手段その22 念押し

「お兄様、そろそろお腹が空きました」

「じゃあ、この辺で食べるか?」

「いいえ、ファミレスへ」

「あ、ああそうだったな」


 会話の流れでごまかそうとしても無駄だった。

 トイレから戻ってきた渚は、嬉しそうにぬいぐるみを抱きしめて離さない。


 可愛いぬいぐるみと絶世の美女。

 その組み合わせにすれ違うほとんどの男性が渚を二度見する。


 そして隣に俺という男がいることでつまらなさそうな顔を浮かべて去っていく。

 

「お兄様、今日もたくさんあーんして差し上げますね」

「い、いいよ恥ずかしいから」

「では、今日はお兄様から渚にあーんしてくれますか?」

「そ、それもはずかしいよ」


 ダメだ、渚があーんと口を開いた時に、ついさっきのキスを思い出してしまった。


 まだ鮮明に残る感触があまりに生々しくて俺は思い出すたびに脳が雑念に侵されていく。


 もう一度してみたいという好奇心と、やってしまった、二度としてはいけないという自制心が心の中でやりあっている。

 でも、また迫られた時に断るなんてことが童貞の俺にできるのだろうか。


 これまではいくら渚がえっちしたいとか好きだとか言っていてもいざそういうことになれば照れたり怖がったりするのではという淡い期待もあった。

 

 しかしそれは間違いだと証明された。

 俺の唇を奪った後の渚の顔が頭から離れない。

 

 きつい酒を一気に飲み干して酩酊しているような、何か悪い薬でも吸った後かのようなドロッとした笑顔。 

 あれを見る限り、渚に乙女の恥じらいなど求めるのは無理だ。


 肉食な彼女が本気を出せば、俺みたいな獲物は一瞬で捕食されてしまうに違いない。

 結局今は彼女の掌の上で生かされているだけなのだ。

 

「お兄様、その、ええと、さっきのはいかがでしたか?」

「な、なにが?」

「渚との、キスでございます。私はとてもよかったと思っておりますが」


 そんなことを言いながら照れる渚に、どう答えたらよいのか。

 よかったと言えばまたやろうと言われそうだし、よくなかったと言えば誰と比べての話だと追及されそうだし……


 どうせ答えるなら、こっちか。


「よ、よかったよ」

「まあ。それならよかったです。でも、私以外の方とはしてはいけませんよ」

「い、いないよそんなやつ」

「知ってます。いたら殺してますから」

「……」


 平気でそういうことを言うから、あんなキスをされてもまだ俺は渚にのめりこんだりはしない。

 むしろ、渚が渚らしくあってくれるからこそ俺の自制心が働くのであって、彼女がおしとやかで真面目で平和主義な大和撫子であったなら、もう既に俺は彼女に篭絡していたに違いない。


 腕を絡めてくる渚に、いつキスを迫られるかとひやひやしながら一緒にファミレスへ。

 すると


「いらっしゃい……ってハルト?」

「涼宮?お前なにしてるんだ」

「昨日からここでアルバイト始めたのよ。なんだ、あんたもここくるんだ」

「まあ、近いし」

「それに……まあいいわ、お好きなお席にどうぞ」


 昼の二時過ぎともなればさすがに店内は閑散としていた。

 しかし涼宮がここでバイトしているとは……


「なあ、渚」

「出ませんよ」

「……」

「あの女に見られて何かまずいことでも?」

「そ、そうじゃなくて友達に見られるのは恥ずかしいだろ」

「いいえ。私は何も恥ずかしいことなんてありません。お兄様しか見えませんから」


 はいそうですねすみません、としか言えない。

 結局並んで席に座り、涼宮が注文を聞きに来てくれた時なんてもうこれからおっぱじめるつもりかというくらいにくっついてきた。


「ではごゆっくり」


 涼宮が奥の厨房に戻ろうとした時、小さな声で「こっちに来るな泥棒猫」と渚が呟いたのを聞いたのだけど、どうして渚はそこまで涼宮を敵対視するのか。


「なあ、あいつはむしろ他の女の子より無害だと思うぞ?」

「無害?何を言ってるのですかお兄様。一番有害ですよあれは」

「だ、だって恋愛関係にならないんだから男と同じようなもんじゃん」

「お兄様。お兄様に一つだけ苦言を呈しておきますが、男女の友情などありえません。あるのは無関心か恋愛関係か、そのどちらかです」


 渚は言い切ると、ドリンクバーの方へさっさと行ってしまった。

 慌てて俺もついて行くと「涼宮さんの仕事風景が見たくてうろうろしてるのですか?」などと嫌味を言われた。


「渚、機嫌直してくれよ。せっかくの休みだろ」

「お兄様がその多情で奔放な性格を治していただくのが先です」

「だから俺は何も」

「何もないなら、彼女に何もないとそうお伝えください。それなら渚は信用します」


 再び涼宮が席の近くを通った時に渚が「今ですよ」と消えるような声で言ったので、俺は涼宮を呼び止める。


「あの、涼宮」

「なに?」

「え、ええと……俺とお前は、絶対恋愛とかねえよな」

「な、なんなの急に?」

「い、いや。そうだよなって話だよ」

「……ない。あんたみたいなの好きになるやつなんてろくな奴じゃないわよ。頭おかしいやつしか相手してくれないんじゃない?」

「お、おい」

「私、忙しいから。じゃね」


 涼宮が思いもしないひどい言葉を吐いたので俺はヒヤッとしながら渚の方をみたが、彼女は怒るどころか真っすぐ涼宮の方をみたまま、少しだけフッと笑った。


「渚……あの、食べたら」

「ええ、出ましょう。もうここに用はありませんもの」

「す、涼宮はああいう乱暴な言い方をよくするけど、でも本心じゃないと思うからさ」

「気にしていません。それより、早く食べましょう」


 涼宮は調理場に籠ってしまったのかそのあと姿を見せることはなかった。

 

 ハンバーグを食べようと渚がナイフとフォークを手にするだけで、俺はそれがちゃんと食事の為に使われますようにと願いながら、静かに食事を終える。


 店を出て、ようやく緊張感が解け始めたころに渚が、うつむいたまま暗い影を落として小さく呟く。


「あの女、覚えてなさい」


 それが誰のことかは明白だ。

 しかし彼女が何をしようと思っているかなんて俺には想像もつかない。


 ただ、このままではいつか死人が出る。

 そうなる前に、俺が渚を止めなければ……


「渚、デザートでも買いに行こうか」

「まあ。素敵ですね」

「駅前のクレープがうまいんだ。行こう」

「はい。二人で分け合っていただきましょうねお兄様」


 今は対策が見つからない。

 だからなるべく渚の機嫌を損ねないようにと、デートプランの続きを必死に考えた。


 そしてようやく家に帰ったのは夕方になってから。


 ここまでくれば大丈夫だと、一息ついた時にはまだ気づいていなかった。

 いや、忘れていたというべきか。


 渚の本当の獲物は一体誰だったのかということを……

 

 


 


 


 

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