手段その42 守

「なあ、涼宮の親父さんってキャバクラの女と駆け落ちしたんだってな」


 休日があけていつものように学校に行くと、教室で開口一番透がそう話してきた。


「らしいな」

「え、知ってたのか?」

「いや、渚がそんなことを言ってたから」

「へー。でも、俺もさっき聞いたばっかなのに渚ちゃんは事情通だな」


 違和感の正体が、ようやくわかった。

 

 渚はどうして、涼宮の父親が誰と不倫して消えてしまったのかを知っていたのか。

 もちろんネットの情報や、誰かから訊いた話という可能性もあるにはあるが、俺だって涼宮について少しでもいい情報がないかと躍起になりネットの海を泳ぎまくったのにそんな情報を見た覚えはなかった。


 だから不思議だった。渚は一体どこまで知っていたのかと。

 

 でも、あいつのことだから俺にはわからない方法で情報を入手したのかもだし、それについてはこれ以上考えることはしなかった。

 

「渚ちゃんとはどうなんだ?うまくいってるのか?」

「まあ一応。あとは親父だけど……まあそこもなし崩し的に解決したみたいだし今のところ問題はないかな」

「ほー。じゃあ涼宮が戻ってきたら改めてお前のとこでお祝いしないとな」

「ああ、そうだな。早く戻ってくるといいな」


 涼宮は、校長の采配で退学ではなく停学処分になっているそうだ。

 私立ということもいいように働いたのだろうが、彼女を更生させるのも学校の義務だと庇ってくれたのが校長だったと訊いて、俺は入学して初めて校長室に行き、そのことについて深々と頭を下げた。


 ダメな大人に振り回されて道を踏み外した涼宮が、それでも大人の寛大さで救われようとしているのは皮肉な話かもしれないが、世の中に救いがひとつくらいあってもいいだろう。


 こうしてまたいつもの学校生活に戻っていき、俺たちは涼宮が無事に戻ってきた時にちゃんと味方でいてやろうと結束を固めながらその日を終えた。



 あの激動の日々が嘘だったかのように、最近は何もない。

 学校と店の手伝いを当たり前のようにこなし、家では渚と二人で穏やかな日々を送っている。


「渚、今日は休みだし、また水族館の時みたいにどこかいくか?」

「はい。私、それなら商店街でお買い物したいです。もうすぐ夏ですから服を新調したくて」


 じゃあそうしようと、早速準備を始めた時に時計を見たら午前十時を少しまわったところ。

 昼食も兼ねて少し早めの食事をしてから買い物に行こうと、まずはいつものファミレスに向かった。


「涼宮の奴、ここでアルバイトしてたんだよな。今考えたらちゃんとしようと頑張ってたってわけか」

「高校生のアルバイトくらいでは家族を支えるなんて難しいですものね。でも、もうすぐ釈放されるのでしょう?」

「うん。だからその後透も含めてみんなで飯でも食べようかって。それくらいいいだろ?」

「ええ。もちろんです」


 最近の渚は嫉妬に狂うことも少なくなった。

 店員の女性を見ても「死ね」と小さく呟く程度。それ以上は何もないし、友人と会うと話しても快く承諾してくれるから本当に楽になった。


 もちろんその状況に甘えていると渚の拘束がまたきつくなる可能性もあるので、こうやっていちいちお伺いを立てて行動しているのだけど、世の中の結婚している男性の大半はこんなものなのだろうと思って、自分の現状を正当化している。


 さっさと飯を食べ終えると、今度は目当ての商店街に足を向ける。

 そして渚の服を買うために立ち寄ったアパレルショップで買い物をしていると、彼女の方をじっと見ている女性がいた。


「渚、知り合いか?」

「いえ、知りません」

「でも、ずっとこっち見てるぞ」

「高校生がこんなところに来て生意気だって思ってるんじゃないですか?ほら、ここって少し高めの価格設定ですし」


 そうかなあと、もう一度その女性の方を見るとそこに彼女の姿はなかった。


 少しくたびれたギャルのような見た目。

 おそらく水商売をしている人なのだろうが、顔に精気がないように見えたのは寝不足か何かのせいだろうか。


 変な人もいるものだなと店を出ると、そこで声をかけられる。


「ちょっと、あんた」

「はい?」


 一緒に振り返るとさっきの女性の姿が。

 そして渚を睨みつけている。


「あんた、私のこと通報したでしょ」

「何の話ですか?人違いでは」

「とぼけないで!あの後すぐに警察がきて私のこと美人局呼ばわりで大変だったんだけど」

「だから何の話ですか?私はただの女子高生ですよ」

「しらばっくれやがって。ちょっときなさいよ」


 渚はその女性に呼ばれて、路地裏へ連れていかれた。

 慌てて追いかけようとするも渚は、「お兄様はそこで待っててください」と強めの口調で言われて足が止まる。


 この辺りは人通りが少なく気持ち悪い。

 もしさっきの女性がヤクザか何かだったらどうしようと俺はおろおろしながら渚を待った。

 叫び声が聞こえたらすぐに飛び出そうと思って構えていたが、一向に出てくる気配がなく、俺は不安になり路地の方へ入っていった。

 

 すると。


「ごめんなさい、もう二度といいません。ごめんなさい」


 土下座しながら命乞いをするようになくじゃくる女性の姿と、その前に仁王立ちする渚がそこにいた。


「お、おい」

「お兄様、来ないでって言いましたのに」

「どういう状況だこれ」

「これですか?どうも人違いだったのに因縁つけてすみませんと、このお方が誠意が伝わるように精一杯謝罪されているだけですよ」


 そんなわけはないだろうと思ったが、土下座する女性がしきりに「その通りです、もう許してください」と大声でいうものだから、気味が悪くて俺は渚の手を引いてその場を離れることにした。


「なあ、あれはどういう」

「知りません。人違いだというのに変なことを言ってたから恫喝したまでです」

「そ、そう、か。でも、あんまり危険なことはするなよ。俺はお前を大事に思ってるんだから」

「お兄様……はい、もちろんです」


 あんな状況を見せられてもなお渚を拒めなくなっているのは、俺がとっくに渚の虜になっているからに他ならない。

 多分今だったら渚が人を殺しても出所まで待ってしまうくらい、俺は彼女に依存している。


 だから。


「お兄様にもし酷いことをする人がいれば言ってください。渚が殺します」

「あはは、殺すのはダメだって。でも、俺も男だから俺の方が渚を守るよ」

「まあ。嬉しいです」


 こんな会話が冗談ぽく成立してしまう。

 本当は物騒で不気味で不快とすら思うだろう言葉も、渚が言うとどうも可愛く思えて仕方がない。


 もう俺は、平常な精神で彼女を見ることはとっくにできなくなっていた。

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