手段その44 宣言

 渚と交際を始めてから数カ月が経った。

 以前は謙虚でおしとやかで三歩後ろを歩くような、それでいて背後からはしっかり刃物を向けてくるような女性だった渚だが、最近は少し変わってきた。


「お兄様、あーん」

「あ、あーん」

「お兄様、進路はどうなさいますおつもりですか?卒業したらそのままお店に入られるご予定とか」

「いや、親父が大学には行ってもらいたいみたいで。でも、そのまま働いてもいいかなと最近は思ってるんだ」

「私はお兄様のお考えに沿うまでです。ですが、くれぐれもお勉強は怠らないでくださいね」

「わ、わかってるって」


 慣れてきたせいなのか、女性とは段々ということが母親じみてくるものなのか、渚に私生活や学校のことで注意される機会が増えた。


 もちろん俺を思ってのことなので従うようにしているが。


「お兄様、そろそろ家具を新調したいのですが今度お買い物に行きませんか?」

「そうだな。でも、今のままでもいいけど」

「ダメです。それにここには勉強机もありませんし」


 最近はやたらと勉強をするように言ってくる。

 もちろん、今まで以上に愛情も深まっているのだが。


「お兄様、明日のご予定は?」

「特になにもないけど」

「では……今日は一晩中楽しめますね」

「ごくっ」


 爛れた生活とでもいうべきか。

 ちゃんと学校に通い、特に悪いこともせず淡々と彼女と過ごす生活だが俺はずっとこうであればいいのにと、心底そう願って止まない。


 でも、そうもいかないのが学生の辛いところである。


 電話がかかってきた。

 親父からだ。


「もしもし、どうしたの?」

「ハルト、急で悪いんだが今住んでる物件が途中解約の手続きを認めてくれてな。来週には解約できるから二人で実家に戻ってきなさい」

「なんだって?そんな勝手な」

「そうは言ってもお金もかかるし。また家族四人で暮らすのも悪くないだろう」

「……」


 ちなみに、と思って家賃を聞いたが結構高かった。

 結局俺も渚もまだ高校生。大人の力を借りなければ何もできない。

 一緒に住むことも、二人っきりになることも誰かの助力がなければ叶わないということだ。


「お兄様……ここ、引っ越さなければならないのですか?」

「みたいだな。どうしよう、一回実家に帰る?」

「私はそれでもかまいませんが……いえ、一度実家に戻りましょう」

「い、いいのか?それだとなかなか二人の時間なんて」

「大丈夫です。ええ、大丈夫です」


 気のせいだろうか。

 渚が今、笑ったような……


「とにかく、荷物の整理をしておかないとですね。あと……もうしばらくの二人きりの時間を堪能いたしましょう」


 最近はいつも俺の方から渚に襲いかかってばかりだったが、今日は渚の方が積極的に俺を求めてきた。

 それが嬉しかったのか、妙に興奮したのかは知らないが、俺もいつも以上に渚を抱きしめていた。



「ただいまー」

「おかえりハルト、渚ちゃん。どうした?」

「荷物、運べるものから持ってきておこうかと思って。それで、部屋はそのままなの?」

「ああ、いつ戻ってきてもいいようにはしてある」


 別に懐かしさもないが、実家に帰ると妙に落ち着くというか安心はする。

 そして俺と渚の部屋に荷物を運んでいると、渚が俺の部屋に来る。


「お兄様、荷物は一旦お兄様のお部屋に運んでもよいですか?」

「い、いいけど後で運ぶの面倒じゃないか?」

「いいえ、運ぶ手間が省ける、というものです」

「?」


 この時渚が何を言っているのかはよくわからなかったが、その答えはこの日の夜に知ることとなる。


 夜は久しぶりに家族四人で食べることに。

 こうして食卓を囲むのも久々で、親父も俺も少し気まずさを覚えてか無口だったのに対し、珍しく渚がよく喋ってくれた。


「お義父さま、お店は順調ですか?」

「ああ、なんとか。でもそろそろハルトに譲って俺は別のことをやってみたいなあ」

「まあ、まだそんな御歳でもないでしょうに。でも、するとなれば私はお兄様をお手伝いいたしますのでご安心ください」

「渚ちゃんがいれば心強い。ハルト、しっかり頼んでおくんだぞ」

「あ、ああ。それより店辞めたら何したいんだ?」

「そうだな。今度はコーヒー専門店というか、カフェではなくて豆を取り扱う店なんかをやってみたくてな。趣味の延長が商売になればなんて思っていたが、案外これも夢じゃない。期待してるぞ、ハルト」


 ここまで一心不乱に仕事の鬼として働いてきた親父は、再婚以降こうして将来の話や自分のやりたいことを語るようになった。

 だからこの結婚は彼にとって本当にプラスに働いているのだと思うとやっぱり渚とのことは言いにくくなる。


 でも、いつかはバレる。バレるし打ち明けなければならない。

 だから早い方がいいとわかりながらも、まだ踏ん切りがつかない俺を見かねてか渚が、親父に変な質問をする。


「お義父様、もし私とお兄様が、万が一の話ですが恋仲になったなどと言われたらどうお考えなさいますか?」


 この質問は、もうそうなってもいいかと訊いているようなものだ。

 でも、案外笑って済ませてくれるのではないかと思っていた親父の顔が渋くなる。


「……そうなったら、か。いや、そうなってほしくはないと、正直思ってはいる」

「どうしてですか?」

「世間体というやつだ。でも、それはあくまで個人の考えだから最終的には本人たちの意思を尊重するとは思うけど。ねえ優ちゃん」

「ええ、そうね。でも、二人が夫婦になるのも案外丸く収まっていいのかもね。結婚の時の挨拶とかいらないし」

「そ、それはそうかもな。で、二人はそういう仲なのか?」


 当然そうなる。

 この話をする時点でどちらか、もしくは両方が好意を持っているに違いないと勘ぐられるのは見えていた話。


 そして渚はもとよりそのつもりだったのだろう。


「私とお兄様は愛し合っています。男女として。ねえ、お兄様」


 してやったり。といわんばかりの顔で俺の方を流し見ながら渚はほくそ笑む。

 その言葉に俺も親父も固まった。


 しかし緊張をほどくように口を開いたのは、親父だった。


「……そうか。俺は何も言うまい。おめでとう、二人とも。その代わり、真剣に付き合いなさい。それこそ別れたりしたら家族としてお終いだ。ここで結婚の約束をさせるような言い方になるが、別れて不仲になるなんてことは許さない。それが守れるのであれば私は認める」


 親父が心配していたのは付き合うことよりも、その後別れてしまったらどうするのだということだった。

 もちろん高校生の恋愛だからそんなことは充分考えられるし、そうなったらいよいよ家族として過ごすことなんてできなくなる。


 だから無計画に、勢いで付き合うのであれば今のうちにやめておけと言いたかったそうだが、渚は首を横に振りながら一言。


「あり得ません」


 とだけ。


 そこまで自信をもって言い切れる理由はわからないが、その態度を見て親父も前のめりだった姿勢を崩す。


「そうか。ならいいんだ。うん、ハルトのことをよろしく頼む」


 こうして親父の許可を得ることができたのも、はっきり言って渚のおかげだった。

 

 結局俺があれこれ考えていても、渚の掌の上でクルクル踊っているだけなのかもしれない。


 そう思うと情けなくはなる。 

 でも、親父の許可をとれたことで胸のつっかえは取れた。


 そして。


「お兄様、というわけですので今日からお兄様のお部屋に住まわせていただきます」

「い、いやいいけど狭くないか?」

「狭い方が、より近くにお兄様を感じられて幸せです」

「ごくっ」


 今思えば、家に帰ると言った時にすんなり受け入れたのも、荷物を俺の部屋に運び入れたのも全部、こうなることを予感していたからなのか。


 だとすればどこまでが計算だったのか。

 もしかしたら今日起きたことも全部想定内の出来事だった、というわけか。


 渚の底が見えない。

 そう思っていた俺はまだ、渚の底どころかその入り口にも立っていなかったのだと、翌日になって気づくことになる。


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