第4話 ねことゴキブリ

 私が小学生だった頃、友達たちと一緒に近所の公園で猫を可愛がっていた。その公園の猫たちに気がついたのは私たちが進級してすぐの桜の花びらが散り葉桜に置き換わった頃だった。進級時にクラス替えがなかった事もあり私たち仲良しグループはそのままだったから、みんなで猫たちを可愛がった。時には学校の給食を残してパンや牛乳とかを公園の猫たちに与えていたり、家から材料を持ち寄って雨風をしのげるように小屋を作ってあげたりもした。


 その猫たちの中で小さく白と薄茶色のマダラ模様をした子猫がいた。私たちはその子猫にコーヒーと名付けた。このコーヒーの名前の由来は、コーヒーの毛色が給食で出されたコーヒー牛乳の色に似ていたからという安直な理由であった。それでも私たちは学校からの帰り道や休日に、コーヒーたち公園に集まる猫を夢中で可愛がった。


 その年、もう少しで一学期が終わり夏休みに入ろうしていたその日、私たち仲良しグループは、夏休みのあいだも出来るだけコーヒーの面倒を見ようと決めた。これは様々な理由で動物が飼うことを許してくれなかった私たちの親にも内緒の行いだったから、秘密を共有する事で自分たちの連帯感が高まった気がした。


 そして夏休みに入ると、毎日のように私たちは各自がエサを持ち寄って公園に集まり、コーヒーを含めた猫たちに振る舞った。私たちは雨の日にもエサをあげに行ったし、私たちの誰かが親の実家に帰省時や家族旅行をする時には誰かがコーヒーたちにエサをあげに行った。そうしている内にコーヒーたちは私たちが顔を見せるだけで集まってくれるようになった。集まって「ミャー、ミャー」と鳴いてエサをねだられ、持ち寄ったエサを美味しそうに食べているコーヒーたちを見ていると、私たちがコーヒーたちの役に立っている気がして嬉しかった。


 やり残した宿題に追われた夏休みが終わりを迎える頃には、最初に見つけた時には小さかったコーヒーは子猫の面影を残しつつも着実に大人猫に向けて成長していっていた。私たちはそのコーヒーの成長っぷりが無性に気分が良くなり、私たちの行いを誰かに知らせたくなって夏休みの自由研究として「子猫の成長記録」と題したノートを学校に提出した。その成長記録は友人の一人がケータイに撮り溜めていた画像を写真にプリントアウトしてノートに貼り付け、そこにインターネットから拾ってきたちょっとした情報を書き込んだものだったが、予想以上に小学校の先生には凄く褒められた。


二学期が始まって一ヶ月ぐらいが経って運動会が間近になった頃も、私たちは放課後に相変わらずコーヒーたちに会うため公園へと通っていった。その頃には公園のコーヒーたちに会いにいく事は日課となっていたし、コーヒーたちを可愛がれるのはそこにあって当然のようなものだと思っていた。


 ところが、そんな楽しかった日々は突然終わりを迎えた。


 運動会の前日、当たり前のように公園に向かうとそこには多くの作業着姿の大人がいた。私たちはいつもの公園とは違う光景に躊躇(ちゅうちょ)していると、その作業着姿の大人達は軽トラの荷台に次々とキャリーケースを積み込んでいるのが見え、その積み込まれるキャリーケースのなかにあのコーヒーの姿を見つけた。私たちは慌てて積み込み作業が行われている軽トラへと走り出し、その猫たちをどうするのかと尋ねる。すると大人の一人が野良猫を捕まえて駆除するのだと答えた。私たちは驚いたと同時に猫たちを捕まえないでほしいと頼んだ。すると別の大人が柔らかい口調で近隣住民から猫たちの糞尿被害と苦情が寄せられていることを説明される。それでも私たちは猫たちをいままで通りにしてほしいと頼んだ。それに対する大人達は困り顔を浮かべるものの、作業する手を止めることはなかった。


「こんな可愛い猫たちを殺すのは酷い!!」


 私は感情が高ぶって、そう叫んでいた。すると、せきを切ったように友人たちも思い思いの言葉を吐き出す。それでも大人達は作業を止めずに、私たちが可愛がっていたコーヒーを含めた猫たちを運び去っていった。


 それから私たちは猫を飼えるように親を説得してみたし、コーヒーたちが処分されないように里親を探してみたけれど、その成果は上がらずに終わった。もう二度と、あの白と茶色のふわふわの毛並みを触れることはできなかった。


 今になって、こんな事を思い出しているのは現在付き合っている恋人のせいだ。


 その恋人には変わったところがあってペットとしてゴキブリを飼っているのだ。私はいくらケーズの中に入っているとは言っても、あの黒光りしたボディーに、素早くカサカサと動く姿が気持ち悪くてしかたない。しかし、それ以外は私にとって申し分ないほどのパートナーだから、ペットの件は我慢できた。


 それでも、そんな恋人とも時にはケンカをしてしまい、私は感情的に口走っていた。


「そんな気持ちの悪いもの、早く処分して!!」


 私のそんな言葉に、恋人はひどくショックを受けているようだった。そして、自分にとってのゴキブリは一般的に可愛いとされる猫以上に可愛いのだと反論してきた。あんな気持ちの悪いゴキブリが、あんな可愛い猫以上だという恋人の感覚は信じられなかった。どう考えたって猫のほうが可愛いに決まっているのに、どうしてこの人には猫よりゴキブリのほうが可愛いとなるのだろうか? 私には理解できない。


 だって、いくら愛でても苦にはならない猫と、新聞紙で叩かれて駆除されるのがお似合いのゴキブリが、同等の可愛さで語るのは普通におかしいのだから。



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短編集 吉田勉 @yosituto

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