は自信満々な表情を崩さない。媚薬はすでに手中にありといった様子だ。
「それはおままごとの理屈というものではなくて、クロユキ?」
「なんですと?」
「確かに購入する順番は大事かもしれないわ。でも、あたしがアンタより高値でその媚薬を買うって言えば、そんな順番なんて容易に覆ってしまうのよ! でしょうリズベット!」
「それもそうですね」
「ちょっとリズベット殿!?」
わたしを咎めるような視線を向けてくるクロユキ先輩。心苦しい。心苦しい、が、わたしの胸の内には今朝がたローナ先輩から確かに聞いた商人としての心得が息づいている。
「ローナ先輩曰く、商人たるもの利益の追求を一とすべし。……ロサ先輩がクロユキ先輩よりも多くのお金でこの媚薬を購入されるというならば、わたしにはそれを止めることはできません」
「クッ……純朴だったリズベット殿も商業主義の波にのまれたか……」
「いやそんな壮大な話じゃないでしょ。てかどーすんのよクロユキ? アンタが尻込みするならあたしが買うわよ~?」
「……リズベット殿、媚薬の価格はいくらでしょうか?」
悔しげに唇を噛みながら、クロユキ先輩が媚薬の販売価格を尋ねてくる。もとはと言えばわたしが考え事をしていたせいで巻き起こされたような事態なので若干申し訳ないが、心情だけで言うならわたしはクロユキ先輩の味方だ。
それに、媚薬の使用相手もすぐそばにいるし。
「媚薬の販売価格は金貨4枚になります」
「むぅ……以前より高くなっている……」
「さすがになかなかの金額ね……」
安くで買って、高くで売る。これが商売の基本やで! とローナ先輩が言っていた通り、ルーシィ先輩謹製の媚薬は買取価格金貨1枚に対し、販売価格金貨4枚、単純計算で利益は金貨3枚を生む商品となっている。
だが、金貨4枚は帝都の騎士の一年分の給金に匹敵する大金だ。冒険者として活躍しているロサ先輩やクロユキ先輩にだって荷が重い金額のはず。ふたりの顔色はあんまり晴れやかなものではなかった。
「ちなみにおふたりとも、予算はおいくらですか?」
「私は金貨2枚です」
「……右に同じよ」
「私と同じではないですか。それを何を偉そうにおままごとの理屈よ、などと……」
「さすがにここまで価格跳ね上がってるとは思わなかったんだから仕方ないでしょ。というかアンタだって買えないじゃないのよクロユキ」
「まあ、そうですね……」
互いに予算が同額だったことが判明して、またいつものやり取りを始めるふたり。わたしはそんな先輩たちを横目に、ガラス瓶に入った媚薬をふたつのコップに取り分ける。
瓶の蓋を開けて桃色の液体をコップに注ぐと妙に甘ったるい香りが漂ってきて、なるほどこれが魔性の薬酒というやつなのかと一つ大人の階段を上ったような感想を抱く。わたしもいつかこの薬に頼るような日が来てしまうのだろうか? いや、そんなわけもないか。
「ささ、先輩がた。これ、どうぞ」
媚薬を取り分けたコップを、いまだ言い争う二人のもとへと持ってゆく。
「……あらリズベット、なに? 飲み物? 気が利くじゃない! こいつと話してると喉かわいて仕方ないのよねー!」
「ロサ殿が無駄に突っかかってくるからでしょうが……。ああリズベット殿、かたじけない」
「いえいえ」
全然かたじけなくないですよ、クロユキ先輩。むしろ本当に先輩には悪いことをしたと思っているんです、わたし。せっかく媚薬を買いに来てくださったのに、買えずじまいにさせてしまっているし。
でも、運が良かった。ロサ先輩とクロユキ先輩の予算は同額、ふたりでぴったり媚薬が買える金額。そして、お互いが媚薬を飲ませたい相手――顔を合わせれば喧嘩ばかりで素直になれない――恋煩いの相手が目の前にいるなんて!
そう、クロユキ先輩はロサ先輩と結ばれるために媚薬が欲しかったんですよね! ロサ先輩も! ええ、わかってます、わかってますよ! 不肖リズベット、影ながら応援させていただきます!
いまコップに注いでふたりに渡したのは、そのための媚薬だ。価格も折半、中身も折半。これでふたりとも素直になれるよね!
「んっ……こくっ、こくっ……うっわ、すっごい甘いわねこれ」
「しかし、爽やかなあと味……ううむ、なかなか美味ですね」
「お口にあいましたか? よかったです! それじゃあ先輩がた、お代を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「「え?」」
不思議そうに首を傾げるふたり。まあ、確かにわたしの説明も足りないもんね。
「それ、さっきから話題の媚薬なので。金貨4枚……おふたりで折半して金貨2枚ずつ、いただけます?」
顔を見合わせ、そして瞠目する先輩ふたり。ふたりは声にならない声で絶叫した。
そしてそのあと、わたしは金蛇の花園内で『無垢なる邪悪』とかいう信じられないほど不名誉なあだ名を頂戴する羽目になり、ロサ先輩とクロユキ先輩はといえば顔を合わせるたびに言い争いするのは変わらないものの、どこか気まずそうにお互いをチラチラと伺うような表情を見せるようになるんだけれど……まあ、別の話かな。
ちなみにローナ先輩には爆笑されながらもこってり絞られて、当分の間、購買部で無給アルバイトすることで許してもらえました……。ごめんなさい……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます