シュレディンガーの未来

佐武ろく

シュレディンガーの未来

 僕には夢がある。あの日、ふと夜空を見上げた時に決めた夢がある。まるでそうプログラムされたように――神様にそうするよう言われたように気が付けばやろうと決めていた。

 あの日僕は小説家を志した。高いビルに隠されようとも都会の光に圧倒されようとも関係なく自分の為に輝き続ける星々を見上げながら。

 それが大人と子どもの狭間で何もなかった僕が見つけたアラン・ワッツへの答え。

 あの時の星はまるでそんな僕を応援してくれているように力強く光り輝いていた。あの時の都会の街は夢や希望で煌めいていた。あの時の僕は輝かしい未来を純粋な目で見つめていた。

 僕は初めてやってみようと思える夢に出会えたんだ。夜空で光り輝く星のような夢に。


                * * * * *


「お疲れ様でした」


 まばらな雲に夕暮れと夜のグラデーションで染め上げられた空。

 通行人の隠れ始めた肌。パーカーが心地好い失恋のような季節。

 カフェのバイトを終えた僕は少し早足で家へ帰っていた。

 今日、僕の人生において歴史的瞬間への第一歩が訪れるかもしれない。そんな期待で騒ぐ胸を抱えながら家のドアを開け真っすぐノートパソコンの元へ。

 鞄を雑に床へ置き腰を下ろしながら電源を付ける。顔全体を照らすブルーライト。電気を付けることすら忘れていた所為でいつも以上にパソコンの光は眩しい。

 だけどそれすら、今の僕にはどうでもよかった。

 そしていつものサイトを開くと右下に目をやり時刻を確認する。


「あと1分か」


 そんな事を呟き貧乏ゆすりのように指で机を叩く。

 たった1分。普段なら息をするように消費してしまうとても短い時間。

 だけど今は世界がスロー再生してるんじゃないかってぐらいに長く感じた。


「まだかなぁ。でも今回のは結構自信あるから――もしかしたら...」


 フフ、と希望に満ちた笑みが零れる。

 それからも止まってるように思えた時間だったけど、生物に関係なく時間は着実に進んでいるということを数字の変わった時計が教えてくれた。

 僕はすぐに何の生産性も無い指を止めるとサイトを再度読み込む。でも何度試してみても新着には何も出てこない。


「まぁでも運営も機械って訳じゃないし数分ぐらいは遅れるでしょ」


 急かすような自分に言い聞かせながら呟くが指は依然と再読み込みをし続けていた。

 すると何度目か分からない読み込みで新着が更新され、待ちに待っていた結果発表(と言ってもまだ一次だけど)が掲載された。

 僕は飛びつくようにすぐさまそれを開き見る。ずらりと並んだ作品名を興奮気味で確認していった。上から1つずつ順番に。

 これも違う。これも違う。これも...違う。

 だけどそこに僕の作品名は無かった。もう一度、最初から確認してみるがやはりそこに見慣れたタイトルは無い。

 さっきまであったはずの期待や希望はいつの間にか消えて無くなり、まるでそれが動力源だったかのように僕の体は後ろへ倒れていった。力無く床に倒れ天井を見上げる。暗い部屋を照らすパソコンの光はさっきよりも酷く明るく感じて、僕は腕で両目を覆った。呼吸に紛れ零れる嘆息。


「またダメだったか...」


 存在しないも同然なほどに小さくか細い声。その後、何倍も大きなバイクの音が部屋を通り過ぎて行った。

 ほんの少しの間、空っぽになった体をピクリとも動かさずじっとしていた。

 だけど誰かが新たな動力源でも入れてくれんだろう。僕は顔から腕を退けると体を起こし無言のままお知らせを閉じた。

 そして小説ページにあるまだ途中の物語最新話を開いた。


「よし! 落ち込んでても仕方ないしやるか! 何せ僕にはまだこいつがあるんだから」


 頬を両手で軽く叩き口にしたやる気だったが、水を差すように腹の虫が鳴く。


「――っとその前にご飯食べよう」


 僕は夕食の準備をする為にパソコンはそのままで立ち上がった。


 もう何度目か分からないコンテストに敗北した僕はそれからも今までと同じ日々を送っていた。働いて家に帰れば続きを書く。休日になれば部屋に籠り続きを書く。あの日から続く日常。

 確かにコンテストにはまた落選してしまったが、僕にはまだ希望が残されていた。丁度今、長編を1つと短編を数本書いててそれが個人的にはどれもニヤケてしまう程に良いんだ。

 特にそろそろ書き上げられる長編はアイディアを思いついた時もストーリーを考えてる時も書いてる時もずっと楽しいから、ついついこれが出来上がった時の事を妄想してしまう(沢山読まれて沢山評価を貰えて、僕の物語を大勢の人と共有できるそんな妄想)。例えそれが妄想だとしても段々とその気になってきて(別に僕にファンはいないのだけど)早くみんなに読んで欲しくて――投稿したくてずっとうずいていた。

 それに自分の中でも傑作だからこれで何かが変わりそうな予感がして余計にペンは進み―実際はタイピングだけど―心は躍ってた。

 しかもそれは物語を紡ぐには良い状態だったようでいくつもの閃きの花火が頭の中で打ち上がりより良い表現やストーリーが生まれては上書きされていった。

 その都度、期待は高まっていき――ついに。


「やったぁー。終わったぁ」


 最終話の読み直しを終え、やっとこの長編小説を書き上げたのだ。

 僕は両手を目一杯天井へ伸ばすとそのまま後ろに倒れて行き床に寝転がった。

 思い返せばアイディアを思いつき書き始めてから多くの時間をこの小説に注いできた。書くのは楽しかったけど何にも思い浮かばなくて全く進まない時もあったっけ。意味もなくやる気が出ない日も。

 でもちゃんと書き続けて、書き上げて自信のある作品になった。

 だからこそその達成感は物凄いモノで今の僕はさながら大作を書き上げた大物小説家。僕は胸の奥底から溢れ出す満足感と達成感が全身に広がるのを感じながら目を瞑り体の力を抜いて少しの間だけその心地よさに浸かっていた。

 明日から毎日、1話ずつ投稿しよう。残りの短編も仕上げて。


「もしかしたらこの瞬間を語る日が来るのかも」


 ぼそりと呟いた後、瞼の裏に浮かぶのは小説家になってデビュー前を語る自分の姿。あの頃はどうだったとかどんな苦労があったとかを話しながら夢が叶った事を噛み締めていた。

 それは文章にならない僕だけの妄想。いつか現実になると信じて見てきた夢。

 コンテストはダメだったけどこの作品でもしかしたらそれが...。

 そんな期待が胸をはち切れんばかりに膨らませていた。同時に湧き出す泉のように溢れ出してきた制作意欲に搔き立てられた僕は体を起こし、短編の続きを書き始めた。

 書いて、書いて、書き上げたら多少の達成感を感じてまた次を書き始める(もしくは次を考え始める)。いつもより達成感や期待は大きかったけど僕はこれまで通り次の物語を紡ぎ始めた。


 それから1ヶ月とちょっと。僕は、厳しく正直な現実に打ちのめされていた。

 ノートパソコンの前で頬杖を突き死んだような目で見つめる画面。何度更新をしても何も変わらない。

 あれから毎日1話ずつ―時々2話―投稿していった僕の長編は思い描いていた華やかな結果とは真逆で花や草木はおろか仙人掌やバオバブすらない荒野のようだった。PVも他の評価だって僕が想像していた数の足元にも及ばない。今までと同じ――むしろ長編にしてはあまりだ。


「はぁー」


 あまりにも想像とはかけ離れた結果に溜息を零さずを得ない。自信があった分その反動は大きくて全てが嫌になる程に気分は沈んでいた。期待や希望が消え去り現実だけが残った心は酷く重くて、それは次第に全身へと広がっていく。力の入らない体は重力が増したように重く、僕はついにテーブルに突っ伏した。

 何もやる気が起きない。それ程に今の僕は落ち込んで――いや、絶望と言ってもいいのかもしれない。

 結局、楽しんでいたのは自分だけ。良いと思っていたのは自分だけ。ただの自己満でしかなったんだ。

 それを知った途端、僕には大勢の人に読んでもらえるような――大勢の人が好きだと言ってくれるような物語を書くのは一生無理な気がした。

 そんな考えが更に気分が沈ませる。まるで黒い泥沼の大海原に1人放り出され孤独に沈んでいくような。海底から伸びた絶望の触手が体に纏わりつきどんなに藻掻けど時間をかけ沈んでいくことを余儀なくされるような――そんな気分。

 僕はしばらくの間ずっと夜の恐怖から逃げられず布団に包まるしかない子どもと同じでただこの気分がどうにかなるまで突っ伏しているしかなかった。

 だけど幸いにもこんな僕を哀れに思ったのか睡魔はそっと手を差し伸べ、一番身近な理想郷である夢世界へ。それは夢も希望も無かったがとても心地好い不思議な世界だった。

 それからどれくらい時間がったのだろう。目を覚ましてみると外は真っ暗でパソコンも静かに休憩状態。

 寝ぼけ眼でとりあえず近くに置いてあったスマホを手に取り時間を確認しようとしたがあまりの眩しさで画面はぼやけあまりよくは見えなかった(自然と目を細めてたから顔も酷い顰め面になってると思う)。

 でも少しして明るさに慣れてきた目のピントが徐々に合っていく。


「22時か」


 寝惚けた頭も徐々に覚めてくると一緒になって嫌な現実が頭に蘇って来た。

 起きて早々、快いとは対極の気分になりながらも僕はツイッターを開いて適当にタイムラインを眺めてた。

 小説を書く自分用で作ったアカウントだから特に友達も居なくて―もちろんファンも―流れてくるのは好きなアーティストやイラストレーター、あとはフォローされたから一応してる人達(彼ないし彼女も僕のようにプロではないが小説を書いてる人)。フォワーは一応いるけどもこの中には僕という一人の小説を書く人を求めてフォローしてくれてる人―つまりファン的存在の人―は多分いない(僕をフォローしたことさえもう忘れてると思う)。

 そんなツイッターのタイムラインを流し見しているとあるツイートが目に止まった。画像とかそういう目に止まる何かがあった訳じゃないしいつもなら見逃してしまいそうなたった2行のツイート。フォワーがリツイートしたそれにはこう書かれていた。


『初めての作品だったけど書籍化が出来て本当に嬉しいです。本当にありがとうございます』


 僕はそのツイートを読んだ瞬間、固まってしまった。

 そしてまるで嵐に襲われた大海原のように心がざわつき始めるのを感じた。思わずスマホを伏せ、また顔を突っ伏す。怒りではない激情が地獄の釜を思わせる程に煮え立ち同時に地獄まで引きずり降ろされるように気分は更に落ちていった。

 粘着きドロドロとした液体が、纏わりつきへばりつき体内にまで流れ込んでくるような――今まで生きてきた中で最悪の気分。

 僕はそんな気持ちから逃げるようにスマホだけを片手に外へ出た。逃げられるはずもないのに街へ出てただひたすらに歩く。行き場のない感情を無理矢理どこかへ追いやるように足を動かした。目的は無くただひたすらに。

 今の僕に星空を見る余裕は無くて、街の煌めきはただ鬱陶しいだけで、下げた目線は地面を見ていた。

 この世界から目を背けるようにフードを深く被り街の喧噪を独り抜けていく。

 どれくらい歩いたのか気が付けば僕は都会に紛れた1棟のビルの前で足を止めていた。

 そこは閑散とし廃墟のような雰囲気がどことなく漂う今は使われてないであろうビル。その大勢の人がいる都会の中で見向きもされず素通りされていく様がどこか自分のようにも感じ、僕は吸い込まれるように中へ入った。

 狭い階段と閉じたドア。街明かりのお零れにより辛うじて薄暗く寂寞せきばくとした都会の廃墟。

 当然、エレベーターなどはなく階段を1段1段上っていた僕は真っすぐ最上階を目指していた。階段を上る音と共に聞こえていた外からの喧噪はこの場所とは関係ないと言うように小さく遠く感じて、別世界に来たような不思議な感覚だった。

 そんな僕を最上階で待っていたのは1枚のドア。ドアノブに手を伸ばし鍵のかかってないそのドアを開ける。今にも壊れそうな音で軋みながら開いたドアの向こうには狭い屋上が広がっていた。僕よりも背の高いフェンスに囲まれた屋上はあまり綺麗ではなかったが座れないほどではなかった。

 僕は手を離し背後で閉まっていくドアから離れるようにフェンスへと足を進める。

 金網の隙間から見える眼下には夜を彩るネオンと沢山の通行人、道端に並んだ客引き。いつもの都会の風景が変わらず世界が回っていることを教えるかのように流れていた。

 そんな街並みに紛れるように頭にはあのツイートが姿を現した。あの2行が頭をあの感情が心を埋め尽くす。気が付けば僕は金網を殴るように掴んでいた。意味もなく揺らし強く握り締めるがどこを向いているのかも分からない苛立ちは僕の中でむしろ大きさを増すばかり。むしろ悲しくさえ感じてきた。


「はぁー。初めての作品だって...」


 それが本当かどうかは分からないけど、少なくとも今の僕はその言葉に酷く打ちのめされていた。

 一体、僕は書き始めてからいくつの作品を生み出してきたんだろうか。初めての作品なんて読まれるだけで嬉しかった(いや、それは今でも同じか。投稿しても読まれないなんてこともあるし)。書籍化なんて考えてもなかったっけ。

 別にスポーツやゲームみたいに明確な勝敗がある訳じゃないから誰かと比べるのは違うかもしれないけど、それでもどうしても比べてしまう。

 片や初作品で書籍化。片や四季を何度廻れど依然と底辺。未だに手応えすら無く、自分の良いと思った物語ですら大して反応は無いから世間とのズレを感じるばかり(ズレているのは僕のうだろうけど)。


「まぁ、何もない僕が今更これもダメだったとしても驚かないけど」


 何の意味も無い自分に対しての強がりな言い訳が口から零れるがダサく感じただけだった。

 多分僕は自分では努力してるつもりでも所詮それはただのつもりでしかないんだろう。他の人達(それこそ小説家になった人達)と比べたらただの夢を語るだけで何もしてないんだろうな。

 そんなことを思ってると何だか段々と自分のしてきたことが何の意味もないような気がしてきた。長い間、歩いて来たと思ってた道は後ろを振り返ってみても全く進めてない。無駄に時間だけを消費して気分だけは一丁前。やった気の自己満。

 続けていればいつか。努力してればいつか。諦めなければいつか。

 まるで少年漫画の主人公のように希望を胸で輝かせながら突き進んでいた。だけど現実はどこまで行っても――どれだけ進んでも現実のまま。いつかいつかって幽霊のように見つからないいつかをずっと探してるだけだった。


『努力すれば夢は叶います。私もそうしてここまできました』


 昔、何かの番組で成功者が語ってた。

 努力、努力、努力。みんな合言葉のように口にするけど。努力って一体なんだろうか? どれだけやったら努力なのか? どうすればただやってるだけから努力になるのか? 僕には分からない。結局努力なんて曖昧でしかも。成功した彼らからすればそれはとても価値のある、意味のあるものかもしれないけど結果の無い僕にとってはただ辛くて苦しいだけ。

 現状は何も変わらないのに時間だけが過ぎていって、気持ちだけがどんどん焦っていって。大勢の人に支持される人を書籍化して嬉しそうなあの人を成功してる人達を見る度に羨望が。いや、そんな綺麗な感情じゃなくてどす黒いドロついた嫉妬が体中に絡まりついて首を絞めていく。

 あの人は僕が欲しいモノを全部持ってる。あれも、それも。1つに絞っても手に入れられない僕と違って全部。

 そんな誰かを妬む自分が決まって嫌になる。ダサくて惨めでしょうもない。

 何もかもが嫌になってく。こんな自分に何かが出来るとは思えない。こんな自分に夢が叶えられるとは思えない。もう全てが嫌になってく。

 そういう時、今すぐにでもどこか遠くへ行ってしまいたいって思う。夢も希望も人間関係も、何もかも捨て去って1人どこか遠くへ。


「ほんと何やってるんだろう僕って」


 夢を追ってる。聞こえはいいけど、結局やってることは誰にも読まれることない物語を考えて時間をかけて書き上げて。本当はゲームしたり映画観たりとかしたい時も我慢して書くことを選んだりして、自分は頑張ってるって満足してるだけ。自分では頑張ってるつもりでも出ない結果を見ていたら何もしてないように思えてくる。

 そしてこのビルみたいに素通りされるだけだから無駄な時間を過ごした気がして嘆息を零すだけ。いや、気がしてるんじゃなくて掬った海水を海に零すように本当に無駄で意味のない時間を過ごしてるんだろうな。

 もしこの世界の人が頑張れば成功を手に出来る人と何をしても結局ダメな人に別れるのだとしたら、きっと僕は後者。憧れるだけで何もない――何も手に出来ない負け犬にすら嘲笑されるダメな奴。

 そんな自分が情けなくて惨めで。大っ嫌いで。酷くイラつく。フェンスを握る手に力が入るがそれでも心は晴れやしない。

 ただ怒りや虚無感のような感情が胸を締め付けながら溜まっていく。それは呪いの装備のようで発散しようとしても胸に残り続けた。次第に心の器から溢れ始め世界が滲みだす。


「所詮僕なんて...」


 僕はフェンス越しにビルの下を覗いた。何もかも捨ててどこか遠くへ。

 そのままずり落ちるように膝から崩れていった僕はフェンスに背を預け座り込んだ。膝を曲げて力無い腕を乗せ顔を俯かせる。

 段々と目頭が熱くなるが辛うじて悵然ちょうぜんの結晶は留まったまま。

 僕はポケットからスマホとイヤホンを取り出すと音楽を流した。音符の流れに乗ってこんな気分もどこかへ行ってしまわないかと願いながら。

 そんな僕を包み込む泡沫の夜。

 スマホをポケットに仕舞うと鼻を啜り零れそうになったから僕は空を見上げた。その時、一面って訳じゃないけどそれなりに広がっていた夜空を星がひとつ流れる。それはほんの一瞬の煌めき。同時に僕の頬端も1本の線を描き濡れていた。一度捻った蛇口から水が止めどなく流れるように両目からは感情が溢れ出す。

 それからしばらくの間、両耳から流れる僕の心情で出来たようなメロディーの音楽を聞きながらあの頃と変わらない空を見上げていた。あの頃と変わらぬ星空をあの頃と変わらぬ僕が眺めていた。もし、夢を志した日の僕が今の僕を見たらどう思うだろうか? 何も変わって無くてガッカリする? それともそれを通り越して怒鳴るだろうか? 分からないけど昔の僕に謝ることしかできない。

 やれることは全てやったし全力でやった。それがこの結果何だよ。そう言い返せればいいのだけどとてもその言葉に自信は持てない。

 ただの趣味が夢に変わったあの日から僕は毎日欠かさずパソコンの前に座り物語を紡いだ。掌編、SS、短編、長編。ファンタジー、現代ドラマ、恋愛、SF...。様々な物語。まるで人間のようにどれひとつしとして同じモノのない小説たち。僕じゃない誰かが書いてたら彼らはもっと輝けてただろうか? もっと良い物語としてこの世に誕生してただろうか? だとしたら昔の自分だけだけじゃなくて今まで僕が生み出してきた物語達にさえ後ろめたさを感じる。


「はぁー。もうダメだ...」


 頭に浮かぶ言葉はどれもネガティブに塗れ、その重みで思考する度にどんどん落ちていく。

 これまでも度々、落ち込むことはあったけど今回は色々重なって特にヒドイ。


「こんなに辛いならもういっそのこと――辞めてしまおうかな」


 今までを振り返ってみても辛い事ばっかな気がする。良いアイディアが思いついて書き上げるまでは心躍っているけど、いざ投稿すれば音楽は沈黙しステップが止まってしまう。

 好きでやってたことを夢として定めた僕だけど、見方を変えた途端それは好き以上に辛く苦しいものに変わってしまった。付き合った途端、暴力を振るい始める恋人のように激変してした。でもこの場合は僕がやたら数字を気にするようになったことが原因なのかも。


「これ以上、続けても心憂いだけで星は掴める気がしないし」


 やっぱりそれならもういっそここで諦めてしまった方が今後の僕の為にもなるのかも。

 挑戦する全ての人には平等にチャンスが与えられる。誰かがそう言ってた。確かにチャンスは与えられるのかもしれない。でもその大きさはまちまちだ。僕のは酷く小さい。それはたった1枚の宝くじで1等を当てるほど困難なことなのかも。

 これから先も辛い事が待ってるのは目に見えてる。だけど更にその先にある光がどれくらい遠いのかは分からなくてたどり着けるのかも分からない。ただただ辛いだけで終わってしまうのかも。

 求め目指したい気持ちはあれど、こんな自分にはどうせ無理だという気持ちもあって――挑戦と諦めの狭間で心が揺れ動く。でもあまりに自分への自信が無くなってしまってる所為でその揺れは片方に大きく傾いていた。

 だけど同時に、もしこのまま諦めてしまったら僕は今後何のために生きていけばいいのだろうという不安が霧がかるように心に広がった。別にこれが人生の全てという訳ではないけど今までこの夢を中心に生活をしてきたからその大きな穴をどう埋めればいいか分からない。そんな生活が想像できない。多分、僕は何か代わりを見つけないと死なないために生きることになるような気がする。何の目的も無くただ何となく毎日を送って何となく生きていく気がしてならない。

 そんな考えが大きな傾きを微力ながら引き戻す。

 すると両耳のイヤホンで流れていた音楽が切り替わった。

 それはあの日、星空を見上げた時に流れていた曲で初めて小説を書いてみた時に聴いていた曲。

 その曲が両耳から体に流れ始めると呼び起こされるようにあの日々を思い出した。


「懐かしい。あの頃は小説家とか考えて無くてただ楽しいから書いてたっけ。書きたい時に書いて適当にやってたっけ」


 まさかこんなに書き続けてるうちに辛くなるなんて思っても無かった。

 それは星空を見上げていた時も同じ。もっと星空のように煌びやかな目で未来を見てたし辛くても乗り越えられるって思ってた。こんなにも苦しくて重いものだとはとても...。

 少年のように純粋な気持ちで夢を見ていた昔の自分を思い出すと、才能の無さも努力不足も変化のない現状も全てが叩きつけられるように胸に圧し掛かる。諦めたくはないけど諦めたくなる程に苦しくて辛い。

 誰かに握り締められているように締め付けられる胸。心の底から好きでたまらないのに叶わない恋のような胸の苦しみに呼応するようにまた辛苦が目から零れ落ちる。

 そんな最中、昔を思い出していたからかある動画の事が流星が流れるように浮かんできた。それはまだ小説家を志す前に見ていた好きな配信者の雑談配信。そこでその人が言っていたことが心に沁みたことを思い出した。

 でも何て言ってたかはちゃんと覚えて無くて僕はぼやけた視界の中で時折、鼻を啜りながらその動画を探した。


「あった。これだ」


 すぐに見つかった動画は1時間ちょっとあったから飛ばしながらその部分を探していく。


『――自分はこれとは別でお仕事をしてるんですけど、そっちが一番の夢でしたね。これもそうなんですけどやっぱりそっちの方が昔から叶えたい夢でした。――いや、最初の方は全然で何回も辞めようかなって思いましたよ。でも結局続けて今はちゃんとお仕事としてやっていけてますね。――あぁー。何で続けられたかったって? んー。そうだなぁ。やっぱり一番は、分かんないからじゃないですか。未来がどうなるかって。今ダメでももしかしたら2~3年後とか数ヶ月後とか数週間後とか、もっと言えば明日とかにでも何かが変わるかもしれないじゃないですか。まぁそんな直近は可能性は低いですけど。でも人間って良くも悪くも未来が視えないんですよね。例えそれが数時間とか数分後でも。もちろん2~3秒後も。だって不慮の事故に遭った人は2~3秒前でさえ自分の身にそんなことが降りかかるなんて思ってもないわけじゃないですか。だからそれを良い様に利用して分からないからこそ、もしかしたらあと少しで夢が叶うとまではいかなくても転機が来るんじゃないかって思ってやってましたね。もしかしたらもうすぐ、もしかしたらこれで。みたいな感じで。あとは――みんな嫌な事を先延ばしにしたことあるでしょ? それと同じ要領でこれでダメだったら諦めようっていうのを繰り返すとか。かな。うん。――みんなさ。シュレーディンガーの猫って知ってる? あの、箱を開けるまで猫の状態が分からないから2つの状態が同時に存在してるってやつ。――そうそう。それと同じで人間の未来も視えないからこそ2つの状態が同時に存在してると思うんだよね。悪い未来と良い未来がさ。その2つの未来は実際に手元に来るまで、つまり今になるまでどっちか分からないわけ。だからそろそろ良い未来が来るかもしれないって期待しながらあの頃はやってたね。でも諦めちゃったら良いも悪いも無くてその未来自体が無くなっちゃうわけじゃん。だからさ、自分を騙しながらってわけじゃないけどすぐそこの未来が良いモノかもしれないって信じながらずっとやってたね。これか? 違うな。じゃあもう1つ先のやつか? ってな具合にね。だからみんなも毎回、次はイケるかもしれないって――次の未来は良いモノかもしれないって思いながら1つ1つに集中して挑戦していくといいかもね。頑張ってね。君なら出来る。もし自分が信じられなくなったら、僕を信じて。僕の言葉を信じてほしい。君は出来る。みんなを待つそれが次こそは良い未来だってことを心から祈ってるから。頑張ってね。もちろん無理し過ぎないぐらいでだけど』


 僕は動画を閉じると音楽の続きを流し空を見上げた。光り輝く星を眺めながら小説を書いてる時の事を思い出す。

 確かに自信の波はあるけれど、どれも書いてる時はもしかしたらってちょっとぐらいは思って心は弾んでいた。

 そして頭には忘れないでと言わんばかりにまだ形にしてないアイディアが顔を覗かせる。


「もしかしたらこれで何か変わるのかな?」


 答えはもちろん分からない。明日僕がまだ小説家を志しているのかも、まだ小説を書いているのかさえまるで分からない。


「もしかしたら今夜のうちにあれがガッツリ伸びて書籍化の話が来てたりして」


 そんな妄想につい口元が緩む。


「あぁ。こういうことか」


 悪い未来と良い未来。僕の元に訪れるのはどちらか1つだけ。すぐそこの未来も遠くの未来もそれは変わらない。僕が今として生きられるのは白(良い未来)か黒(悪い未来)のどちらかだけ。でも実際にこの目で確認してみるまではそれが何色かは分からない。白かもしれないし黒かもしれない。希望に満ちた輝かしい未来を想像することも出来れば、絶望に満ちた暗く重苦しい未来も想像できる。

 でもどっちが来るかは分からない。箱を開けてみるまでどうなってるかが分からないように。今になってみないと分からない。つまり続けて可能性を0にしない限りは望む未来は色んな未来に紛れながらもそこに存在するんだ。僕がさっきまで考えてた何も変わらないずっとこのままの未来と一緒に書きながら思い描いている成功する未来もそこにいる。

 だから僕はたまに落ち込んで嫌になったとしても諦めないで次は何か変わるかもしれないって希望を胸に抱きながら、少しでも輝かしい未来を手繰り寄せられるようにやれるだけのことをし続けないといけないのかも。

 これまで通りもしかしたらこの物語でって心躍らせながら書いた方がやっぱり楽しいし、それがダメでも次はもしかしたらって思った方がやってても楽しくてやる気が出るからこれからもそうしよう。

 将来や未来っていうのは全く視えなくて分からないからこそ進んでみる価値がある。しかもそれは未来だったモノが今になってもまた別の未来が絶え間なく現れるから挑戦する価値も絶えない。


「ならこんなとこでいつまでも落ち込んでないで少しでも可能性を上げるために頑張らないとな」


 僕は気合を入れながらそう呟くと立ち上がってそのビルを後にした。

 すぐそこで待ってる未来が良いモノであることを信じながら。

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