夜空の子守歌 p.7

 夜、満天の星空の元、街の人気は夕方頃から一層に消え失せていた。

 メリッサは喫茶店の二階にある自室の窓から街の様子を眺める。

 そんな彼女の装いは夕方から一変していた。

 膝まで届く深い緑色のロングコートを着用し、真っ黒のインナー、腰には銃を納めるための大きめのホルスターを装備しており、その様相はさながら西洋のガンマンだ。

 唯一、夕方にも巻いていた赤いロングマフラーはそのまま巻いており、無骨な服装にワンアクセント入れている。


「おそらく今日も何かが起こるでしょうね」


 メリッサは右手首に付けた腕輪のルーズにそう言うと、何かを呟いてそっとルーズを撫でる。

 すると、淡い光が腕輪から発せられると同時、腕輪だったそれはあっという間にその姿形を変えていく。

 メリッサの右手に握られたのは一丁のハンドガンだった。

 大型の口径に黒を基調とした無骨な形は見る者に威圧感を与える。

 小柄なメリッサが持つと余計に大きく見えるそのハンドガンを腰のホルスターに収納すると、ハンドガンのスライドに一直線に引かれたラインが緑色に淡く点滅する。


『ふぅ、やっぱ元の姿の方が落ち着くぜ。で、もう出るのか?』


 嬉しそうに言うルーズを余所に、メリッサは夜の街を睨む。


「合図が来たら、すぐに」


 時刻が深夜を回った頃、一台のパトカーが街の大通りをゆっくり走る。

 近頃の行方不明事件への対応措置のため巡回が強化されているが、未だ事件の抑止としての機能は果たされていない。

 当然、警察側としてもこの事態を深刻に受け止めているものの、解決の糸口が掴めず憤りは積もっていく一方だった。

 この日大通りの巡回を担当している警官二人はパトカーを走らせていると、前方数メートル先にとぼとぼと一人で歩いている人影を発見した。


「C地区にて歩行者を一人発見。警戒しつつ職務質問をする」


 警官の一人が無線で他地区で巡回をしている警官に報告すると、パトカーを道の脇に泊めて車から降りる。

 もう一人の警官は万が一の時のためにパトカーで待機させ、歩道を歩き続ける男性に声をかけた。


「あの、すみません。警察の者ですが、ちょっとよろしいですか?」


 警官は警戒しながら男に近づくと、男はゆっくりと振り向いてきた。

 男はおよそ六十代、顔の皺や白髪が特徴的だが、それ以上に挙動がおかしかった。

 初老の男は目の焦点が合っておらず、警官ではなくどこか遠くを見て何かを呟いていた。


「……ぃ……ふ……ぃ」


 明らかに不審な男性に、警官は一層警戒心を高め、腰に吊った銃に指を触れる。


「ミスター、少しお話を伺いたいのですが……」


 そう話しかけた瞬間、異変が起きた。


「ぃ、ああああああああぁぁぁぁぁ!」


 初老の男が雄叫びを上げる。

 それは、およそ人間が発せられるような声ではなかった。


「な、なんだ!」


 突然の轟きに圧倒させる警官を余所に、異常事態は続く。

 満天の星空が突然揺らぎ、天地がひっくり返るような錯覚が警官を襲う。

 たまらず身体のバランスを崩した警官はその場に倒れるが、揺らぎはすぐに収まった。

 唐突に起こった現象に警官はすぐに立ち上がって拳銃を取り出し、初老の男を警戒しつつ周囲の様子を探る。


「……どうなってるんだ」


 警官は何かに気づいて空を見上げる。

 真夜中だったはずの空は気味の悪い紫色のオーラを放ち、辺り一面を怪しく照らす。

 すると、警官の前に立っていた初老の男にも異変が生じる。

 男の顔と身体が歪に変形していくと、下半身から昆虫の足のようなものが八本飛び出る。

 さらに。男の顔が縦に割れ、中から鋼のような昆虫の口が現れる。

 その姿を一言で表すならば大型の蜘蛛。

 上半身は人間体のままだが、頭と下半身は蜘蛛そのものとなって男は完全な変身を遂げる。


「うわあああ!」


 当然驚いた警官は持っていた銃で目の前の化け物に向かって拳銃を発砲。

 怪しい空に銃声が三回響き、放たれた銃弾は狙い違わず蜘蛛男の胴体に命中するも、弾丸は蜘蛛男の胴体に傷一つ付けられずに地面を転がる。


「至急応援を――っ!」


 後ろに待機していたもう一人の警官へ指示を飛ばそうと振り向くと、パトカーは車体ごとひっくり返った後だった。

 いつの間にか現れていたもう一体の蜘蛛男がパトカーの隣に立っていた。

 新たに現れた蜘蛛男の足が、パトカーに入っていた警官ごと車体を刺し貫いており、警官へ絶望感を与える。

 警官はその場に崩れ落ち、持っていた拳銃を手放す。


「何が、どうなってるんだ……」


 警官のすぐそばに立っていた蜘蛛男は口から糸を吐き、ゆっくりと警官の身体を糸で巻き取っていく。

 警官は抵抗が何の意味も持たないことを悟り、その身を絶望と共に蜘蛛の糸に飲まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る