新米美少女奴隷リズベットとご主人様

「どっ……こいせっ、と」


 クワを振り上げ、足元の少し先へ振り下ろす。土を砕く感触がクワの柄から伝わる。もう一度振り上げる。下ろす。砕く。良きにしろ悪きにしろ、子供の頃から慣れ親しんでいる動きだ。雑念が挟まる余地はない。


 ところは金蛇の花園。本邸のすぐそばに造られた小規模な農地で、わたし、リズベットは畑の土を耕していた。


「よっこい、せっ」


 わたしが奴隷商人スネイル・トレイターに金貨40枚で買われてからひと月。初日の晩にスネイル様の寝室にお呼ばれするも、それを元奴隷のレティ先輩に代わってもらって以降、わたしは特段変わったことのない奴隷生活を送っていた。


 奴隷生活が変わったことないっていうのもなんだか妙な感じではあるのだが、事実なので仕方がない。ネメシア先輩に聞いた通り、奴隷になる前――ど田舎の村で飲んだくれのクソ親父のもとで暮らしていた頃――よりも幸せな生活を送っているのは間違いなかった。


 食事は三食お腹いっぱい食べられるし、かつては夢のまた夢だったお化粧だってできる。文字の読み書きも、先輩奴隷たちが優しく教えてくれる。


「至れり尽くせりだよね」


 金蛇の花園に住まう奴隷は、この屋敷でのすべてを自分たちでこなしている限り主人のスネイル様に何かを言われることはない。


 奴隷たちは料理当番だったり掃除当番だったりを一日あるいは一週間刻みくらいのローテーションで回して、担当外(休暇)の日は各々自由に過ごすのが常。


 そして今日、わたしは休暇の日だった。


 ロサ先輩は担当外の日には帝都に出てショッピングを楽しむらしいけれど、わたしはまだ帝都に出る勇気が湧かない。帝国の外れの田舎者に帝都は眩しすぎる。田舎もんの悲しきサガだ。


 だから、時間を潰すために金蛇の花園を当てもなく歩いているうち、本邸のそばに手入れのされていない畑を見つけたので――すでに花園を出ていった元奴隷が趣味で菜園を造っていたらしい――手始めに雑草やら石やらを拾いまわって、今は耕地中というわけ。


「……あっ、モールラットだ」


 そんなこんなで土を耕していると、モールラットというネズミとモグラの合いの子みたいな魔物が地中からぴょこんと顔を出した。クワを置き、わたしはじっとモールラットを見つめる。モールラットも見つめ返してきた。しばしの沈黙。


「……よし、殺そ」


 畑仕事の経験がない貴族の令嬢だったら、コイツを一目見て「かわいい〜」とか言ってお父様お母様に飼育の許可をもらいに行くのかもしれない。けれど、貧乏農家生まれのわたしがコイツにかわいいなどという感想を抱くことは決してないだろう。このクソネズミは、ただでさえ少ないこちらの収穫を何食わぬ顔で奪っていく憎たらしい害獣に過ぎない。


 まだコイツはこの金蛇の花園で直接的な害をもたらしてはいないのだろうが、いずれ害をもたらすことは確実の憎むべき敵である。モールラット相手に、わたしは一切の情けも容赦も慈悲も与えるつもりはなかった。


「死ねよやぁー!!!」


 わたしはかつて、故郷で『ネズミ殺しのリズベット』と呼ばれていた身。ピッチフォークを手に取り、モールラットを刺殺する気満々で飛びかかった。


「ギュイッ!」


 迫り来る死の恐怖に怯え地中に潜るモールラット。それを逃すまいと、わたしはザクリザクリとピッチフォークを連続で突いて突いて突く。狩人と獲物の真剣勝負が幕を開けた――。




「――畜生の分際で逃げるな、このっ!」


「ギュイ! ギュイ!」


 わたしとモールラットの追いかけっこは十分ほど続いた。意外にもしぶといモールラットに苦戦を強いられ、徐々にフラストレーションが溜まっていくのを感じる。ちょこまかと逃げやがってこの小動物が。


「ギュイギュイッ」


 地中から半分顔を出して、こちらを煽ってくるクソネズミ。わたしは額に青筋を立てながら、もう何度目かも数えていないピッチフォーク突き刺しを行う。外れた。モールラットが甲高く鳴いてこちらを煽る。こんにゃろ。


「いっかい掘り返してやろうか……」


「……精が出ますね、リズベット」


「へぁ?」


 汗を拭い、一度全部土を掘り返してモールラットの逃げ場をなくしてやろうかと考え始めたタイミングで、わたしを呼ぶ声が届く。


 道具を置いて視線を巡らせると、畑のすぐそばに、ひとりの男が立っていた。のたうつような金の髪を持ち、整った顔をしているものの一本の弦のように結ばれた糸目がちょっと残念な彼は――、


「――ス、スネイル様? これはお見苦しいところを……」


 我が主人、奴隷商人スネイル・トレイターだ。


 いったいいつから、モールラットとの戦いを見られていたのだろう。少々品位に欠ける物言いや振る舞いをしていたことが思い出されて、わたしは羞恥を覚える。


「いえ、見苦しいなどとは。むしろ生き生きとしていて良いと思いましたよ、私は」


「え、あ、はい。どうも……」


 褒められるとは思わなかったので、変な受け答えになってしまった。「私の奴隷に下品な女はいりませんよ」くらい言われてしまうかと思った。


 だって、先輩の奴隷たちはみんな上品というか、なんか奴隷じゃなくて良いところのお嬢様みたいなんだもん。スネイル様も、自分の身なりにはたいそう気を使っているみたいだし。


「畑の手入れですか?」


「あ、はい。……って、スネイル様。畑のそばに立ったらお召し物が汚れますよ」


「構いませんよ。それよりリズベット、あなたと会話を交わすのは久しぶりですね」


「そ、そうですね」


 スネイル様に言われた通り、わたしが彼とこうして会話を交わすのは、彼に奴隷として買われた初日を除けば二回目だ。その間にはひと月の間が空いている。


「あなたには色々と聞いておきたいことがありまして」


 スネイル様の言葉を受け、わたしはにわかに緊張した。もしかして、この身につけられた金貨40枚の値段をその身で示す時が来たか。ひと月ぶりに。


「まずは……そうですね、この屋敷での生活には慣れましたか?」


「はい、おかげさまで」


 なるほど、まずはそういう軽い話題から本題に向けて進んでいくというわけね。でも、わたしとスネイル様はしょせん奴隷と主人という契約関係にあるのだから、回り道する必要もなさそうなものだけど。


 そんな感想をよそに、わたしの回答に頷いたスネイル様の質問は続く。


「よくしてくれる奴隷はいますか?」


 言われて、わたしの脳裏にたくさんの先輩奴隷の顔が思い浮かんだ。ロサ先輩、クロユキ先輩、カタリナ先輩、リーチェ先輩、アレッタ先輩、ローナ先輩、クラリス先輩、ルーシィ先輩、他にもたくさん。


「みんなとってもよくしてくれます」


 それに誰より、


「特にネメシア先輩には頼ってばかりで……」


 みんなのお姉ちゃんといった感じのネメシア先輩は気配りの達人で、わたしは色々な面で彼女に大変お世話になっている。お化粧を教えてくれたのもネメシア先輩だ。


「く……やはりネメシアの毒牙に……」


「……?」


 一方、わたしの答えを聞いたスネイル様はなんだか苦虫を噛み潰したような顔を見せていた。なんでだろう。


「その、ネメシアには、例えばどのように世話になっているのです?」


「え、うーんと……夜の」


「やはり……!」


 スキンケア方法の指南とかベッドメイキングとか……って最後まで言わせてくださいよスネイル様。


「リズベット。もしも辛い目にあっているのならすぐに言いなさい。……いやまあ私が言えた立場ではないのですが」


「は、はぁ……」


「レティ……はあまり頼りになりませんから、ラクシャに相談するのも良いでしょう。きっと力になってくれます」


「ありがとう、ございます?」


 スネイル様は何を心配しているのか。彼の懸念が全然わからないが、わたしを案じてくれているのはわかったので感謝しておく。


 ネメシア先輩がスネイル様を優良な主人と言っていた意味が、なんとなく理解できた気がした。なんというかこの人、お人好しの気がある。


 わたしは奴隷で、いまやスネイル様の所有物なのに、妙に気を使われてるし。それともこれも寝室に呼び出すための前準備の一環なのだろうか。最良のコンディション状態で奴隷を呼び出さないといけないとかいうこだわりとかなのかなぁ。


 でも奴隷にそんな気遣いって必要だろうか。なんかだんだん、わたしもしびれが切れてきた。


「あの……スネイル様。本題には入られないのですか?」


「本題とは?」


 すっとぼけた顔を見せるスネイル様。えっなに、奴隷から言わせるの? あっ、そういう趣味ってこと? うわぁ。流石にちょっと恥ずかしいよ。


「いやそのー……つまりですけど、えっと」


「はい」


「いつわたしを寝室に呼び出されるのかな、と」


 言っちゃった。言ってしまった。


 いや別にわたしがスネイル様に体を許したいとかそういうわけじゃないんだけど。呼び出されるなら呼び出されるでもうなんやかんや覚悟は決まっているからとっとと済ませて欲しいのが本音。


 わたしの言葉を聞いてもスネイル様は無言だったけど、そちらを見やると彼は両手で顔を覆っていた。


「おお、もう……」


 何がですか。


「やはりリズベットすら準備万端になってしまった……」


 いやだから何がです!?


 そう聞きたかったけれど、どうにもスネイル様はひどくショックを受けてしまったらしい。そんなおかしいこと言ったかなわたし?


「純朴な田舎の美少女は死んだのですね……」


 そんな謎のセリフを残して、スネイル様はフラフラとおぼつかない足取りで屋敷の方に戻って行ってしまう。その間、わたしが口を挟む余地はなかった。


 スネイル様はひとりでショックを受けてひとりで完結してしまったのだ。


「なんなんだろう……」


 煤けて見えるスネイル様の背中が屋敷に消えたのを見届け、わたしは呟く。


 スネイル・トレイター……よくわからないひとだ。間違いなく悪い人ではないけど。


「……あっ、ネズミ退治がまだだった!」


 スネイル様のことを意識から飛ばした後、わたしはネズミ退治が途中だったことを思い出す。


「ギュイッ!」


「ほう、わたしを待ってるとはいい度胸だね!」


 こうして、わたしの休日はモールラット撃滅の任とともに過ぎていった。


 ところで、その日の晩に昼間のスネイル様とのやりとりをネメシア先輩に話したら爆笑されたんだけど……なんなの?

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