手段その30 従業員

 ここ数日の渚の様子はすこぶる大人しい。

 それはもちろんいいことなのだけど、俺は嵐の前の静けさのようで少し怖い。


「渚。明日は店の手伝いだから早く寝よう」

「ええ、お兄様。それに明日は涼宮様もお手伝いに来られますもんね」


 そう。どういう風の吹き回しか、渚はアルバイトを採用したいと言い出した。

 そして白羽の矢が立ったのが涼宮だ。


 元々二人で回すには広すぎる店なので従業員は必須だったが、しかし敢えて涼宮を選んだ理由は定かでない。


 一応建前では「彼女は飲食店でのアルバイト経験がありますもの」と言っていたが、それがどこまで本当か。


 不安を残したまま、この日も何もなく眠り、そして朝が来る。



「おはようハルト。おはよう、渚ちゃん」


 二人で開店準備をしていると涼宮がやってきた。

 早速予備の制服に着替えてもらい、ホール作業を順番に教えることに。


「ええと、手前から一番、二番と続いて……」

「……」

「どうした?」

「いえ、続けて」


 涼宮の呑み込みの良さは素晴らしいものがあった。


 渚といいこいつといい、女子の方が飲食店には向いているのかと思わせるほど二人とも有能だ。


 店が開いてすぐに客がたくさん入ってきたが、涼宮と渚は絶妙な手際でどんどんと客をさばいていく。


 俺も負けじと頑張るが、今日に限っては二人のおかげで店が繁盛したと言わざるを得ないくらいに、二人の仕事っぷりは完璧だった。


「おつかれ。何か飲むか?」

「ありがと。じゃあコーヒー貰える?」


 夕方になってようやく客がいなくなり、片付けの傍らみんなでお茶にすることとなった。


「渚、コーヒーいいか?」

「はいお兄様。涼宮さんはブラックでよろしかったですか?」

「うん、ありがとう渚ちゃん」


 先日まで渚は涼宮の事を穢れた女だの虫だのゴミだの散々な言いようだったというのに、今日は一体どうしたというくらい仲が良さそうに見える。


「はい、お二人ともどうぞ」

「ありがとう。渚も座ったらどうだ」

「はい、では」


 誰もいない広い店の中で、なぜか渚がチョイスしたのは俺の膝。

 ちょこんと、小さなお尻がおれの足元に乗る。


「お、おい」

「あら、重いですか?」

「い、いや。渚は細いから」

「まあ。でも、冗談です。失礼しました」


 隣に座り直した渚は、コーヒーをスッと口に運んだあと、今度は涼宮の方を見て頬杖をつく。


「涼宮様って美人ですよね。お兄様とお似合いな雰囲気をいつも出されているから私、やきもち妬いてしまいます」

「そ、そんなことないわよ。それにハルトとは何もないって。絶対何もないから」

「ふふっ、知ってます。何も、ありませんものねえ」

「う、うん。じゃあ私、そろそろ帰るね。バイト代、また学校で渡してくれたらいいから」


 涼宮はコーヒーをグイッと飲み干して、さっさと店を出ていってしまった。


「お、おい。変なこと言うからあいつが気まずくなっちゃったじゃんか」

「ええ。気まずくしたんです」

「な、なんで?だってここ最近はあいつとも仲良く」

「和解はしました。ですが、馴れ合うつもりはありません。その線引きをちょうど思い知らせるいい機会かと。一緒に仕事とかすると、すぐに気が合うとか相性がいいとか勘違いなさる方って多いでしょう?私、そういうの嫌いなので」


 でも私とお兄様だけは本当に相性抜群ですけどね、とも。


 そんな彼女は俺の横で機嫌よさげにコーヒーを飲んでいた。


 ……そういえば涼宮とはどうやって和解したんだ?

 いや、本当にそれは和解、なのか?


「なあ、あいつと何を話した?」

「お兄様に絶対に手出ししないのなら特別に人間関係くらいは残しても構わないと、そう話したんですよ」

「お、脅したりしてないだろうな」

「まさか。私はむしろ……いえ、なんでもありません。ではお片付けしましょう」

「あ、ああ」


 結局涼宮と何を話してどう解決まで導かれたのかはわからなかったが、とにかく渚が誰かと仲良くするつもりなんてものはさらさらないのだと、それだけはよくわかった一日となった。



「ハルト、ちょっといいか」


 翌朝のこと。

 親父から電話がかかってきたのだが、電話の向こうの声が暗い。


「どうしたんだ?優子さんと喧嘩でもした?」

「いや、仲良くやってるよ。それより、今店にハルトの知り合いって子が来てるんだけど変なことを言ってきて困ってるんだ」

「変なこと?」

「ああ、とにかく来てくれ」


 親父があんなに困った様子なのも珍しい。

 それに俺の知り合いって、一体誰だ?



 涼宮や透は親父もよく知ってるし、他に店に来てわざわざ俺を指名するような奴も心当たりはない。


「渚、ちょっと店に行ってくるよ」

「では私も」

「いや、すぐに戻るから飯の準備しててくれ」

「……本当にお店ですか?」

「嘘なんかつかないって。なんならGPSつけられたって怖くないぞ」

「もうついてますよ」

「え、そうなの……」


 うすうすそうじゃないかと思っていたけど、ついてたんだ……


「え、ええと」

「お急ぎなんでしょ?いってらっしゃいませお兄様」

「あ、ああ」


 話をはぐらかされた。

 道中で荷物や携帯を調べてみたが発信機みたいなものはなく、結局あれが渚の冗談かどうかは確かめることができなかった。


「親父、どうしたんだ……って君は」

「あ、ハルトくんお久しぶり」

「佐々木さん?」


 佐々木理恵ささきりえ、俺と同い年だが学校は違う。俺が初めてうまくいきそうになったのにある日突然連絡が取れなくなって音信不通になってしまった女の子。


 あれからしばらく経つというのに、今更彼女が何の用だ?


「ちょっといいかしら」

「あ、ああ」


 嫌な予感はした。

 でも、やっぱり予感なんてものは当てにならない。


 現実は、俺の想像なんかすぐに上回ってくるということを、まだ俺は知らない。

 

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