手段その48 移住

「あー、連絡ないなあ」

「お前、最近携帯ばっかいじってんな。なんか面白いアプリでもあんのか?」

「いや、特に。でも、なんか最近携帯見てないと落ち着かなくて」


 透との学校での何でもない会話だ。

 

 最近の俺はというと、学校でも買い物中でも仕事中でも、渚からの連絡が待ち遠しくて仕方がない。


「いいけど、お前ちょっと変わったよな」

「そうか?まあ、渚の影響は多少あるだろうけど」

「まあな。メンヘラって感染するらしいし」

「おい、誰がメンヘラだよ」


 確かに最近、渚が少しでもいないとソワソワするし、渚が男性客に話しかけられたりしていると仕事中でもイライラが止まらなくなるし、渚が先に寝てしまうと寂しいとか思ってしまうけど。


 それは好きだから仕方ないことだ。

 それに渚と違うのは、一応我慢もできるところ。


 誰かに暴力をぶつけることもないし渚を束縛もしないし。


 だから俺はメンヘラなんかじゃない。


「そういうお前こそ。涼宮とはどうなんだよ」

「まあ、順調かな。お互い色々あったから今が楽しいよ」

「そうか。でも、涼宮って俺のことが昔好きだったって話、よく平気な顔で聞いてられるよな」

「なんで?昔は昔、今は今だろ?そんな過去の初恋に嫉妬するみたいなこと意味ねえし」

「ふーん」


 渚だったら、いや俺だってもしも好きな相手の恋バナなんて聞いてしまったら、モヤモヤして数日は寝れないだろう。


 でも、気にしない人は気にしないようで。

 その辺りも俺と透の違いなのか。


「まあいいや。それくらいお前が渚ちゃんに夢中ってわけだもんな」

「俺だって好きになったらのめり込んだりもするよ」

「まあな。俺だって好きだからこそ、涼宮のやってきたことも受け入れる覚悟ができたんだし。そういうことだよ」


 涼宮のやってきたこと。

 それは確かに酷いことばかりだった。


 他人に迷惑をかけて、警察の世話になるほどに悪質で、仕方なかったの一言で片付けてはいけないようなこと。


 だけど俺も透も、そんな彼女を見捨てることができなかったのは、いや、見捨てたくなかったのはきっと、彼女が好きだったから。


 俺の場合は友人として、透はもしかしたらずっとあいつのことを一人の異性として見ていたのかもだけど、それでも大切に思う気持ちは俺もこいつも一緒だったというわけだ。


 多分、俺は渚が同じことをしても許してしまいたくなるだろうし、もっと酷いことをしても庇ってしまうに違いない。


 世間がもし彼女を悪人と呼ぶ日がきても、俺だけは彼女の隣に立ち続ける。

 まあ、そんなことをあいつがしないのが一番だけど。


 涼宮はまだ謹慎中で、二学期からの本格的な学校復帰が決まったそうだ。

 それに、その日からであれば皆勤賞なら出席日数も間に合って、もしかしたら一緒に進級できるかもしれないということ。


 何があっても休めないというのは辛いだろうが、涼宮は透に「こんなことで許してもらえるなら足が折れても学校に行くわよ」といってたとか。


 もうしばらくの我慢で、またいつもの日々が蘇る。

 それが嬉しくて夏休みを通り超えてその先が待ち遠しくなっていた。



「お兄様、お迎えに参りました」


 放課後、渚はいつものように俺の教室に。

 そのあまりに美しい立ち姿にクラスの連中が「おおっ」と声をあげるのもいつものこと。


 そしてそいつらの妬み全開の目線を一身に浴びながら渚のところに行き、一緒に帰るのもまた、恒例である。


「帰ったら勉強しないとな」

「そうですね」

「しかし夏休みは店の手伝いも増えるんだろうな。渚は大丈夫なのか?」

「ええ、もとよりそのつもりですし。毎日お仕事というのも悪くはないかと」

「毎日ってことはないと思うけど。まあ、ほどほどに休めるように親父には頼んでみるよ」


 渚は勤勉だし、仕事熱心だ。

 ただ、親父もそういう渚に最近甘えすぎだと思う。


 ことあるごとに彼女に頼みごとをして、店番を依頼して自分はどこかに遊びにいってしまう。


 真面目に働き過ぎた反動なのか、最近の親父は自由過ぎる。

 もちろん自営だから好きにすればいいし、渚は彼の娘になるのだから頼み事は俺を通じてにしろなんて偉そうなこともいうつもりはないが。


「ただいま……って誰もいないのか?」


 家に帰ると大体優子さんがいるのだが、今日は玄関の電気が消えていた。


 それに店の方へ行くと、店内も真っ暗。

 暇で早く閉めたのか?


「渚、優子さんと親父から何か聞いてる?」

「さあ。でも、綺麗に片付けられてますね」


 暗い店内は、まるで今日一日誰も使っていないくらい綺麗なまま。

 そして家のリビングやキッチンも、昨日に比べて随分整頓されているような気が。


「……あれ、机に何か置いてある」


 キッチンのテーブルの上に、一枚の白い紙が折られて置いてある。


 手に取って、それを見ると。


 親父の字でこう書いてあった。


『ハルト、達者でな』



 ……なんだこれ。


「お、おい!これ、なんだよ一体?」

「お兄様落ち着いて。どうなされたのですか?」

「これ、親父の字だ。何があったんだよ!」


 俺は焦った。そして嫌なことを考えた。


 まさかとは思うが、この相当なまでに思い詰めたような文面が、親父が自殺でもしようとしてるのではないかという想像を俺に植え付ける。


 しかし。


「ああ。それなら大丈夫ですよ」

 

 と。


 渚は涼し気に言う。


「ど、どうしてそんなことが言えるんだ?お前、何か聞いてたのか?」

「大したことではありません。お二人で遠い地に移住されたのですよ」

「は?……はあ?」

「昨日母から相談されました。二人で海外へ行くつもりだと。日程は決まっていないと言ってましたがまさかこんなに急だとは」

「な、なんでそんなことに?」

「お義父様はかねてより外の世界にあこがれを抱かれていましたし、母は昔CAの仕事をしていた関係からそういったことに詳しいもので。話しているうちに盛り上がってしまったのでしょうね」


 自分の実の母が、急に家を飛び出してしまったというのに渚は冷静に、同じ立場である俺とは全く対照的な反応を示す。


「さあ。今日から二人っきりになっちゃいましたねお兄様。お店の方はどうしましょうか。もうすぐ夏休みというのが幸いですが、それまではアルバイトの募集でも致しましょう」


 もうすぐ梅雨が明ける。


 そのことを知らせるように、急に外は大雨になり、やがてピシャッと雷が落ちる。


 強い雨風に叩かれてガタガタと揺れる窓。

 その隙間から冷たい空気が入ってくる。


 もう夏だというのに。


 どうしてだろう。


 今日はやけに、涼しい。

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