第4話 ゲームオーバー。そして
そんな時、窓から救世主の後光のような朝陽が差し込んできた。流れの早い雲間から放たれた陽光は、水分を多く含んだ大地を、景色を、一つの絵画に仕立て上げ、僕ら乗客はその即席作品の鑑賞者と化した。そしてその陽光の明るさは、窓にはっきりとあの子を反射させて写し出し、僕はまたこの前同様、景色を眺めるふりをしながら堂々とあの子を眺める事に成功したのだった。
しかし、喜びも束の間、また朝陽は雲達の中へ隠れ、怪しい曇り空が頭上のステージの主役となった頃、それと同時にあの子が降りる駅も近付いていた。大袈裟に言えば、今までで一番近付いた二人の、別れの時だ。あくまで物理的距離だけど。あの子はテキストを閉じて、カバンに入れて立ち上がる。速度が下がると同時に電車のエンジン音は高い音から少しずつ低くなっていく。鼓動が早い心臓の音がどんどん鮮明に聴こえてくる。ああ、何もできないのか、動けないのか、、、、そうだ!
電車のドアが開き、乗客が出ていく。その中には、当然あの子も紛れている。そしてホームで待っていた人々が、電車に乗っていく。その中をすみません、と謝りながら電車の外に出ていく一人の青年。
あの子は思ったより、遅く歩いているな。大丈夫、あの子は人ごみに紛れて消えたりしない。でもすぐ電車に戻らなきゃ。早歩きで間に合う。少しずつ背中が近付く。ああ、お腹痛くなってきた。思ったより背が高い。とにかく、当たって砕けろだ。いや、そんな大したことじゃない。だけど、やるしかない。全ての情熱を込めて今、僕の片手は彼女の肩に近付く。
漫画ならポンポン、という擬音が鳴るような要領であの子の肩を叩き、同時に「すみません」という言葉を。振り向いた。真顔。気にせず、もう片方の手に持っていた、ある物を差し出す。
「これ、忘れ物ですよ」
ちょっと早口に言ってしまった。
「えっ」
彼女が発した言葉。
バレンタインで、余り話したことないものの、憧れていた先輩にチョコを渡してそそくさと離れる下級生の気分はこんなものなんだろう。と、想像しながら、僕は緊張のあまり渡した後のリアクションや彼女の表情、言葉もちゃんと見ること聞くこともなく、踵を返して電車の中へ急いで戻っていった。あの子が今手に持っているはずであるもの。それは、僕が持参していたビニール傘だった。その日の帰宅時、ずぶ濡れで玄関に佇む僕を見て驚いたのは母だった。
その日、僕はやたら部屋中を歩き回っていた。ついに行動した、あの子に声を掛けたという喜び。突発的な行動、ちゃんと話すことなく傘を渡してすぐ電車に戻ったことに対する後悔。様々な感情の交錯で僕は躁鬱にほぼ近い状態を寝るまで保ち続けていた。
これ以降は特に何のイベントも起こらなかった。勿論あの子は通学時に見掛けたけど、受験勉強に加え妙な恥ずかしさが自分を覆っており、以前よりさり気無く遠くから眺めることでさえやや億劫になっていた。アクションを起こすべきだったのに、なぜだろう。やがて年が明け、大学受験。ちょっとハードルが高かった第一志望は落ちたけど(あの子が気がかりで落ちた、というのは言い訳になるのだろうか)、模擬試験で判定はギリギリだった第二志望の都内の大学はなんとか合格した。
で、卒業式はどうしたかって?その日の登校時にも、帰宅時にもあの子は居なかった。鬱陶しい卒業式後の交流もそれなりに、込み上げる切なさを携えながらあの子が乗り降りする駅に行ってみたけど、土曜日ということもあり人気は全く無く、勿論あの子の影一つ見つからなかった。そしてホームで無意味に佇む哀れな男の心を3月の風が無情に通り抜け、高校生活の終わりと共に、僅か一年間の片想いも終わりを告げたってわけだ。ゲームオーバー。
しかし話はまだ続くよ。春になり僕は大学進学の為に上京、慣れない一人暮らしと東京生活に悪戦苦闘しながらキャンパスライフの楽しみを享受しようと試みて、少しばかりの友人もできた。その時僕が自分に言い聞かせていたメッセージは、「時間が解決してくれる」というもの。閉鎖的な田舎の村で育った人間が都会に出て様々な文化を知り、故郷の価値観や風習を前時代的なものだと捉えるように、あの子よりもずっと魅力的と思える子に出逢える、と信じていた。
しかし、あの子は過去の記憶や時間に引きずり込まれることはなかった。高校時代を再現するかの如く、授業中やサークル、電車の中、帰宅してベッドで大の字になって疲れを解放する時も、彼女は「現れた」。次第に僕は意味もなく大都会の人ごみの中で彼女を探していた。Jポップの歌詞を意識したわけではないのに。
そんな状況が愚かなことに2年程続いたある日、最近キャンパスで顔を見ない同じ学部の友人にたまたま出会った。
「最近見ないけど、なんか有ったの?」
「いや、実はさ~、少し前からあるグループのコンサートや握手会にハマっちゃってさ。最初はこういうグループのファンになる人達をちょっと見下してたんだけど、これが結構曲も良かったり面白くてね」
そのグループは、なんとかプロジェクトとかなんとか坂みたいな、近頃かなり売れている所謂アイドル系統だった。元々そういうアイドルにハマりそうにない爽やかな外見の彼だけに、その事実は非常に興味深いものだった。
その日の夕暮れ、僕の部屋。パソコンで彼が言ってたグループの公式サイトを見てみる。思った以上に多い、それこそクラス一個分程のメンバーの多さにまず驚く。なるほど、最近売れているのも納得出来る、どの子もみんな「かわいい」としか言い様がない、いわば完成品の羅列。するとその中に、「かわいい」というよりも「きれい」寄りの、明らかに見覚えのある女性の写真が掲載されていた。まさかと思いながらも、ほぼ確定しつつある驚くべき事実を前に謎の緊張感が高まる中、プロフィールのページをクリックする。名は体を表す、ということわざを納得させる優雅な名前の下に掲載されていた出身地は、僕と全く同じものだった。
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