未解明の現象は存在する
法律がどうのこうの、と、言って、暴力を振るって、牢屋にぶち込もうとするのだ。
無駄な徒労だ。
世の中、悪い人間は、確かに存在するが、私が、また、貴方が悪くないとは、誰も言えないのだ。
単純に、その時代のその時に、おいて、偶然、貴方は、良かっただけだ。
そう考えると、全く、悪人と言うのは、この世に存在しないのかも知れない。
其の時代に於いて、悪人とされて居るだけなのだ。
基本的に、感情を有する者を無暗に、痛めつけたり、実験に利用したり、常に監視、管理するのは、悪い事だ。
小さい頃から、言われている通りだ、人の嫌がる事はやめましょう。という事だけだ。
しかし、人の嫌がる事と言うのは、厭なものだ。
其れは、厭という権利を乱用するものが、現れ、被害者面をした、偽物の被害者が、現れるからである。
そう考えると、いじめっ子が案外いい奴だったり、するものだ。
良いか悪いかなどと言う問題は、解決のしようもないのである。
まあ、しかし、其れも無駄な事だと、分かる。
無駄と、贅沢を、しようとした結果、他人に危害を与え、善がどうとか、悪が如何とか、権利がどうとかと、言い出すのだ。
必要な事だけ、していれば、問題など、起こるはずもないのだ。
無駄な事を必要なものだと、言い張ろうとする。其れはあらゆる動物に対しても同様だ。
慎ましくしてればいいものを、それが出来ないのである。
その結果、強い者に食べられたり、弱い者を食べたりするのだ。
無駄が多すぎる世界だ。
そんな、世界の中で、私は、無駄をしている。その無駄を売りつけて、利益を得ようとしているのだ。
全く、何の救いにもならない、エンタメを作ったり、どうにもならない、文章を書いたり、絵を描いたり、音楽を創るのである。
其れ等は、無論、金になぞ、ならぬ。
ならぬが、創るのである。
無駄な事だ。
無駄な事で、あるが、そうしていないと、気が気でならないのである。
おかしくなってしまいそうなのであるし、本当に必要なものを作り出す事の出来ない、私に出来る、最小限の贅沢が、こういった活動なのである。
其れを、他人が見て、どう、、感じ、思うのか、は、分からぬが、只自分の、考えを広めようと考えたのである。また、ファンを作って、末永く愛され、養ってもらおうと考えたのだ。
そう、ファンがいなければ、食べていける筈も無いので或る。
そういった、ファンが、作家や、芸能人、Youtuberにとっては、重要なのだ。
ファンが、観てくれるから、其処に御金が、生じるのだ。
その御金が、なければ、死んで終うのだ。喰う物が無くなり、死んで終うのである。
全く、どうして腹が空くのか。何も食べずに生きて居られるのならば、其れが良い。
睡眠にしても、繁殖にしても、生き物は、完璧では、無いし、不便だ。
年中無休で、働き続けられればいいのに。
全く、この人間という生き物は、人間の範疇を越えられないようだ。
ことに、繁殖しようとするのである。事に、食事を摂ろうとするし、寝ようとするのだ。
また、食事の後は、排泄物を出そうとするのである。
この様にして、人間とは、無駄の多い生き物なのです。
繁殖の結果生じるのは、次の世代なのです。
本来、其れが、生物の本能的意味においての役割で、結局それだけなのであろう。が、事実、文明社会に於いては、安易に子供なぞ、作っては、ならず、一人の人間との間にしか、子供は基本的に作ってはならないし、子供の面倒をしっかり、見なくてはならないのである。
全く、本能的な、繁殖は、文明社会にとっては、悪であり、基本的に、十分に計画し、考えて、行動しなくてはならないらしい。
けれど、その実、世の中には、繁殖したがる、猿が多いので、風俗があるし、其処に、御金を落とす、者は、後を絶たないのである。し、不倫は、無くならないのだ。
やはり、繁殖の本能の為なのだろう、世の中、私の様な、繁殖に対する、ベクトルの無い人間で溢れれば人間は絶滅してしまうのだ。
そう、私の様な、繁殖は無意味な事だ。と考える人間で、世の中が溢れれば人類は終わってしまうし、何かの事故で、多くの人類が消える可能性もあるのだ、そう考えると、生存戦略的に、不特定多数の人間との間に子供を作っておこうと考えるのは、仕方の無い事なのではないだろうか。
まあ、私は、この文明社会の中で、仮に、世界で、人口が激減して、もう、如何しようもなりなくなりました、とならない限り、繁殖する事はないと思う。
結局、文化活動をしている方が、利益になると考えた訳である。
そうそう、死ぬわけでもないし、私の命は、まだまだ続きそうだ。
ライオンや、狼、熊、に襲われるわけでもなさそうだ。
ゆえに、直ぐに、繁殖する必要はないと考えるわけなのである。
しかし、大抵の人間は、本能的で、寧ろ、私のような人間は少数派なので、直ぐに、繁殖したがり、飯を食いたがるのだ。そして、直ぐに寝るのである。
私は、その様な、風景を見ながら、何となく、楽が出来ないかなーと、思うのであった。
面倒臭いのだ。
何もかも。
自動化して、何もやらずに、只、文章を読んだり、アニメを見て、映画をみて、最新の科学を勉強して、そうやって、楽に過ごしていられればなあ、と思うのである。
私にとって、三大欲求は邪魔なものでしか、無かったのである。
飯を食うのも面倒だ。
繁殖するのも面倒だ。
眠る事も面倒だ。
手足が、もっとあればいいのに。
頭がもっと、記憶出来ればいいのに。
自分が何人もいて、其れを、自分で動かせれればいいのに。
ああ、なんて、この世界は、面倒くさいのだろうか。
そんな事を考えて居た。
繁殖する事は、無駄なものでは無い。
が、繁殖は、考えてするべきだ。
どうにも、此れだけは、法則から、外れているらしい。
つまり、繁殖は、機械的に、効率よく行い、優秀な遺伝子を継承していけばよいのである。
また、食事にしても、そうなのだ。
其れが、生物の、持つ特性なのならば、そうなのであろう。
全くに、其れならば、生物よりも、優れた物を作り出す事は、出来ないのであろうか、仮に、我が、生物の最期だとして、我の魂は、其の儘に、肉体と分離し、別の構造を持ったより、優れた肉体へ乗り移る事は出来ないのであろうか、と考えた。
つまり、子供を作れと言う事だ。
それに尽きる。
子供を作って、繁栄させよ、と言う事だ。
そうすれば、よい。
と、或るものは、言っておった。
そうなのであろう。
本能的に、繁殖しようとするのが人類なのだ。
其れをどうこうする事は出来ないのである。
我に人類友愛の心は、無い。
人類など、とうに、滅んでしまってもよいものだと、考えているし、未だ存続しているのが、不思議なくらいなのである。
只しかし、思う事がある。
其れは、祈りの力だ。
祈りと言うのか、人類の持つ特殊な波動の事だ。
その存在は、確認されてはいるが、未だ現代科学を持ってしても、解き明かされてはいないのだ。
強い祈りには、特殊な力が働く、運を引き寄せる力だ。
原因と結果に大きな影響を及ぼすその力。
量子力学では、離れた二つの粒子同士は、相互に影響し合っている。
ミクロな範囲で、素粒子は、相互影響し合っている。
重力は、あらゆるところへ影響を及ぼす。
或る者は、オカルトだと、言った。
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