手段その45 風呂

 久しぶりに実家に泊まった翌朝。


 俺と渚は狭いベッドの上で一緒に目を覚ます。


「おはよう渚」

「おはようございますお兄様。お早いお目覚めですね」

「日曜って、なんか店の手伝いの習慣で早く目が覚めるんだよ。それより、一回アパートに帰らないと」

「そうですね、といいたいところですが」


 渚はスッと立ち上がり、コーヒーを注ぐような仕草をとりながら言う。


「今日はお店、手伝ってほしいみたいですよ」



 休みだと思っていたところに仕事が降ってくると結構辛い。

 しかし、家にも店にも親父と優子さんの姿はなく、このままだと店が開かない状況というのもあって、俺たちは仕方なく開店準備に取り掛かることに。


「渚、親父たちはどこへ?」

「さあ。でも、母から連絡が来て『急用だからお店お願い』とだけ。なんでしょうね一体」


 渚は簡単に言うが、俺にとってはかなり不思議な出来事だった。

 親父にとってこの店は命の次に、いや命よりも大切な店だったはず。

 最近は俺に任せたりすることも増えたけど、それでも無責任に何も言わず放り出すようなマネはしたことがない。


 よほどのことがあったのだろうか。


「まあ、帰ってきたら聞くとして。とにかく仕込みからやらないと」

「はい、お願いします」


 二人でゆっくりと実家を満喫してから部屋に帰るつもりだったのだが、一転して今日は二人で店番となった。


 朝から多くの客が押し寄せてくるので、俺と渚は必死に店を回した。


 親父が今どこで何をしているかなんて気にしている余裕もないくらいに、目まぐるしい一日はあっという間に過ぎていった。


「お疲れ様ですお兄様、コーヒーをお入れしました」

「ありがとう。なあ、優子さんから連絡は?」

「さあ。今頃二人で楽しくやっているのでしょう。それより、お店の片付けをしませんと」


 渚は俺に「お兄様はゆっくり休んでてください」といって厨房へ。

 淡々と洗い物をする彼女をみて、コーヒーをさっさと飲み干してから俺も手伝いに戻る。


 しばらく店の掃除や翌日の準備に追われているとすっかり夕方を超えていた。

 しかし親父からは連絡もないし、明日どうするのかもわからないまま。


「渚、親父と連絡が取れないんだけど優子さん経由でいいから、一回連絡が欲しいって伝えてもらえないかな?」

「その必要はないと思いますよお兄様」

「どういうことだ?」

「ふふっ、ご心配なく。もう帰っているとさっき母から連絡がありましたから」

「そ、そうか」


 一瞬変なことを考えてしまった。

 親父がこのまま戻ってこないのではないかなんて心配をどうしてしてしまったのかはわからないが、そんな不安もなんのその。一時間ほどしたところで親父が戻ってきた。


「ただいま。ハルト、渚ちゃんお疲れさま。ありがとう」

「親父、今日はどうしたんだよ?何も言わずに店を空けるなんて」

「すまん、ちょっと急な呼び出しがあってだな。まあいいだろ。それより明日も頼む」

「何言ってるんだ。明日は……そうか祝日か。はあ、休みほしいなあ」


 親父に特に変わった様子はなかった。

 この後、片づけを引き継いで俺と渚は先に部屋に戻ることになったのだが、その時渚がポツっと呟く。


「殺す」


 それが誰に対してのものかは知らなかったが、何度も何度も渚の「殺す」を間近で聞いてきた俺は、それに対して特に思うことはなかった。

 多分疲れていたんだろう。それか今日の客の中にうざいやつでもいたのだろう。


「渚、先に風呂入るか?」

「今日はお先にどうぞ。私、少し買いたいものがありまして」

「なら俺も行くよ。荷物持ちくらいにはなるだろ」

「いいえお兄様、今日はお疲れですからゆっくりご入浴なさって疲れを洗い流してください」


 俺の提案を断る渚に対して、もう少し違和感を持てばよかったなんて気づくのは俺が風呂に入ってしばらくしてのこと。


 やはりおかしいと、慌てて風呂を飛び出した時には既に三十分くらい経っていたが渚はやっぱり家に帰ってない。


 また、何かをしにいったのではないかと不安になり、家を飛び出して渚を探し始めたころにはもう辺りは真っ暗だった。


 どうしてこんなに不安になるのか。

 人間の第六感とでも言わなければ説明のつかないものだが、それにしても渚はどこに行ってしまったのか。


 以前、俺を騙そうとした女の子を呼び出した港の倉庫街に行ってみたがそこにはいない。

 この前キャバ嬢みたいな人を土下座させていた路地裏にも行ってみたがそこにも姿はない。


 ただの俺の思い過ごしで、帰ったら渚が先に家に着いていたなんてことであってほしいと思いながら彼女を探すこと一時間。


 駅裏のひと気のないところで渚を発見した。


「や、やめて……お願い、殺さないで!」

「もう無理です。殺します。死んでください」


 渚と、その向かいに腰を抜かしている女性が。

 この前のキャバ嬢だ。やっぱり知り合いだったんだ。


「お、お願い……別にあんたの親父にちょっかい出す気はないから!」

「嘘つき。ゴミ。クズめ。……あっ、ちょっと待っててくださいね」


 遠目で渚を見張っていると、彼女がおもむろに携帯を取り出してどこかに電話をかけだした。


 一体誰に?と思った刹那、俺の携帯が鳴る。


「あ、もしもし……」

「お兄様。もう少ししたら帰りますのでお風呂を温め直しておいていただけますか?」

「え、いや、お、お前」

「お風呂、温め直しておいていただけますか?おうちにいらっしゃるんですよねえ?」

「そ、それは、だな」

「お風呂、ぬるかったら渚、怒っちゃいます。あと、私は心配ないので」

「お、おい渚」

「早く帰らないと間に合いませんよ。では」


 ブチっと電話が切られた。

 彼女は俺がここにいることを知っていた?


 でも止めないと。そう思ってもう一度渚の方を見ると、彼女は姿を消していた。


 キャバ嬢もまた、どこにも姿はない。

 俺は幻でも見ていたのだろうか……



 途方に暮れながら家に戻ると、ちょうど渚と玄関先で鉢合わせした。


「あら、おかえりなさいお兄様」

「あ、ああ。渚、お前どこで何してた?」

「もしかして渚にヤキモチ、ですか?ふふっ、嬉しいですお兄様。でもご心配なく。私は今日誰とも会っておりません」


 満面の笑みで、平気で嘘をつく彼女に対して不安になる。

 じゃあ、さっき俺が見たものは何だったのか。俺の目がどうかしてるのかと問いただしたくなる。


 しかし。


「それより、お風呂」

「あ、今から沸かすから!すぐ行く!」


 最後の渚の顔が怖くてそれどころではなかった。

 慌てて風呂の湯を沸かして、準備ができたところで渚を呼びに行く。


 彼女は涼し気に、汗一つかいていない。

 そして、まるで本当に買い物に行って帰ってきたかのように平気な顔で「明日はお出かけしましょうね」と、店の手伝いを頼まれたことなど忘れた様子でそう言ってから風呂場へ向かっていった。


 


 

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