第5話 君に逢いたくて
あの子は僕の1つ下で、高校卒業後に上京、音楽系の専門学校に入学し講師の勧めでグループのオーディションを受け見事合格。その類まれなる美麗な顔立ちで注目を集めたという。一見その外面第一で人気が上がったと思いきや、様々な番組での対応力、そのビジュアルからは想像出来ない程の親しみ易さやファンに対する誠実な対応、後輩に対する面倒見の良さでグループ外だけでなくグループ内でも支持を集めているらしく、内面の充実あってこその支持や人気の高さである事が伺えた。そして、今やグループ内でも1,2を争う人気で、歌手だけでなく女優やモデルとしても活躍しているらしい。
僕はネットを通じてあの子の現在、そして名前をはじめとする細かな情報を知れて嬉しいと思うと同時に、悔しさや寂しさが再び甦った。これだけ魅力的な女性と縁が無かった事実。チャンスは有ったのに、仲良くなれなかった事実。確かに近くに居た存在だったのに、遠くへ行ってしまった事実。今や雲の上の存在と化した、あの子のいる場所へと繋がる道を辿れるのは、幸運の星の下に生まれ神に愛された存在であろうIT企業の社長や会社役員、野球やサッカーといったスポーツ選手、二枚目俳優、バンドマンにアーティスト、謎に包まれた「一般男性」(おそらく体育会系の色黒で普段から六本木界隈のクラブに入り浸っている連中のことだろ)、昔ながらの幼馴染や友人のみなんだろう。そうなんだろ神様?
自分以外誰もいない部屋は、男らしさから容易に離れる事が出来る場所。近親者の葬式でも、感動的なドラマや映画を前にしても「強かった」僕は、小説で見かける枕を濡らす、という表現がどういうものであるのか身をもって体感した。泣くなんておかしい、自分のような人間に都合の良い未来が与えられる確率は余りにも低い。そんなの分かってる。だけど、泣かずにいられないんだよ。
辛い事を忘れる為に酒に走る人間がいれば、睡眠に走る人間もいる。後者が僕だ。昼頃目覚めて、今日授業が無いことを感謝。乾ききった枕とベッドから離れ、何となくテレビをつけ、番組表を見る。とりあえず19時から21時辺りをチェックすると、バラエティ番組の出演リストにあの子の名前が載っているじゃないか。それもグループではなく、単独での出演だ。これは観るしかない。一応録画もしておこう。
放送時間。その番組の内容は、司会やレギュラーメンバーがゲストに様々な質問をするもので、あの子はゲストとして番組に招かれていた。シックなワンピースに身を包んだ姿は、グループでパフォーマンスする際の衣装よりも随分大人びた印象で、女性としての魅力をいつも以上に際立たせていた。よくある質問が次々と彼女に投げかけられ、ある程度こちらも予想した答えを彼女は次々と返していく。すると、「誰かに惚れたり片想いの経験は?」という少しだけ興味深い質問が挙がった。数秒後、彼女は少しだけ申し訳なさそうにYESというプラカードを掲げた。僕の心を代弁するかのように、えーっという後付けらしき観客の声が聴こえる。なんて羨ましい奴なんだ。日本中の男がそう思ってるはずだ。そして彼女の唇から滑らかに言葉が零れる。
「学生の頃だったんですけど、電車から降りたら忘れ物だよってさっきまで近くの座席に座ってた男の人が傘を渡してきたんです。私、その日は傘を電車に忘れるどころか持ってなかったのでおかしいな、変な人かなと最初は思ったんですけど、駅を出たらさっきまで晴れていたのに雨が降りだしたんです。それで、あの人は天気が変わり易い日に傘を持ってなかった私に気付いて傘を渡してくれたんだ、って気付いてその気遣いに惚れてしまったんです」
その瞬間、世界が止まり、頭どころか体中が真っ白になるような感覚が有った。心臓がはっきり聴こえる。でもこれは緊張が理由じゃなく、自分の歴史が動く程の出来事が真正面から凄まじいスピードで衝突してきた故の衝撃の強さによるものだ。自分にビンタを食らわせる。これは夢じゃない。テレビの中では司会の人が「でも、その人はずぶ濡れだったんじゃない?自分の傘渡したんでしょ?」とツッコミ、笑いが起きていた。
そして「その人って有名な人で言えば誰に似ていたの?」という質問に対し彼女が答えた人物は、僕が似ていると言われ、散々からかわれた事のある三枚目芸人。最初はその人、つまり僕は全然タイプじゃなかったけど、時間が経つにつれてだんだん不思議とタイプになってきた、というおまけ的コメントまで用意されていた。司会者レギュラー観客全てがそれに対し「え~」というネガティブな響きの伴った返しもおまけとして付いてきたが。
それに対し、更に僕にポジティブなパンチを食らわせるようなコメントが彼女から発せられる。
「しかも、その人は毎朝電車に乗る時に比較的近くに座っていた人だって後で気付いてそれから気になっていたんですけど、学年が変わった春にはもう居なくなっていて・・」
「あ~切ないね。その人がテレビ観ていればいいのにね~。観ていたら連絡くださ~い」とジョークを飛ばす司会者。まさにここに本人が居るよ。ここまで観れば、もう充分だった。
僕はテレビの音量を下げると、パソコンを開き、ファンレターの宛先を調べると同時に便箋や封筒、そしてペンを用意した。まだ可能性は有るはずだ。無かったら作るんだ。そうだ、シナリオ募集している漫画の出版社に更にリアルに迫ったシナリオを書いてまた応募してみよう。それに加え、映画やドラマでもたまにシナリオを募集している所だって有る。今まで起こった出来事に体験したい未来を加えセミドキュメンタリー風に仕上げ、実写化すればあの子にだって逢えるかもしれない。小説投稿サイトにこのユニークな事実をベースにした小説を書くのだって良いかもしれないな。意外と面白がられるかも。
事実は小説よりも奇なり、なんだから。
電車で見かける気になるあの子 コウキシャウト @Koukishout
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