手段その24 メモ

「お兄様、おはようございます」

「え、あ、おはよう。もう朝か」

「はい。昨夜はぐっすりでしたね」


 気が付けば朝だった。

 俺は窓から射す太陽の光に目を細めながら、今日も無事に朝を迎えられたことにまずほっとした。


 渚は既に制服姿に着替えていて、テーブルには朝食が並んである。


「早いんだな。あの後すぐに寝たのか?」

「いえ。しばらくすることがありまして。でも、昨日の夜はとても……いえ、それより冷めないうちに召し上がってください」

「あ、ああ……ん?」


 布団から出ると違和感が。

 俺はなぜかズボンを履いていない。


「あ、あれ?」

「どうなされました?」

「いや、なんでパンツ一丁なんだろうって」

「ふふっ。汗をかかれておられましたから洗濯しておきました。ご心配無用です」

「そ、そうか」


 しかし寝ている間に俺のズボンを脱がせた、ということだよな?

 ……本当にそれだけなのか?


「なあ。昨日宿題やるって言ってたけど、一年生ってそんなに宿題多いのか?」

「いえ、自主学習も兼ねております。それに書き物もありますので」

「小説か。うん、まあそれならいいんだ」


 朝飯の前に俺はトイレに向かった。

 下半身に違和感が残っていないか確認したが、何かされたような形跡はない。

 ただ、体が少しだけ怠く感じたのはただの蓄積疲労でよいのだろうか。


 俺は渚を疑っていた。

 洗濯された俺のズボンがベランダでひらひらとなびくのを見ながら、朝食を口にする間もずっと渚が何かした証拠がないか探っていた。


 しかし当然何も出ては来ない。

 ただ、少しだけ違和感を覚えたことがあった。


「渚、何を書いてるんだ?」

「小説のアイデアを思い付いたらメモするのが習慣なので」

「へえ。見せてくれよ」

「お、お恥ずかしいのでそれは……完成したらまたお見せいたします」


 あれだけ自分を前面に出して曝け出す渚が、俺に隠し事をした。

 何かをメモしていたのだが、それを俺に見せることを拒んだのだ。

 それは些細なことだったけど、確かな違和感だ。


 本当にあのメモの中身は、小説のアイデアなのだろうか?

 見たい。気になる。でも、見たらいけないような気もするけど……でも。


「あら。お醤油が切れてますね。お兄様、そこのコンビニで買ってきますので少々お待ちくださいね」

「あ、ああ。頼むよ」


 そんな時に突然訪れたチャンス。

 都合よく醤油がなくなって、渚が買い物に出かけた。


 そしてさっきのメモが、無防備に机の上に放置されていたのだ。


 玄関がしっかりと閉まるのを確認した後で、俺は恐る恐るメモを手に取る。


 そして緊張に手を震わせながらそっとメモを開く。


「……え?」


 開けたページは真っ黒だった。 

 いや、正確にはおびただしい字で真っ黒に見えた、だ。


『お兄様愛していますお兄様愛してくださいお兄様渚を見てください渚だけを見てください渚だけを特別扱いしてください渚だけのお兄様になってください渚にはお兄様しかいませんお兄様……』


 ずっとこんなことが殴り書きされている。

 そのあまりの威圧感に俺は思わずメモを手から滑らせた。


 そして慌てて拾う。

 そして拾った時に偶然別のページが開かれて、そこには渚のこれまでの周到な計画が書かれていた。


『○月×日。ハルトさんと目が合った。私は改めて決意する、あの人と結ばれるためになんでもすると。だってあの人は私のヒーローだから。×月△日。ハルトさんのお父様が初めて母とデートをした。もう少しで、私はハルトさんと家族になれる。待っててくださいねハルトさん。☆月〇日。母が再婚した。私の苗字はハルトさんと同じになる。幸せいっぱいだ。やっと結ばれた。愛してますハルトさん。いえ、今日からはお兄様、ですね。』


 細かく記録されたそれを読むと、渚がどれほど周到に準備を進めていたかが改めて伝わってくる。


 ごくりと唾を飲みながら、その記録を読んでいくがどれも聞かされた話と相違はない。

 ただ、少しだけ違和感が。


「ヒーロー……俺が?」


 メモの節々に「ハルトさんは私を救ってくれた」とか「彼がいたから私は今生きている」なんてことが書かれている。


 これは単に俺が心の支えだという意味にもとれるが、それにしては少々持ち上げすぎだ。


 ……俺は過去に渚になにかしてやったことがあるとでも?

 いや、しかし記憶にない。渚みたいな可愛い子であれば、さすがに一度関わったら印象にくらいは残っているはずだが。


 何かヒントになるものがないか、夢中でメモを読んだ。

 ただ、夢中になりすぎた。


「お兄様、何をなされているのですか?」

「うわっ!な、渚?え、いつの間に」

「先ほど戻りました。それより、メモを見られたのですね」

「い、いやこれは」


 気が付けば目の前に渚が立っていて、しゃがみ込んでメモを見ていた俺を見下すように見つめていた。


 腰を抜かした俺は悟る。


 多分、殺されると。


「ち、違うんだ!小説のアイデアってどんなのか気になって、それで」

「お兄様、どうしてそんなに怯えているのですか?」

「い、いや、だって勝手に見たから」

「そうですか。悪いことをされたという自覚はあるのですね。でも、お兄様に隠し事をしようとする渚もいけない子です。だからお相子です」

「へ?」


 渚は、随分と穏やかな表情を浮かべてその場に座り込む。


「お兄様。そのメモを見て何を思いました?」

「え、いや、俺のことが好きなのはよくわかったけど……」

「そうですね。私はお兄様が大好きです。ですので、お兄様に疑われると渚も傷つくということをご理解ください」

「な、渚?」

「お兄様は私を警戒なさっています。怖がっています。それはとても辛いことです。どうか、渚をそんな目で見ないでください」


 大きな目を潤ませながら、渚はじっと俺を見つめてくる。

 吸い込まれそうなほど大きく澄んだ目を見ていると、俺は少しだけ今朝の自分の振る舞いを反省する。


「すまん。渚に何かされるんじゃないかって、何かされたんじゃないかってずっと疑ってた。でも、そんなことはしない、よな」

「はい。私はお兄様から望んで抱いていただくその日まで、この身を綺麗に保ち続ける所存です」


 彼女のいじらしい姿勢に、あんなメモを見た後だというのに朝から抱きしめたくなって仕方がなかった。


 しかしぴくっと手を動かした後で、俺は動きを止めた。

 この手に手繰り寄せてしまえば、俺は渚と一生……


「渚、俺……」

「いいのですよお兄様。それよりメモを返していただけませんか?私、今日お兄様とこうしてお話したこともきちんと記録しておきたいので」

「あ、ああ」


 そっとメモを渡すと、渚はサラサラと何かを書いていた。

 しかし、やはり人のものを勝手に見るのはよくないからと、何を書いたかについては聞かなかったし見ようともしなかった。


「では、学校へ行きましょうお兄様」

「そうだな。うん、準備するよ」


 渚が嫉妬に狂う原因は、もちろん本人の問題も大きいのだろうけど、俺が優しくしてやれば少しはそれも和らぐかもしれない。

 だから彼女を邪険に扱うのはやめよう。

 そもそも、妹として彼女と仲良くなろうと当初から思っていたのだから、俺が疑ったり怖がっていてばかりでは彼女との距離は縮まらない。


 今日は渚に優しくしよう。 

 そう決意しながら一緒に部屋を出る。



 #月$日。

 お兄様が私のメモをのぞき見していた。

 恥ずかしい、というより少し焦ったけどお兄様はまだ気づいていらっしゃらないご様子でホッとした。


 お兄様は優しい。渚が目を潤ませて見つめると、いつも優しくフォローしてくださります。

 それに、今朝のこともお気づきになっていないどころか、疑うことをやめていただけるあたり、本当にお兄様は純粋なお心も持ち主。


 お兄様。お気づきになられないのですか?

 目が覚めた時、お兄様の大切な○○○が、どうして朝勃ちされていなかったのか。

 まあ、言う必要もないこと、ですけどね。


 

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